首相の靖国参拝

「多忙」とか「日程が取れない」とかの理由をつけて、「無難」に見送るかと私は観測していましたが、さすがは「変人」、「頑固者」と自他共に認める小泉首相靖国参拝を強行しました。結果とか影響はを別にすれば有言実行をモットーにする首相らしいと言えば首相らしい行動です。外交の流れとはおもしろいもので、内外の批判を浴びながら靖国参拝を続けたことで、風向きが微妙に変わってきたのではないかと感じています。

靖国参拝でこじれる関係は中韓関係だけです。厳密にはもう少し広いでしょうが現実では中韓関係だけです。中国や韓国があれだけ靖国にこだわるのはもちろん日本の侵略の最大の被害者であるからです。これがすべてのベースである事だけはまず間違いありません。

ただしベースの上に中韓両国は増幅のファクターを国家挙げてやっています。歴史教科書問題や歴史認識問題で日本を鬼畜のように非難した両国ですが、そんなに素晴らしい公平中立の歴史教育歴史認識があるかといえば甚だ疑問です。私がいちいち論証しなくても、どう贔屓目に見積もっても偏りきった歴史観であることもまた事実です。

ただしそんな事は本当はたいした問題ではないのです。この世界に公平中立な歴史観などは存在しません。アレキサンダー大王の東方遠征も、ペルシャから見れば悪魔のような侵略者であり、破壊者であり、略奪者です。聖地奪還を目指した十字軍もイスラムから見れば同様です。現代社会において正義の代行者を気取っているアメリカのベトナム介入、アフガン、イラク進攻も同じと言えるでしょう。隣り合う国となれば攻伐しあう歴史がどこかであるのが常識で、勝った方は歴史の栄光を讃えるでしょうし、負けた方は民族の恥辱として歴史に刻みます。ちょうど鏡の裏表みたいなものなのです。

またこの両国は理由は不明ですが、無条件に日本より優れた国であるという思想が濃厚です。俗に言う「中華思想」です。中華思想とは自らが世界の中心であり、周辺の劣った国々を見下す思想とでも言えばもっとも適切です。中国は中華思想の本家本元ですし、韓国は中華思想の最優等生で「小中華」であることを誇りにしている国です。

中華思想を持っていることもまた本質的な問題ではありません。国々には国家観があり、今の世の中なら最低限他国を侵略併呑し、世界制服を目指す事がなければ、自由な国家観をもっても差し支えありません。国々の独自性はそれぐらい尊重されます。北朝鮮が国家として成立し存在する事を見れば明らかです。

問題が複雑化するのは中韓両国が歴史と外交と政権基盤をリンクさせているところにあります。為政者が国家を結束させる方法は幾つかありますが、もっとも簡便であり効果的なのは仮想敵を作り上げ、国民の目をそこに向けさせる事です。近現代史でもっとも効果的にやったのはナチスドイツで、ユダヤ人差別を国家を挙げてやり、国民の目をそこに向けさせてドイツを統治しました。

中韓両国もまた基本的に同様の手法で標的を日本にして仮想敵を作り上げています。韓国ももちろんですが、とくに中国は国土は広く、人口は膨大で、その上多数の少数民族を抱え、歴史的にも大統一と分裂を繰り返してきただけに、国民の意識をひとつの方向にまとめておかないといつ分裂騒ぎが起こるかわかったものではありません。そこで何かあると日本を仮想敵にして政権の安定を図る手法を頻発してきました。

最初は国民の大多数も実際の被害者であり、スローガンひとつで結集したでしょうが、歳月が過ぎ日中戦争を知らない世代が増えてくると、今度は学校教育として徹底する事にしています。いわゆる愛国教育です。そうなれば愛国教育で洗脳された世代が台頭してきます。彼らにとって反日とは生まれてきてから叩き込まれた常識となり、さらにエスカレートすることになります。

作られた愛国教育からの反日思想に妥協はありません。また妥協のない反日思想を政権の求心力に据えているので為政者はますますそれを煽る事になります。そのため対日交渉については高圧的姿勢以外の選択はなくなります。その姿勢に民衆は歓呼の声を送り政権は安定する仕組みです。

回り道をしましたが、そういう為政者の政権安定、求心力の要求として靖国参拝への強烈な非難が生まれます。為政者は好むむと好まざるに関わらず靖国問題でいかなる妥協も出来ないのです。中途半端な妥協をすれば、今度は反日思想に自らが染め上げた人民が政権批判の声を一斉にあげるからです。批判の声は最初は対日弱腰外交に向かうでしょうが、あの国も様々な社会的矛盾を抱えてますから、やがて対日問題だけではなく、他の社会的問題にも飛び火して収拾のつかない大混乱を招く火種になる可能性を秘めているのです。

これまでは歴代首相が一度参拝して非難の声を浴びせれば、日本は自重してきたので、それで中国は外交ポイントを稼いだ成果を人民に示し、事はそれなりに収まってきましたが、小泉首相が連年参拝を強行した事により、逆に中国政府の足許が危うくなる結果が生じてきているようです。そこまでの外交的計算を首相がしていたとは思えないのですが、結果としてそういう風が吹き始めてきたようです。

そうなれば摩訶不思議な事に日中の靖国参拝価値が微妙に逆転します。首相の靖国参拝カードは中国にとって政権の死命を制するほどの重みとなり、首相が靖国を参拝すればするほど中国政府が苦境におちいると言う現象が生じてきます。まさに「中国殺すに刃物はいらぬ、首相が靖国行けばよい」の世界になってきている雰囲気があります。

ただし私はこんな北朝鮮風の瀬戸際外交路線は好みません。もっと別の穏やかな協調路線を大人の知恵で摸索して欲しいと思うほうです。いくら私がBlogに書いても仕方がないかもしれませんが。