続30分ルール

2008.4.16付の30分ルールをできたら参照して欲しいのですが、まず30分ルールが発生したと言われるアメリカの見解です。ある産科の有力者からの情報提供です。

 いわゆる「30 分ルール」の存在がある。そのような基準ないしガイドラインはわが国には存在しない。これは米国での議論が不完全な形で輸入されたものである。以下のその事情を述べる。American Academy of Pediatrics(アメリカ小児科学会) とAmerican College of Obstenicians and Gynecologists(アメリ産婦人科学会) が2002年に発行した書籍であるGuidelines for perinatal care(周産期ケアのガイドライン) にはいわゆる"30-minites rule" 「30分のルール」が記載されている。これは、分娩取り扱い施設に対し、帝王切開術の決定から施行まで30分以内で行うことが可能な能力を求めるものである。「分娩を取り扱うすべての病院は緊急帝王切開術が実施可能であるべきである。看護師、麻酔担当者、新生児蘇生チームのメンバー、産科医を含む必要な人員が院内にいるか、すぐに対応できる状態にあるべきである。産科医療を供給する病院はすべて産科救急への対応能力をもっているべきである。

 処置のタイミングとその結果の関係に関ずるデータは存在しないし、今後も得られる可能性はほとんどないが、一般に、病院は帝王切開実施の決定から手術を開始するまで30分以内に行う能力を有しているべきであるというのがコンセンサスとなっている。帝王切開術の適応の中には、30分以上の余裕が十分にあるものもあるが、逆に前置胎盤の出血、常位胎盤早期剥離、臍帯脱出、子宮破裂等のようにより迅速な児娩出が必要な可能性のあるものも含まれている。」(Guidelines for perinatal care p146-147)

 しかし、これには多くの異論がある。全く同一の団体が発行している別の図書には以下のような記載がある。「この時間制限は、病院の産科病棟が迅速に麻酔、手術室、看護師、産科医、新生児蘇生術などを提供できる能力を持っことが望ましいとの意図をもって決められた暫定的で任意的なものである。臍帯脱出や子宮破裂のような一定の状態ではできるだけ迅速に帝切がなされなければならない。しかし分娩誘発の失敗、会娩進行停止などのある種の状態に対しても同様に30分以内に帝切をすることは必ずしも必要ではなく、また望ましいことでもない。」(Anlerican Clollege of Obstctricians and Gynecologists, American Academy of Pediatrics,2003:Neonatal Encephalopaty and Cerebral Plasy p,35。

 帝王切開を決定してから児を娩出するまでに要ずる時間として、30分以内という数値が示されているが、それはあくまでも目安である。この30分という数値は「標準的な時間」として示されているわけではなく、現状では一般の分娩取り扱い施設においては努力目標と考えるべきである。

少々長いのですが、アメリカでさえ

    この時間制限は、病院の産科病棟が迅速に麻酔、手術室、看護師、産科医、新生児蘇生術などを提供できる能力を持っことが望ましいとの意図をもって決められた暫定的で任意的なものである。
アメリカの医療のピンキリの差は凄まじいので、リッチなところでは30分どころか10分ぐらいで緊急帝王切開が出来るところもあるとは聞きますが、アメリカの産科医療といえどもすべての分娩施設で「30分ルール」の達成など夢のまた夢であるという事です。理想と現実の落差がかなりあるアメリカの「30分ルール」を取り入れてしまったものの一つが日本産科婦人科学会産婦人科医療提供体制検討委員会の平成19年4月12日付け最終報告書「わが国の産婦人科医療の将来像とそれを達成するためめ具体策の提言」に見られます。

 緊急時の体制の整備:多様な分娩施設を許容しつつ安全性を確保するために、分娩を取り扱うすべての施設で、急変時に迅速に帝王切開を含む急速遂娩による児の娩出が可能な体制の整備を行っていく。すべての分娩施設には緊急時の体制に関する情報公開が求められる。努力目標としては30分以内に帝王切開が可能な体制を目指していくが、その達成には産婦人科だけでなく麻酔科、手術室の体制を含む施設全体の対応が必要である。

