自民党総裁選

 なかなか興味深い選挙でした。この結果についての論評はヤマのようにあるでしょうけど、野次馬的な視点で書いてみます。

 記憶違いの部分があるのをご容赦頂きたいのですが、真っ先に名乗りを上げられた岸田氏の印象は申し訳ありませんが地味な方です。

 これに対して河野氏が名乗りを上げた時には、正直に白状します、これで決まりじゃないかと思ったほど華があると感じました。総裁選の構図が「岸田 vs 河野」なら河野氏が勝つしか考えられない程でした。そんな報道も乱舞していました。

 ですが内実は報道ほど楽観できる状態ではなかったと見るしかありません。その表れが河野氏の選んだ小石河連合でしょうか。たしかに石破氏も小泉氏も知名度の高い人物ではありますが、連合を組むのに相応しい人物かどうかは評価の難しいところです。

 さらにこれもおそらくですが河野氏の誤算と見ていますが、総裁選の構図が「岸田 vs 河野」ではなくなり、高市氏がそこに割り込んでくる三つ巴になっていったことです。

 マスコミは高市氏をかなり長い間、泡沫候補扱いにしていましたが、そうでなかったのは河野氏の方がわかっていたと思います。三つ巴構図になると出てくる二位三位連合の話に相当神経質になっていたからです。

 とにかく票数が限られていますから、各陣営の票読みはシビアに行われていたはずです。河野氏もある時点から第1回投票での過半数確保は難しいと判断に傾いた気がします。そうなれば、二位三位連合を起こさせない票数の獲得が次の戦略になったと考えます。

 これは簡単には過半数まで届かずとも二位にかなりの水を空けることです。これを強引に二位三位連合でひっくり返すのを世論の支持で抑え込みたいぐらいでしょうか。これは二位三位連合での逆転を目論む方も同じで、なんとか河野氏との票差を詰めたいとしていたはずです。

 後から見れば的な話ですが、最終盤で岸田高市連合が出来たのは河野氏との票差が殆どなくなったと判断したからだと考えます。接戦の二位なら決選投票での逆転はアリだからです。

 結果は河野氏にとって最悪だったと見ています。第1回投票で一票差とは言え二位になってしまったからです。これで一位の岸田氏に三位の高市氏が協力しても、河野氏としてはケチの付けようさえなくなってしまったぐらいでしょうか。


 見ている方はかなり楽しめました。ネット世論とマスコミ世論の差が本当にどれだけあるのかとか、ネット世論に議員票がどれだけ影響を受けるのかだとかです。かなり興味深い結果になったと個人的に思っています。

 そうですね、マスコミがどう言おうがネット世論を軽視できないと政治家の皆様はまた教訓にされたぐらいは考えています。議員は選挙で椅子が決まる職業ですから、その辺の判断は現実的かつシビアですからね。

 もっともネット世論も読み取り方は難しいところがあります。ネットの一つの特性として、自分が見たい物に視野が狭くなっていくのがあります。そのクラスタ内では自分の意見と合いますが、そこだけがネット世論ではありません。そういう多様性がネットの特性です。

 だから結果がどうなるかに注目していましたが、なかなかバランスの取れたものが出たとは思っています。

謎のレポート あとがき

 大スランプ状態でした。ここまでひどいのは久しぶりです。趣味でやってるから良いようなものですが、小説家が本業だったら絶望に打ちひしがれてたんじゃないかと思うほどです。

 古典的には原稿用紙を破っては捨て、破っては捨てみたいな感じです。PCですから、それはありませんが、何度も書き出しては消したかわからないぐらいです。

 基本方針として天使と女神シリーズから離れようがありましたから、なんとかオリジナルを書きたかったのですが、外伝ですらないモロの天使と女神シリーズになってしまいました。

 オリジナルにしようとした名残が前半を占める熊倉の話です。あれもネタに詰まった挙句、SM小説で気晴らししてたのが本当のところです。通常はそのままボツになるですが、性転換を持ち出したところで、不思議の国のマドカの続編みたいな位置づけにしようとヒラメキました。

 ですから濡れ場描写は抑え気味にして、マゾ小説みたいなスタイルにし、後半は前からやってみたかったアームチェア・ディテクティブ風にしてみました。

 通常の探偵小説は、主人公でもある探偵が現場を見に行き、情報を集め、それを分析して推理を働かせ、そこから導き出される仮説に沿ってさらに調査を行い・・・こういう積み重ねで犯人が巧妙に仕組んだトリックを崩してゆき、真犯人を見つけ出すぐらいになります。

 これに対しアームチェア・ディテクティブは、提示された情報を基に隠されていた真実を読み解いていくぐらいになります。探偵は部屋から出ず、アームチェアすなわち安楽椅子で推理を重ねるのでこういうネーミングになっています。

 ですから出されるのは推測になります、推測に推測を重ねた末に、論理的に破綻の無い結末に話を導いて行くことになります。あくまでも読み物ですから、最後に導き出された答えに意外性が高い程秀作として良いでしょう。

