マスコミの怖さ

ライブドア関連のニュースが連日紙面を飾っています。内容は言うまでもなく「非難」の嵐です。日本中のメディアというメディアが憑りつかれたかのように「これでもか」とばかりに書き立てています。あれだけ毎日書かれて放送されれば、人はいやでも信じ込みます。

しかしまだ堀江前社長は「容疑者」です。たしかに疑わしい行為はあったでしょうし、あったからこそ東京地検特捜部が動き、操作逮捕に至ったのは間違いありません。それでもまだ「容疑者」です。犯人かどうか決めるのはマスコミではなく司法の場であるはずなんです。

最終的には有罪である可能性は高いかもしれません。しかし殺人の現行犯で逮捕されたわけではありません。こういう経済犯罪は部外者にとってはよく仕組みが分からないところもあり、素人は書き方一つで極悪人のように感じてしまいますが、ああいうものは別の角度から書けば全く違うイメージになると思います。

日本に限らずかもしれませんが、人を裁けるのは法治国家では司法だけです。ところがマスコミは司法が判断を下す前に「判決」を安易に下します。下すどころかマスコミの判決と司法の判断が異なっている時には司法まで裁こうとします。これってどこか行き過ぎのような気がしないでもありません。

少なくとも現在の日本の司法には、まったく問題は無いとは言いませんが、かなりの人間が信頼を置いています。司法に信頼を置くのは法治国家の根幹です。その司法以上にマスコミが裁判権を濫用する現状は如何なものでしょうか。またマスコミは判決を下すと同時に刑の執行まで行ないます。社会的制裁と言う名のマスコミによる報道リンチです。

これは容疑者だけではなく、家族全体までに及びます。親の保護監督下にある未成年の犯罪であるならともかく、立派に成人して独立した子供の親まで制裁を加えます。親類縁者の誰かが重大犯罪を起せば、一族郎党すべて断罪します。今の日本の司法で連帯責任なんて概念はなかったかと思いますが、マスコミは何の権限があるか知りませんが、根こそぎ罪人に仕立て上げ、平穏な日常を送っていた親類縁者の生活を嬉々として破壊して回ります。

司法も間違いを犯します。犯したときには少なくとも国家から賠償は行なわれます。ところがマスコミが大手を振って社会的制裁を加えた後に間違いが判明した時には、知らんぷりで、まるで何事も無かったかのように無視してなんらの賠償、刑罰が下されるわけではありません。

マスコミはいつからこんな魔王のような権力を手に入れたのでしょうか、また免罪特権にどんな法的根拠があるのでしょうか。現在の社会においては、マスコミはその判断一つでいつでも自由に人間を社会的に抹殺する権力を有しているのです。司法なら容疑者は自己弁護する機会を与えられ、これを主張することが出来ます。ところがマスコミの判決には一切弁護は許されず、したくても恣意的に操作されるか全く無視されるかの恐ろしさです。

もし堀江前社長の犯罪が立証できず、彼が無罪となった時、マスコミはどんな対応を取るでしょうか。現在の派手な制裁報道とは全く逆で、精々紙面の片隅に過去の出来事としてささやかに報道するのが関の山であり、無罪の人間に社会的制裁を加えた事など綺麗に忘却してしまうのは確実です。

私はそんなマスコミが怖ろしい。