  1. 必要な人的整備及び施設整備を目的とした公的補助が地域分娩施設群に対して行われるべきである。
  2. 地域分娩施設群を構成する施設間の連携により緊急時の体制が整備された場合は、診療報酬の面で優遇措置がとられるべきである。

もちろんアメリカの「30分ルール」を何も考えずに直輸入したわけでなく、提言として理想としては望まれる「30分ルール」体制の整備できたところを

    診療報酬の面で優遇措置がとられるべきである
言わば「30分ルール」可能施設をスペシャル分娩施設として優遇し、優遇する事によって整備の呼び水にしようと言うぐらいの「努力目標」です。学会の整備目標の趣旨は行政も理解していないわけではなく、平成19年7月20日付医政指発第0720001号「疾病又は事業ごとの医療体制について」地域周産期母子医療センターの項目に、

(エ)医療従事者

以下の医療従事者を配置するよう努めることが望ましい。

  1. 産科及び小児科(新生児診療を担当するもの)は、それぞれ24時間体制を確保するために必要な職員
  2. 産科については、帝王切開術が必要な場合30分以内に児の娩出が可能となるような医師及びその他の各種職員
  3. 新生児病室には、以下の職員
(a)24時間体制で小児科を担当する医師が勤務していること。

(b)新生児集中治療管理室には、常時3床に1名の看護師が勤務していること。

(c)後方病室には、常時8床に1名の看護師が勤務していること。

ここでも「努めることが望ましい」の努力目標にされています。さすがに義務とするには現実との乖離が大きすぎるためだと考えます。ここに3/5付タブロイド紙ですが、

帝王切開周産期センター「30分で手術可能」3割

 全国の周産期母子医療センターの約3分の2が、国の整備指針に反して「(必要と診断されてから)30分以内の帝王切開手術」に対応できない場合があることが、厚生労働省研究班(主任研究者、池田智明・国立循環器病センター周産期科部長)の調査で分かった。産科医よりも麻酔科医の不足がネックになっており、厚労省が年度内に見直すセンターの指定基準に麻酔科医の定員を明記するよう求める声が出ている。

 調査は昨年3月、全国の総合周産期センターと地域周産期センターに行い、130施設の回答を調べた。

 国の指針では、地域センターは30分以内に帝王切開ができる人員配置、総合センターにはそれ以上の対応を求めている。だが「いつでも対応可能」と回答したのは総合センターの47%、地域センターの28%にとどまり、48%は「昼間なら対応可能」、17%は「ほぼ不可能」と答えた。

 対応が遅れる最大の理由は「手術室の確保」(43%)だったが、人的要因のトップは「麻酔科医不足」(25%)で、「産科医不足」(17%)、「看護師不足」(14%)より多かった。54%の施設は当直の麻酔科医がおらず、緊急の帝王切開では執刀の産科医が麻酔もかけているセンターが16%あった。

 麻酔科は産科、外科などと並び医師不足が深刻とされるが、帝王切開で通常かける麻酔の診療報酬が全身麻酔の場合より著しく低いため、特に周産期医療の現場に集まりにくいとの指摘がある。

 分析に当たった照井克生・埼玉医大准教授(産科麻酔科)は「リスクの高い妊婦を受け入れるセンターには産科手術専属の麻酔科医の配置を義務付け、人員確保がしやすいように診療報酬を加算すべきだ」と訴えている。【清水健二】

まずですが

全国の周産期母子医療センターの約3分の2が、国の整備指針に反して「(必要と診断されてから)30分以内の帝王切開手術」に対応できない場合がある

この、

    国の整備指針に反して
この「国の整備指針」が何かなんですが、平成19年7月20日付医政指発第0720001号「疾病又は事業ごとの医療体制について」の中に書いてある、

医療機関に求められる事項

 母子保健通知の「周産期医療システム整備指針」第2(1)総合周産期母子医療センターの項を参照されたい。

これの原文は周産期医療対策整備事業の実施について(平成8年5月10日児発第488号)になります。内容は平成19年7月20日付医政指発第0720001号「疾病又は事業ごとの医療体制について」とほぼ同じになります。平成8年といえば1996年になりますから記事にある

