念のためはどこまで必要か

昨日の神戸新聞を読んでいると目に留まった記事です。

高砂市民病院で点滴治療を受けた同市内の主婦(59)が死亡したのは同病院が健康状態の把握を怠ったためとして、遺族が五日までに、病院を運営する高砂市に対し、総額約二千四百万円の損害賠償を求める訴えを神戸地裁姫路支部に起こした。

 訴状によると、主婦は今年二月十日、右足の人さし指が紫色にはれたため高砂市民病院に入院。点滴治療を受けたが、頭痛を訴えたため治療を中断した。その後、病院は健康状態を把握する検査をしないまま別の薬で点滴を再開したが、容体が急変し、検査でくも膜下出血が判明。加古川市の病院に移り手術を受けたが、同二十四日に死亡したとしている。

 原告側は「病院は副作用などを防ぐ措置を怠った。健康状態を把握する検査をせずに、薬を変えただけで点滴を再開したのは重大な過失がある」と主張。病院側は「弁護士と対応を協議しておらず、現段階ではコメントできない」としている。

お決まりの医療事故の記事です。お決まりはお決まりなんですが、読んでもさっぱり事実関係が良く分かりません。もちろん速報段階の記事なので、情報収集が十分でないのはわかりますが、それにしても抜けている部分が多すぎて全体像がほとんどつかめません。この限られた記事から事件の全容強引に組み立てると、

  1. 入院治療をしなければならないほどの右足の人差し指だけの紫色の腫れが起こった。
  2. 医師は右足の人差し指だけの紫色の腫れの原因をある程度推測した上で点滴で治療薬を投与した。
  3. その治療薬の投与中に患者が頭痛を訴えたため、薬の副作用の可能性を考え中止した。
  4. 医師は他の治療薬に切り替え治療を再開した。
  5. ところが容体が急変したため検査をしたところくも膜下出血がある事が判明した。
  6. 他院に転送したが患者は死亡した。
いなか小児科医先生のブログでも取り上げておられ、医者なら知っておきたいポイントをしっかり挙げて下さっているので引用させて頂きます。
  1. どういう病気で右足の人差し指が腫れたのか?
  2. それに対しどういう治療をおこなったのか?(具体的には点滴の内容)
  3. 頭痛はどういったものであったのか?(くも膜下出血を疑わなければならないような危険な頭痛であったのか?)
  4. 変更した治療薬は何であったか?(くも膜下出血を助長させるようなものであったか?)
  5. 容体が急変するまでの時間は?(頭痛と容体急変との間の因果関係はあるのか?)
  6. この治療を受けなかった場合、右足の人差し指はどうなっていたと考えられるのか?
  7. 患者さんには何らかの基礎疾患がなかったのか?
このあたりのことは訴訟の場において争われていく問題なので、医者として「私も知りたい」ぐらいのコメントに留めさせていただきます。

ところで事件の全容は不明の部分が多いのですが、記事では医者の責任部分をクリアに掲載しています。要するに頭痛があったのに「健康状態を把握する検査」を怠ったという点です。結果から推測すれば、最初の点滴中に起こった頭痛がくも膜下出血の症状であった事は誰でも分かります。では「健康状態を把握する検査」とは何を具体的に指すのでしょうか。私の知識の範囲では頭部CT検査ぐらいしか思い浮かびません。他にくも膜下出血を見つけ出す検査が思い浮かばないからです。

ここでもし判決が「初期の頭痛の段階で頭部CT検査を行わなかったのは怠慢である」となれば、後が大変な事態になるのは予想されます。頭痛を訴える患者がいて、その時に頭部CT検査を行わず、後でくも膜下出血がある事が判明すれば、すべて訴訟の対象になる可能性が出てきます。頭痛=頭部CT検査がセットであるとの判例となれば、通常の診療所レベルでは頭痛は診療が出来なくなります。病院であっても頭痛を訴える患者がいれば、すぐさま頭部CT検査をする必要が出てきます。これは年齢、基礎疾患の有無には関係なく必要となります。

頭痛症状に熟達の医師であればかなりの部分の選別は出来るでしょうが、それでも見落としをゼロにする自信がある医師は数少ないかと思います。少なくとも私レベルでは到底無理です。また発熱による頭痛と見えても、同時にくも膜下出血などを併発している可能性はゼロとは言えません。

今朝の記事は情報が少なすぎるので良く分かりませんが、こういう記事を読んでいるとどこまで「念のため」をしておけば良いのか不安に駆られる事になります。私も一生のうち一度ぐらい、ただの頭痛としか見えないものが、実はくも膜下出血の頭痛であったという事に遭遇する可能性があります。その時に絶対間違わない自信は残念ながらありません。他の病気でも類似の事は数え切れないぐらいあります。

現在の風潮は結果から過程を検証しますし、結果から検証すればまず間違い無く検査、治療の不備な点は出てきます。そこで「○○が起こる可能性を考え××をしていないのは怠慢である」との結論を導き出される世界に日々恐怖を高めています。とは言え、うちのようなしけた診療所ではその場で出来る検査なんてごくごく限られています。どうしてもその時の症状から考え出される可能性の、限られた部分にだけしか対処が不可能です。こぼれた部分から滅多に無い事がおき、不幸な転帰をたどれば訴訟の危険が出てきます。

滅多に無い事を減らそうと思えば、相当手広く検査と治療の網を広げなければなりません。でもそんな事をすればどうなるかは、皆様良くご存知の事と思います。念のための範囲をどこまでするのが、一番安全で安心な治療なのかを最近良く自問自答しています。なんと言っても求められているのは100%であって、99.99%ぐらいの粗い確率では駄目ですからね。