野村克也氏を悼む

 ホークス・ジャイアンツOB戦だったと思いますが、監督を務めた野村克也氏(以後敬称略)の体力がかなり衰えられていて心配していましたが、惜しくも御逝去なされました。享年84ですから天寿を全うされたとさせて頂きます。野村は俗にいう「名選手は名監督ならず」を覆した野球界の巨人として良く、

    大選手にして大監督
 これを体現されています。選手時代の活躍は日の当たりにくい当時のパ・リーグであったため、王や長嶋に比べると地味な印象がありますが、パ・リーグ最強打者の一人であり、日本野球史上で最高の捕手であったとして過言ではないと思います。

 監督時代では1990年から1998年まで務めたヤクルトの時が全盛かもしれません。連覇を含む4度の優勝、そのうち3度の日本一を飾っています。あの頃に野村ID野球が喧伝されたのは記憶に鮮やかに残っています。

 ただ野村には陰の部分もあります。南海監督解任どころか、未だに旧南海球団との大きなしこりとして残り続けている私生活です。どうしてそうなってしまったのかは、様々に伝えられるところですが、これもまた人間野村の一側面に留めさせて頂きます。

 栄光の監督時代の汚点として阪神の3年間もあります。結果で言えばすべて最下位。後任の星野が優勝を飾りフォローして再評価されていますが、監督野村の一つの限界を示したとも見ています。野村の手法の一つにwikipediaより、

    いつも口にしていたのは「無視・賞賛・非難」。三流は無視、二流は賞賛、一流は非難、という方程式を野村は公言して憚らなかった
 これは野村だけでなく良く使われる手法で、高校野球監督ぐらいでもレギュラーや主力選手を叱責する事によりやる気を促す手法と見て良いと思います。ただこの手法のキモは非難される選手との間の信頼感が必要です。非難されて腐られたら逆効果になるからです。

 野村はヤクルト時代に成功していますが、阪神では成功しなかったぐらいでしょうか。もちろん、この辺は当時の選手層の違いも指摘されますし、球団を取り囲む注目度の違いもあります。

 あえて阪神ファンとして言えば、なんのかんのと言われても最下位は阪神ファンでも辛いところでした。プロ野球は結果がすべてであり、一向に成績が上がらなければ非難は出ますし、解任もやむなしとしか言いようがありません。野村を以てしても阪神監督は難しすぎたぐらいに今日はさせて頂きます。

 また私が少年期から知る大選手が去りました。昭和も遠くなっていくのを感じています。