日本産科婦人科学会医療改革委員会から産婦人科医療改革グランドデザイン2010ー骨子案ver. 1.21ーが発表されています。グランド・デザインの内容自体は実に生真面目なものなのですが、正直なところかなり複雑な感想を抱きます。産婦人科に限ったものではないとは思いますが、ちょっと御紹介しておきます。
まずですが「グランドデザインにおける目標」が掲げられています。
別に悪くないのですが、「20年後、90万分娩」つう事は、少子化対策は実りが無い事を前提にしているのだけはわかります。悔しいですが、非常に現実的な判断と言わざるを得ないでしょう。次は骨子になるのですが、「その1」を中心に読んでみます。
何と言っても20年後の医療の予想ですから、ある程度の仮定の前提が必要であり、このグランドデザインの前提は、20年後の産科医療も現在の医療と大差ないであろうになっているのがわかります。当たるも八卦、当たらぬも八卦ですが、大きく変化した20年後の産科医療なんて、そもそも予想が出来ませんから、この前提は妥当ですし、外れても文句は言えないと思います。この事は「基本的な考え方」にも明記されており、
- 産婦人科医は専門医になって約40年間は診療に従事する。20年後にも、今診療に従事している医師の半数は勤務しているはずである。
- 20年前の状況を考えても、今後の20年間に診療の基本的な部分が大きく変わるとは考えられない。
- 従って、20年後のグランドデザインの検討においては、その診療内容については、現時点から連続する現実として実現可能なものとして考えることになる。
- 個別の医師の診療内容には大きな変化がなくても、全体としての専門家集団の志向する方向性によって、結果としての医療体制とそれが提供する医療の質には大きな差が生じる可能性がある。
それでもって
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年間最低500名の新規産婦人科専攻医を確保する
500名の新規専攻者を20年間続ければ、20年後に60歳までで8100名程度の実働を確保できる。
これは現在より28%増になるらしく、もう少し具体的には、
(学会員の医療従事率72%、女性医師の実働率75%、今後新規学会員が年間男性200名、女性300名として試算)
Workforceは10年で13%、20年で28%増加する
この医療従事率とか、女性医師の実働率の20年後の予測はどうかのツッコミがあるでしょうが、一つの試算ですから、これはこれで受け取る事にします。ではでは産婦人科医が8100名にシミュレーション通りに増えれば何が実現するかです。これが、
もちろんこれには集約化が大前提となるのは言うまでもありません。この分娩取扱病院あたりの産科医数で労働時間がどう変化するかのシミュレーションもあるのですが、その前にさらなる前提があります。病院と診療所の分娩数の配分です、まず現状についての分析があり、
現状では、病院が全分娩の51%、診療所が48%を担当している。この状況は過去20年間変化していない。
確かこのグランドデザインの前提が基本的に産科医療に大きな変化が無いであったと思うので、20年後も45:45(90万分娩として)で考えているかと思えばそうではなく、
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分娩管理の効率化と多様性を確保するため分娩数全体の2分の1から3分の2を産科診療所等で担当する
- 45:45・・・病院には全体で900名以上の当直者、診療所医師は全体で2250名以上必要になる。
- 30:60・・・病院には全体で600名以上の当直者、診療所医師は全体で3000名以上必要になる。
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病院:4223名
診療所:2107名
- 45:45・・・143名増
- 30:60・・・855名増
それとなんですが、20年後に必要な実戦力としての総産科医数の試算も行なっています。8100人かと言えばそうではなく、
- 45:45・・・9650〜11450名
- 30:60・・・8600〜9800名
そうなった上での勤務医の勤務時間ですが、もう一度再掲しますが、
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月間在院時間240時間未満を当面の目標とする
500分娩あたりの当直担当者数 | 月間在院時間 |
5名 | 274時間 |
6名 | 255時間 |
7名 | 241時間 |
8名 | 231時間 |
