ロッテファンへのエール

おめでとうございます。阪神ファンが20年ぶりだ、18年ぶりだとさわぐのさえ恥しいような31年ぶり、本当におめでとうございます。31年前なんてのも悔しいですが覚えている範囲でして、確かあの時もプレーオフ(当時は2シーズン制)で相手は短期決戦に弱い阪急ブレーブス。優勝を決めたグラウンドは県営仙台宮城球場、マウンド上には「若きエース」村田兆治が仁王立ちで優勝投手だったはずです。今年なってあの仙台宮城球場楽天の本拠地として復活したのも何かの因縁のような気もします。

31年前と言えば昭和49年。当時のパ・リーグの構成チームはロッテ、阪急以外には南海、太平洋クラブ日本ハム近鉄。このうち現在でも生き残っているのはロッテと日本ハムのみ、振り返るとロッテはパ・リーグの最老舗球団になってしまいました。31年間と言っても不人気のパ・リーグで、それも低迷する成績のチームを31年間も保持したロッテには頭が下がる思いがします。昨日の優勝時のインタビューで31年前の「ミスターロッテ有藤道世

    「永遠に優勝しないかと思っていた」
と言っていたのに象徴されます。

それにしてもロッテも不思議な球団で、31年前当時ももともとの本拠地であった東京スタジアムを追い出され、やむなく仙台宮城球場を準本拠地としてジプシー球団と呼ばれながら活動し、大洋(現横浜)が川崎球場から新設の横浜スタジアムに本拠地を移した後、老朽化の極みにあった川崎球場にようやく腰を落ち着けます。

当時のとくにパ・リーグの本拠地はどこも狭く汚いで通っていまして、巨人と後楽園を共同使用していた日本ハムはともかく、南海の大阪球場、阪急の西宮球場近鉄藤井寺球場日生球場も含む)、太平洋の平和台球場とどこも場末の雰囲気を濃厚に漂わせ、さらに今なんかと比べ物にならないぐらいに観客は少なかったですから、まさに閑散と言う言葉がふさわしいものでした。

そんな中でもロッテの川崎球場は成績の低迷も伴って閑散ぶりは際立ち、最下位攻防戦の南海戦などは大の字に寝そべっても見れるなんて表現が良く使われました。パ・リーグの他の球団も似たようなものでしたが、他の球団は球団経営の重さに耐えかねて次々と身売りされたのに対して、どんなに成績が低迷し、どんなに観客が少なかろうと悠然と球団保持したロッテの努力は、今から見るとパ・リーグの灯を守ったと評価できるのではないかと思います。

ただしチーム強化に熱心であったとはお世辞にも言えず、永久に続くのではないかと思わせるぐらいの低迷を放置していたのもまた事実です。千葉に本拠地を移し、マリーンズとニックネームを変えてからも同じで、千葉ロッテマリーンズになって最大のニュースが18連敗と言うていたらくでありました。

そんなロッテが変わって行ったのはファンの力ではないでしょうか。いつかの阪神も同様でしたが、負けても負けても応援に来るファン。負ければ負けるほどディープになりコアになる不思議なファンが千葉マリーンズ球場になぜか増え、そのファンの力が負け犬ロッテに力を与えて優勝させたのように思えてなりません。

阪神だってほんの4、5年前まではどうしようもないぐらいの低迷にあえぎ、昨日もえらそうな顔をしながら解説をしていた野村が3年も監督をやって、最下位脱出さえできなかったです。それでも甲子園には年間200万人程度のファンがあきもせず、愛想もつかせず、来る日も来る日も応援していたのですから、ロッテには妙な親近感を覚えます。

私はレギュラーシーズンの成績を無視するプレーオフ制度は好きではありませんが、その制度を使って優勝したロッテの業績は認めます。別にロッテが横車を押して作った訳ではありませんし、ソフトバンクにはかわいそうですが、そういうルールでこのシーズンを戦ったのですから、素直にその栄冠を称えたいと思います。

今度は日本シリーズプレーオフ同様、歴史に残る名勝負を刻む事を期待します。