調査は昨年3月

この時期でも12年前の「国の整備指針」の調査となります。12年前の通達が現在も達成できていないのロジックは時期的には成立します。ただこの整備指針の「周産期医療システム整備の趣旨」にも、

 一方、我が国においては、産科分娩施設での人員配置や検査能力における施設間格差があり、また、平日と夜間及び休日との格差が大きいこと、未熟児出生の増加に伴い、新生児医療を担う専門施設の整備が急務となっていること、また、周産期医療の中でも、医師の管理下における母子の救急搬送や医療施設相互間の連携等情報の伝達が必ずしも十分でないこと、さらに医療施設の機能に応じた整備が不十分であることなど、周産期医療体制に多くの課題を抱えている。

 このような状況の中で、地域においては、周産期医療に係る人的・物的資源を充実し、高度な医療を適切に供給する体制を整備することが要請されている。

 このため、都道府県において、医療関係者等の協力のもとに、地域の実情に即しつつ、限られた資源を有効に生かし、将来を見据えた周産期医療システムの整備を図り、これに基づいて地域における周産期医療の効果的な提供を図るものである。

国の整備指針の策定の経過まで検証できませんが、整備指針を作る時に「理想」と「現実」の両方が盛り込まれたのは間違いありません。整備指針の中に「30分ルール」も盛り込まれていますが、「30分ルール」の整備目標はあくまでも「努めることが望ましい」です。この表現は「理想」として盛り込まれた整備指針と考えるのが妥当です。理想だから達成に努力をしなくても良いと言うわけではありませんが、あくまでも、

    都道府県において、医療関係者等の協力のもとに、地域の実情に即しつつ、限られた資源を有効に生かし
地域の事情と限られた資源の中で「出来るなら実現して欲しい」程度の努力目標と考えるべきものです。努力目標の優先順位は現実として必要とされる整備目標よりも優先順位は下がります。たとえば現実目標として優先されるのは、施設しての総合及び地域周産期センターの設立です。努力目標は現実目標がまず達成されてから「限られた資源」から達成を努力するものと解します。

たとえばと言うほどのものではありませんが、現在の周産期センターの一覧を見れば分かりますが、山形県佐賀県には周産期センター自体が存在しません。当然ですが整備指針があるにしてもまず優先される事は、いきなり「30分ルール」を満たす施設を作る事ではなく、周産期センター自体をまず作る事が最優先されます。

それと平成19年7月20日付医政指発第0720001号「疾病又は事業ごとの医療体制について」でも冒頭に、

 疾病又は事業ごとの医療体制を構築するに当たっては、それぞれに求められる医療機能を具体的に把握し、その特性及び地域の実情に応じた方策を講ずる必要があることから、下記のとおり、それぞれの体制構築に係る指針を国において定めたので、新たな医療計画作成のための参考にしていただきたい。

 なお、本通知は医療法(昭和23年法律第205号)第30条の8に基づく技術的助言であることを申し添える。

お役所文の解釈は時に一般常識を超越しますが、素直に読めば整備指針と言う目標は国は設定するが、後は地域の実情に合わせて「出来るだけ近づけてください」と読めます。決して義務では無いという事です。


「30分ルール」の実現体制のハードルは非常に高いものがあります。非常に粗い試算をしておけば実現のために必要な体制は、

  1. 24時間365日、手術室が「30分ルール」のために確保されている事
  2. 24時間365日、院内に産科医2名、麻酔科医、手術室看護師2名が常時スタンバイしている事
  3. 24時間365日、上の条件に加え常時NICU病床及び新生児科医が院内にスタンバイしている事が望ましい
なんと言っても「30分」ですから、院外のスタッフを呼び集めていたら間に合いませんから、上記の条件が院内に常にそろっている必要があります。さらに「30分ルール」が必要な症例は連日連夜発生するわけではありません。さほどの頻度で発生するわけではない「30分ルール」体制維持のために、それだけの設備・人員を余裕として含ませておく必要があります。簡単に言えば金がかかります。