目標の240時間未満が達成できるのは当直者8名体制のところだけです。5名から8名の施設分布はどうなっているかを示した数字は掲載されていませんが、仮に均等分布なら25%です。45:45モデルの方が不足数は大きくなるので達成できる率はさらに低下すると考えるのは可能かと推測されます。
ここで目標とする240時間ですが、1ヶ月の労働時間の上限は月によって変わりますが、おおよそ160時間です。つまり約80時間程度の超過勤務が20年後の目標でも発生し、さらにそれさえすべてではありません。ちなみに80時間といえば一般的には過労死ラインです。5名体制であれば優に100時間クラスの超過勤務があることになります。
超過勤務が月80時間で年間960時間、月100時間なら1200時間になります。持ち出すのも恥しいのですが、労基法の年間の上限は原則として360時間です。20年後の改善目標として、せめて労基法の上限の2倍の年間720時間、1ヶ月で200時間ぐらいに目標が設定できないものかと考えてしまいます。
現状はさらに厳しいのは承知していますから、ガイドラインの240時間未満に数年以内に到達するなら現在の産科勤務医はその恩恵を素直に感じるかと思います。しかし20年経ってもこの程度と言うのは、夢がある話と思い難い様に感じて仕方ありません。冒頭にも書いたようにこのレポートは真面目に作られています。将来予測の細目については異論がある方もおられるでしょうが、考え方自体は突飛な事を出来るだけ排除しているようには思われます。
一部に希望的観測を織り交ぜているとは言え、目標を達成してもこの程度と言うレポートは、産科医を目指すものに二つの知識を与える事になります。一つは20年経っても労働環境の改善はその程度であると言う事、もう一つは20年後にラクになってもこの程度ですから、今はどれ程かと言う事です。
このレポートを読んで漠然と感じたのは、作成された委員の方々の感覚が、現状の過酷さに麻痺しているんじゃないかと言う事です。あまりに現状が過酷過ぎて、どこに改善目標を置いたら良いかの感覚がわからなくなってるんじゃないかと思います。現役のバリバリの産科医なら、委員の感覚と似ていて、20年後であってもそれだけ改善すれば「good jpb」かもしれません。
しかしこれから産科を目指す医学生はごく普通の感覚を持っています。グランドデザインを片手に「産科の将来はバラ色」と勧誘されても、今と20年後の勤務状態を考えると違う感想を持ちそうな気がしてなりません。
統計学にさして詳しいわけではありませんが、統計値による将来予測を行なう時には、結果に影響すると考えられる因子をまず選びます。そこから個々の因子の将来への変化を設定する事になります。設定と言っても現時点で予測できる将来の変化を考える事になります。将来がどうなるかを間違いない根拠で設定できるはずも無いので、通常は変動幅を設けて考える事になります。
変動幅の設定も様々な統計学的手法があったとは思いますが、最終的には将来予測を行なう者の主観と言うか、意思がどうしても反映されます。わかりやすいのは行政のハコモノ需要予測で、予測の結論に採算が取れる需要がまず設定され、その需要が結果として導き出されるように、予測のための諸因子を恣意的に操作します。
これらは将来予測の常識なんですが、操作が可能な未来予測ですから、作成される時にはおおまかに言って、二つの目的が出てくると考えています。辛口予測を行なって注意を呼びかけようとする時と、甘口予測を行なって将来に夢を持たせるかです。甘口予測の典型がハコモノ需要予測ですし、辛口予測なら・・・ちょっと適当なのが思いつかないのですが、赤字国債による国家財政の行く末みたいなもんでしょうか。
今回の産婦人科学会の将来予測は、甘口か辛口のどちらの立場にたったものかと考え込んでしまいます。グランドデザインの骨子を読む限り基本的に甘口である様に感じます。現在産科医療に従事している者や、これから産科医療を志すものに夢を与えようとしたものと考えます。私が読む限り、悲観的な産科医の将来を提示し警告を打ち鳴らそうとしているものと感じ難いからです。
しかし読む者、とくにこれから産科医を目指すものにとってどれほどの夢を与えたかと言われれば、正直なところ疑問符が付きます。もう少し甘口の予測であっても良かった様な気がしてなりません。もちろん大甘口の予測で失笑されたら何にもなりませんが、せめて1ヶ月の労働時間を200時間未満に押さえ込むぐらいの目標を立てても良かったかと思います。
現状が余りにもトンデモ過ぎて、200時間なんて現場を知る産科医なら痴人の夢と一笑されるのかも知れませんが、20年後の予測ですから「そこまで改善する可能性ぐらいはあるんだ」の夢を与えても罪にはならないような気がしないでもありません。現状の過酷さは産科に限ったものではありませんし、精一杯の夢を紡いでもこの程度とも考えられますから、やっぱり夢が無い話にしかならないのでしょうか。