東京偏在傾向基礎データ編

 昨日の現研修医制度になってからの東京への医師の偏在傾向は今週の予定をぶち壊してくれました。本来は研修医制度が変わる前と変わった後の医師の流れを見て、前期研修のマッチ者数との相関性なんて話にもっていくつもりでした。それがあれだけ東京に一極集中されると、分析もクソもなくってもたと言うところです。お蔭でマッチ者数の分析のために地道に積み上げたデータがほぼボツです。あの苦労は「なんだったんだ?」てなところです。

 週末の準備が吹っ飛んだので、今日はお茶を濁させて頂きます。東京データの基礎的なところをチョット紹介しておきます。

項目 全国増加医師数 東京増加医師数 東京人口比
配分医師数
過不足
1996→1998 6636 512 620.7 -108.7
1998→2000 6268 917 595.8 321.2
2000→2002 6373 430 611.1 -181.1
2002→2004 7094 1703 687.7 1015.3
2004→2006 6872 906 680.9 225.1
2006→2008 8357 2012 840.2 1171.8
2008→2010 8534 1936 876.9 1059.1

 2年毎の医師調査に合わせて再計算しています。白色背景のところは旧研修制度時代、赤色は現研修医制度時代で、黄色の背景は2004年度から現研修医制度が始まっているので混在ぐらいの意味合いです。2年毎でもバラツキはありますし、全国医師数増加も差はあるのでもう少し補正をかけるべきかもしれませんが、それでも一目で旧研修医制度時代と現研修医制度時代で医師数の増加ペースが異なっているのがわかると思います。

 旧研修医制度時代の医師でも東京への憧れはあったはずですが、むしろ謙抑的であったと言えそうです。ちなみに、この時代の1996−2002年度の7年間の東京の医師増加実数は1859人です。それが2002-2004年度の2年間だけで1703人増えています。旧研修医時代の7年分を2年で集めた事になります。

 2004年度から2006年度は増加数がなぜか足踏みしています。理由は不明です。2002年度から2006年度だけの説明なら、2002-2004年度間の増加は現研修医制度対応のために東京の大学が必要な指導医を東京以外から引き上げた結果であり、2004-2006年度はそれが落ち着いたと言えなくもありませんが、次の2006-2008年度、2008-2010年度の増加の説明が難しくなります。

 2006-2008年度・2008-2010年度の説明をあえてするなら、いわゆる後期研修に再び集まる傾向を示しているのかもしれません。ただなんですが、研修医で説明しようとすれば、前期研修は2年間、後期研修も2年間ですから、研修終了後も居残っている事も意味します。後期研修後にそこに居つくパターンはいかにもありそうですが、それだけですべてが説明できるかは疑問です。ここは個人の調査ではどうしようもありません。


項目 2002 2004 2006 2008 2010 増加数
東京10万人対医師数 253.7 264.2 265.5 277.4 285.4 31.7
全国10万人対医師数 195.8 201.0 206.3 212.9 219.0 23.2
東京 − 全国(10万人) 57.9 63.2 59.2 64.5 66.4 8.5
東京の医師数 30995 32698 33604 35616 37552 6557

 東京は言うまでもなく1300万人超える大都市ですから、6557人程度の医師が増えたとしても、人口10万人対では31.7人しか増えていません。全国平均も増えていますから、その差を8.5人増やしたに過ぎないと言う事です。ここでお断りしておきますが、この数で東京の医師が足りているかどうかは全く別の次元のお話です。東京は東京の医療だけを賄っているわけでなく、少なくとも南関東のかなり広域を医療圏としてしています。そういう観点で本当に必要な医師数はどれほどかは専門家の分析に委ねます。


 そんな事とは全然違うことを思い浮かべていました。埼玉と千葉です。本当は茨城も入れるべきなんでしょうが、分析をやったのが埼玉と千葉だったので2つを思い出しています。この両県で2010年時点で全国平均の医師数への不足数は埼玉で5500人、千葉で3400人です。合わせて9000人ぐらいになります。さらに人口は合わせておよそ1300万人ぐらいで東京と同じぐらいになります。

 埼玉と千葉に現在の東京と同じような偏在現象が起こったとしても、まだ2500人ぐらい足りない事になります。それでもかなりは解消する事にはなりますが、埼玉と千葉に東京現象が起こったとして、東京が増えないなんて事がありうるだろうかです。どう考えても東京にも現在の現象が起こった上、いや東京にはさらに輪をかけた超東京現象が起こるとするのが自然かと思います。

 そんな事が東京、埼玉、千葉に起こるとそれ以外の道府県の悲惨さは考えたくもない事です。東京一つでも影響は昨日示した通りですから、これが2個以上も同時に起これば空恐ろしいです。とは言え、東京に起こらず埼玉、千葉だけに起こるシチュエーションはかなり難しいとしか言い様がありません。そう言えば東北6県と北海道も合わせれば1500万人ぐらいいますが、ここに東京現象がもし起こった時には・・・考えるのはやめておきます。


 そうそう東京への偏在のもう少し細かい分析は医師の年齢構成とか病院従事者数・診療所数をやればわかるはずですが・・・やる気が出ればそのうちやるかもしれないぐらいにしておきます。データを引っ張り出して処理するのが気が狂うほど大変だからです。ですからただの感想です。現研修制度が導入されてから変わった医師の意識は様々にありますが、とくに現研修医制度以降の医師は自由を手に入れたのだと感じています。

 旧研修制度時代であった自由は極端に言えば医局を選ぶ自由だけです。後は医局人事が勤務医を終えるまで付いて回ります。ところが現在では前期・後期・就職を通じて広い選択権があります。そうやって「どこでも選べる♪」と言う状況を与えられたら人はどこに向かうだろうかです。一般的に研修医は若いですから、若者はごく自然に都会に憧れ、都会の中でもダントツである東京を目指すんだろうと。

 これは医師だけに特殊な意識とは言えないと思っています。若者一般に普遍的にあるものです。ですから現実として東京の人口は増え続けています。2002年からでも100万人ぐらいは増えています。そういう東京指向が自由に考えられて、なおかつ東京に就職先が得やすいのなら起こる事は誰でもわかるだろうと言うところです。私だって若かったら一度は東京を目指した・・・と思います。

 それでも東京だって医師のキャパシティに上限はきっとあるはずですから、そのうち溢れるはずです。そう期待したいのですが、もし医師の交代勤務制が実現するとすればやはり東京からでしょう。交代勤務となれば必要数の上限はまた跳ね上がり、満たされる日は私の孫の世代ぐらいまではかかるかもしれません。それ以前に高齢化による在宅医需要が、これから東京でも鰻のぼりになるの予想も確実性が高いですから、満たされ溢れる日はいつの事なんでしょうか。


 最後に蛇足ですが、現研修医制度導入による、ここまでの大きな流れは戊辰戦争とは関係ないかと存じます。まさか現研修医制度の導入まで戊辰戦争の影響と神様でも言いますまい。いや、言うかな? 明治維新になって人々が自由に往来できるようになったから、その結果が今日の現状を招いたとか。ほいじゃ医学部数はどうでしょう。東京には確か12の医学部があったはずです。これが東京への医師定着に強力に作用していたら、今よりもっと強い偏在現象が起こるはずです。

 もうどうでも良いような神の声ですし、それもまた言論の自由ですしねぇ。