 前半のトンデモ展開こそありましたが、後半部はそれなりに本格的になったと自負しています。

謎のレポート(第35話)エピローグ

 熊倉レポートを三十階に持っていく前にミサキちゃんに相談してるんだよ。とにかくこのレポートは最初の方に翆のレイプもあるから刺激的なんだよね。ミサキちゃんはとにかくお淑やかで常識家だし、猥談なんて始まるとすぐに真っ赤になっちゃうんだもの。

 いきなり三十階で読んだりしたらコトリ社長とユッキー副社長の酒の肴にされちゃうじゃない。ミサキちゃんは予想通り、顔を赤らめながら読んでた。ミサキちゃんならそうなるのは予想通りだったけど、

「これは実地調査が難しそうですね」

 拘置所もそうだけど、下調べしていた月集殿本部も刑務所並みだものね。そしたら、女神の集まる日の前に中南米への長期視察に急遽出張に行っちゃんたんだ。あれって思ったけど、きっと性転換の話があった時点で、ゲシュティンアンナが絡んでくると見て逃げたんだよ。そうだね、実地調査が無いなら女神の秘書は不要ぐらいで良いはず。

 ミサキちゃんは賢いと思ったもの。ゲシュティンアンナ絡みになるのはシノブもわかってたけど、そうなるとこれまた予想通り、コトリ社長とユッキー副社長の猥談に引っ張り込まれたもの。SM小説の蘊蓄なんて見事に乗せられちゃって参ったよ。さすがにあれはやり過ぎた。シノブのイメージがダウンしちゃうじゃない。


 今回の事件でやっぱり思ったのは神の時間感覚の違い。うちならあの二人になるのよね。これも普段は感じないけど、女神の事件になってくるとモロに出るのよね。熊倉にはあれこれ思う事も多いけど、ごく素直には残りの人生を女となり、マゾ奴隷として死ぬまで過ごす点はそれなりに大変そうと感じる面はあるもの。だけどあの二人的には、

「生きたいのなら、それしかないじゃないの」

 日本で熊倉ほどの重罪人となれば死刑しかない。これは考える余地もないぐらい。死刑執行の時期の長短こそあれ生きて拘置所から出ることはあり得ないんだよね。さすがに死刑反対論者だって釈放しろとは言わないと思うよ。

 それでも生きたいのなら、それ相応の代償が必要になる。これだって命の代わりにする代償だから普通は存在しないのよね。熊倉が代償として要求されたのは死刑囚なら誰でも願うはずの、

『なんでもするから、命だけはご勘弁を』

 この『なんでもする』の具現化。そのために問答無用で女に性転換され、真性のマゾ奴隷に鍛え上げられている。

「願い通り命は残ってるやんか。それもやで、女になれて不満言う方がおかしいで」

 こういう事になっちゃうのよね。元が男だから女への違和感があるかもしれないけど、女であるのは罰でもなんでもないし、男より良いことは数え切れないぐらいにあるもの。シノブも男になりたいなんて考えたこともないよ。

「女として思う存分楽しめるやんか」
「ま、それしか出来ないぐらいの罰はあってもイイでしょ」

 これも極端な見方で、女は男と違ってセックスさえ出来れば誰でも良いわけじゃない。男だってそれなりにあるだろうけど、女の方が許容度が遥かに狭いのよ。そう、やりたくもない男とセックスさせられるのは苦痛どころか拷問だよ。だからレイプはあれほど徹底的に拒絶する。

 だけど女だって性欲はあるし、セックスだって嫌いじゃない。シノブだって大好きだもの。熊倉は男への拒否感を叩き壊されてるだけじゃなく、どんな男でも喜んで受け入れるようにされてるはずなのよ。

 熊倉が売られる世界で求められるのは男への奉仕しか考えられないけど、考えようによってはセックス三昧と見えない事はない。こういうケースで人なら出てくるはずの人間としての尊厳とかも、

「死ぬ代わりの代償やんか」
「過ごしている時間をどう感じるかの主観の問題だけよ」

 マゾ奴隷がマゾ奴隷用世界で楽しく暮らせれば、それはそれで人の一生として十分ぐらいの考え方なんだよ。

「熊倉はマリに足向けて寝られへんと思うで」
「再生の大恩人だものね」

 てな結論で終わってしまうぐらい。シノブなんか熊倉が生き残ってしまったのに腹が立ってるし、やっぱり素直に絞首台で死んでれば良かった思ってるけど、

「それも人生やろ」
「だいたい五十年ぐらいでしょ。死ぬのがちょっと遅くなるだけじゃない」

 これぐらいの扱い。ここも言いきってしまえば、今回の事件でも熊倉への関心は殆どないとして良いぐらい。ゲシュティンアンナが絡んでいなければ一顧だにしてなかったと思う。