ついでに言えば、そういう体制を組んだとしても緊急帝王切開の費用は変わりません。あくまでも病院の持ち出しとして体制を維持する必要があります。病院経営はどこもシビアでなのは周知のとおりで、現在ではとくに厳しく指摘され改善を要求されます。経営的にはインセンティブが乏しい「30分ルール」の整備ですが、あえて言えば負のインセンティブはあります。言うまでも無く訴訟での「30分ルール」の絶大な威力です。

つまり周産期センターにとっての「30分ルール」整備の意味は、負のインセンティブを考慮して日常経営的にはジリ貧の体制構築を選択するか、地雷原を歩きながら訴訟によるドカ貧のリスクを選択するかになるということです。そういう点で整備指針にある「努めることが望ましい」はあくまでも周産期センター側の自助努力としての整備を要求しており、「30分ルール」整備のために日産婦が提案するような診療報酬優遇によるインセンティブは行なわれていません。

そういう事情を考慮すると記事にある、

「いつでも対応可能」と回答したのは総合センターの47%、地域センターの28%にとどまり、48%は「昼間なら対応可能」、17%は「ほぼ不可能」と答えた。

この成績は非常に優秀なものだと考えています。首都東京の総合周産期センターである墨東病院を見ればわかるように、産科医の確保さえ四苦八苦状態なのが現実です。麻酔科医だって、がん治療や循環器医療の総本山である国立がんセンターや国立循環器センターでも不足に苦しんでいます。そんな現実の中でこれだけの達成率は驚異的と言う見方も出来ます。

後はオマケですが、

分析に当たった照井克生・埼玉医大准教授(産科麻酔科)は「リスクの高い妊婦を受け入れるセンターには産科手術専属の麻酔科医の配置を義務付け、人員確保がしやすいように診療報酬を加算すべきだ」と訴えている。

どこでもこういう識者なり関係者がもっともらしいコメントを残すのですが、

    産科手術専属の麻酔科医の配置を義務付け
全国の医師の失笑を買っているコメントです。なんと言っても「義務付け」ですからね。現在総合周産期は75施設、地域周産期は236施設あり、合わせると311施設です。24時間365日体制で「30分ルール」に対応しようと思えば、まともにやれば7人の麻酔科医か最低必要です。そうなれば2177人の麻酔科医が「産科手術専属」で必要になります。

ちと古いですが2007年時点での麻酔科認定医(指導医等も含む)は約1万3000人程度です。この1万3000人が実動戦力かと言えばそうではなく、前にyouri様から頂いたコメントがあるのですが、

麻酔科医が携わっている業務も手術麻酔だけではなく救急・ICU・ペインクリニックなどがあり、パートタイマーや、研究・教育・管理職・留学・休職・退職後の医師も認定医数に数えられているため、フルタイム勤務換算の手術部実働部隊数を出すのは困難なのですが、友人・知人の近況や自県の手術部実働部隊数を数えてみて、とりあえず認定医数/2で計算してみました。

そうなると手術室実働部隊は7000人足らずです。この7000人弱の麻酔科医の負担は前にマップにした事があるので再掲しますが、



ここから2000人以上の麻酔科医を「産科手術専属」で「義務付け」で引き抜けばどうなるかなんて、埼玉医大准教授(産科麻酔科)ぐらいなら知っておいても良いことだと思います。もっとも埼玉医大准教授(産科麻酔科)が本当はどんな真意でコメントされたかは「まったく」不明です。おそらく全然違う真意であった可能性が非常に高いと考えていますが、タブロイド紙にうっかりコメントしたのは失策とは言えるでしょう。

ただなんですが、まさかと思いますが、埼玉医大准教授(産科麻酔科)のコメントの真意が、各施設1人の「産科手術専属麻酔科医」を配置し、この麻酔科医が24時間365日病院内に泊り込んで「30分ルール」実現のために尽くすなんて事は無いと信じたいと思います。確かにこれなら311人の麻酔科医の動員で済みます。未だにそういう発想を実践される方や、自分はしませんが他人には平気で求められる方は、教授クラスを中心に医師でも結構残っておられますから可能性としてはあげておきます。