偏在化と言うより不足のような気が・・・

7/17付神戸新聞より抜粋、

兵庫県内の病院で、二〇〇五年度に勤務した医師の総数は、〇一年度に比べ約三百人増えたものの、二百床未満の中小病院などに限ってみれば平均〇・四人減っていたことが、十六日までの神戸新聞社の調査で分かった。逆に、二百床以上の総合病院では平均六・五人の増加。中小の病院が医師確保に苦しむ一方、大病院に医師が偏在、機能集中も進む現状が浮き彫りになった。

この記事の数字の検証をまず考えてみます。残念ながら知っている範囲の基礎数字が大雑把なので、その辺は厳密さを欠くのはお許しください。まず日本の医師数は年間でおおよそ6000人増え、3000人減り、差し引きで3000人増える事になっています。5年間の期間がありますから、その間の医者の増加数は約15000人。一方で兵庫県の人口が約560万人、日本の人口が約12700万人ですから、兵庫県の日本に占める人口比は4.4%。この割合で医者が増えるとすれば、兵庫県の医者の増加数は約660人程度が妥当と言う事になります。

医師の増加数のうち開業したものも5年間には300人程度いても不思議はありませんから、勤務医の増加数の約300人はまずは妥当な数字ではないかと考えます。開業医数の推移を示すデータが見つからなかったのでやや根拠は曖昧ですが、勤務医数の増加数は「それぐらいかな」と納得できない数字のような気はします。強いて言えばやや少ないかなと言う印象があるぐらいです。少なくとも多すぎると言う印象はありません。

でもって神戸新聞が血相を変えて指摘しているのは、勤務医の増加した病院が200床以上の大病院に偏り、中小病院ではむしろ減っていることです。だから「偏在である」との結論です。数字上ではそうですが、読むと相当違和感の残る論旨のように感じます。あまりにも短絡的というか、視野の狭いと言うか、数字だけ見て結論ありきの感触が相当残ります。

大病院とは言え無制限に医者を雇えるわけではありません。医療経営においてもっとも経費のウェイトが高いのは医者の人件費です。医者の数を増やすのなら、それに見合うだけの医療収入が期待できないと医者を雇いません。雇うからにはそれだけの目算があって医者の数を増やしたのは言うまでもありません。つまり大病院も医者の数が足りないので雇用数を増やしたと言うことです。

医者が医局のしがらみ抜きで就職先を考えた時、設備人員の整った病院とそうでないところでは、当然設備人員の整った病院の方に惹かれます。別にこれは医者の就職でなくてもどんな職業でも当てはまります。そこに需要があればまずそこを充足するように医者は流れます。設備人員の劣ったところは、大病院が充足されたその次に充足されるのは理の当然です。逆転現象が起こるほうがかえって不思議です。

このデータで中小病院の医師の数が減っているのは、大病院に医師が偏在したと言う解釈よりも、医者の増加数が病院の医師需要を下回っていると考える方がよほど妥当です。患者の大病院指向は今に始まった事ではありません。大病院指向で医療需要が増えた分だけ大病院の医師需要が増え、その医師需要増加数は兵庫県の医師増加数を上回っていると言う事です。上回っているだけではなく、中小病院から医師を引き抜かないと満たせない状態であると考えられます。

つまりは医者の数が足りていないと言う結論になります。医者の数が足りていれば、いくら医者が大病院への勤務の望んでも定員に限りはあり、あぶれた医者は自然に中小病院に流れていきます。あぶれず逆に中小病院から大病院への移動現象があると言うのなら、偏在ではなく単なる不足に過ぎないと言う事です。

それにしても神戸新聞は何を言いたいのか分からないところがあります。大病院の医師増加を偏在と言うのなら大病院の医師数を減らすと言うのが正論となります。需要に足りないから医師数を増やしているのに、そこを減らすとどうなるかの視点はまったくありません。大病院とは言え医師が減ればそこでの勤務環境は即座に苛酷な物に変質します。当たり前ですが、患者の医療需要に応じきれなくなるのは算数レベルの問題です。

厚生労働省プロパガンダである「医師の偏在化」はマスコミのドグマとして浸透している事はよく分かりました。なんでもかんでも最後は「偏在化」というキーワードに結び付けて話を結論付けようと言う事なのでしょう。あくまでも不足でなく偏在であると言う結論しか出さないのであれば、こんなデータ一つでもこれほどの解釈の仕方が変えられるものだと感心してしまいました。