病院勤務医の偏在

偏在を示す指標に各都道府県の人口比を用いるのは異論があるのは承知していますが、現在の統計情報では他に適当な物指しがないので用います。手法は現研修医制度による医師偏在の原因の時に用いたものと基本的に同じですが、改めて解説しておきます。


分析法

基本ソースは医師・歯科医師・薬剤師調査です。ここには1996年度から2年おきに2010年度までの医師数が集計されています。現研修医制度は2004年度から導入されていますが、2003年度のデータがありません。そこで近似値的に2002年度と2004年度の中間値を2003年度データとします。そうしておいて、

    旧研修医制度時代:1996-2003年度
    現研修医制度時代:2003-2010年度
こうします。どちらも7年度分の変化になります。病院勤務医は医師・歯科医師・薬剤師調査では
  • 病院及び法人の代表者
  • 病院の勤務者
  • 医育機関の勤務者


    • 臨床系の教官又は教員
    • 臨床系の教員又は教員以外の従事者
「臨床系の教員又は教員以外の従事者」には基礎系も含まれるとは思いましたが、一方で院生も含まれていると考えられ単純に合算しています。ちなみに「臨床系の教員又は教員以外の従事者」は2010年度で病院勤務医180966人のうち22695人となっており、これがすべて基礎系とはちょっと思いにくかったためです。なお病院勤務者には介護施設の医師数は含んでいません。

こうしておいて

  1. 旧研修医時代、現研修医時代の医師数の増加を計算する
  2. それぞれの時代の合計増加数を


      旧研修医時代は2003年度の人口比で各都道府県ごとに配分計算をする
      現研修医時代は2010年度の人口比で各都道府県ごとに配分計算をする
この配分計算が偏在の指標となります。人口比と同じ医師が増えていればプラマイ・ゼロです。プラスになれば人口比より多く偏在した事になり、マイナスになれば少なく偏在した事になります。なお、

時代 期間 増加病院勤務医数
旧研修医制度 1996-2003年度 13208人
現研修医制度 2003-2010年度 19559人


この人数の配分の偏りになります。


グラフ

47都道府県ものはどうやったってグラフは見難いのですが、どうぞ、

医師数をやった時と同様に東京への偏在傾向が著明となっています。見様によっては沖縄も凄まじくて、東京の人口の約1/10ですから東京人口換算で6000人近く偏在している事になりますが、今日はあえて置いておきます。東京がどれぐらい医師を増やしたかですが、新研修医制度時代の増加数は19559.0人です。このうち東京は4030.5人で20.6%になります。旧研修医制度時代が11.1%ですから倍増と言う事になります。

東京偏在の影響を受けた道府県は多いのですが、一番目に付いたのは北海道で、旧研修医時代は256.3人のプラスの偏在で実数なら日本最高であったのが、新研修医制度になってからマイナス354.0人と日本最低になっています。逆に神奈川は旧時代はマイナス389.1人で日本最低であったのが、現時代は393.0人と東京、沖縄に続くプラスの偏在県となっています。マップを示しておきます。


医育機関の医師の影響

医育機関とは平たく言うと大学病院勤務医ですが、東京には12の大学病院があり、これの影響があるとの指摘がありました。大学病院の勤務医の評価は難しいところがあるのですが、ここは単純に大学病院以外の勤務医数で評価して見ます。グラフです。

かなり違った様相にはなっています。まず一目で判る事は旧時代より現時代の方が偏在傾向が促進されている事です。勝ち組、負け組の色分けが鮮明になっているとして良さそうです。さすがに東京の1人勝ちとは必ずしも言えないとは思いますが、相変わらずかなり偏在しているのは間違いありません。面白いと思ったのは東京の大学病院とその他の病院の医師数の関係で、増加実数で言えば、
    医育医療機関:1583.5人
    その他の病院:2447.0人
研修医の東京偏在の影響でしょうか。もちろん研修医が増えた分だけ指導医も比例して増えるわけですから、その辺もあるのかもしれません。あとはたまたまの一致かもしれませんが、茨城・栃木・群馬・埼玉と東京の偏在の関係です。ちょっと表にしておきますが、

都県 偏在
茨城 -156.8 -1010.6
栃木 -186.5
群馬 -159.5
埼玉 -508.0
東京 979.3


茨城・栃木・群馬・埼玉も旧時代はプラスの偏在でしたから、地理的に考えると東京に吸収されたと見えない事もありません。では最後に全国マップを
マップを見れば見るほど痛感するのですが、東京の求心力と言うか、吸引力は物凄いと素直に感じます。とくに東日本においては圧倒的な感じです。西日本も影響はありますが、この辺は歴史的・文化的風土もあると思っていますが、二段か三段落ちる感じです。直撃は北関東から、東北、北海道と言ったところでしょうか。上越新幹線を通した新潟もそうかもしれません。

旧研修医時代に散々批判された大学医局制度ですが、批判の的であった封建的な人事支配が皮肉にも東京の吸引力に対する防波堤になっていた気がしないでもありません。あれぐらい強力な支配を行って初めて東京とやっとこさ対峙できる感じです。ま、幸か不幸か大学医局は弱体化し、それだけではなくかつての封建支配の気風も不可逆性の段階の変質をしていると仄聞します。

こういうのもある種の社会実験なんでしょうねぇ。