「ところで闇の委員会がなくなればゲシュティンアンナはどうするのでしょう」
「別になんにも困らんやろ」
「そうよね。あれだけの施設を作っちゃてるし」

 コトリ社長やユッキー副社長の見るところなら、月集殿の本部やトンネル、峡谷の道の買収には大道が噛んでるはずだって。いくら僻地で放棄同然と言っても県有財産の下げ渡しが、あれだけスムーズだったのはそのせいだろうって。それだけじゃなく、

「本部やその他の施設の建設資金も出してるはずや」
「チャチな施設じゃ夜も寝れなくなるよ」

 なるほどね。明るみに出たら闇の委員会も一蓮托生だものね。

「と言うか、あれは大道がゲシュティンアンナに作らせたんやろ」
「そうよね。あんなところに本部を置く宗教法人なんてありえないよ」

 そっか、そっか、そうだよね。大道は性被害者救済に取り組んでたけど、LGBTに比べても問題はさらに厄介。やれる事と言ったら性犯罪へのさらなる厳罰化とか、性被害者救済のための補償金とか、性被害者対応医療施設の充実ぐらいしかないのよ。

 ただ厳罰化と言っても他の法律とのバランスはあるし補償金も同様。性被害者対応医療施設の充実も一朝一夕でどうにもならないもの。

「性被害者は既にやられとるところから始まるから難しい」

 そこなのよね。レイプされてしまってるんだよ。そう取り返しのつかないところから始まるのが性被害者対策になるのよね。だから大道はかつて息子の太郎を性転換させたゲシュティンアンナの協力を仰いだのだろうって。

「発想的に必殺仕置人ね」
「行き着いたのが、そこやってんやろ」

 それが正解だったと思わないけど、性被害者と真面目に向き合い続けた一つの結果として、宗教法人を隠れ蓑にした性犯罪者への復讐施設の建設になったんだ。でも闇の委員会が終われば、

「施設の有効活用と言うか、ゲシュティンアンナの本来の目的に使われるだけだよ」
「そうやと思うで。今は臨時対応のはずや」

 そう見るか。大道が闇の仕置事業のために月集殿本部を作らせてるけど、闇の委員会の活動は長くないとゲシュティンアンナは見てたはず。だってその時に大道は七十代後半だし、大道がいなくなれば、あんな危ない事業は続けられるはずがないもの。

「メイド服組は特別待遇やったんちゃうかな」

 ゲシュティンアンナもマゾ奴隷を作るのは趣味だけど、無暗に量産して楽しむタイプかと言えば微妙なところがある。ドゥムジみたいに一人に熱中するタイプじゃないけど・・・だから十室で十人なんだ。

 巫女組もマゾ奴隷化してると考えていたけど、あれはマゾ奴隷化されていないから熊倉はマリに見れないように躾けられたはず。そっか、そっか、あそこに入室できるのはマゾ奴隷だけど、教団的には最高ランクの巫女に違いない。

 巫女についても調べたんだけど、月集殿で巫女になるのは格別の名誉なことにされてるのよね。お手当だって破格だもの。それこそ女性信者の憧れの的みたいな位置づけで良いと思う。その中でも本部勤務になるのは夢みたいな扱い。

 三階のマゾ奴隷はメイド服だったけど、マリもそうだったのがポイントのはず。本来の月集殿の教義的には本部の巫女になるのがゴールじゃなく、本部の三階でメイド服を与えられる者こそが最も神に近い存在として崇拝されるぐらいのはずなんだ。

 本来のシステムは本部の巫女の中から、さらに選ばれた者が三階で神であるゲシュティンアンナに直接仕える身分を得るぐらいだよ。仕えるために授けられるのがマゾ奴隷にされることだけどね。

「その代わりに絶世の美と、永遠の若さが手に入れられるじゃない」
「神の快楽もな」

 そう考えると円城寺家時代に量産していた元男のマゾ奴隷は、

「趣味変ったんちゃうか」
「元男の心を折るのはビジネスのためだったのかもね」

 この辺は、居場所の確保と食うことが優先されるのが神だからありうるかも。でも、そうなるとマゾ奴隷販売がなくなるから収入面で困りそうだけど、

「逆ちゃうか」
「わたしもそう思う。闇の委員会からの受託事業は、気を遣うし、手間もかかるから、仕事としては美味しくなかったはずよ」

 なるほどね。元の事業に戻れば良いだけか。神の性転換は性同一障害の治療と考えれば最良のものだもの。そりゃ、生理や妊娠こそ出来ないものの、完全に女になってるし、見た目だって飛び切りの美少女になれるもの。セックスだって女とまったく同じ。いや、それ以上の気がする。

「そうなると思うで」
「性転換手術なんかと比べ物にならないもの」

 性転換手術は痛みもあるし、傷跡も残る。その成果だって見た目だけ辛うじて性器がそれらしくなっただけ。性器以外となると太郎がそうだけど、女に見れるようにするのにどれだけの手間がかかるかわからない者だっている。

「希望者は世界中におるからな」
「それに年間三人限定だから、値段はそれこそ青天井じゃない」

 月集殿本部の建設費用は怖いぐらいのなのよね。土地こそタダ同然だけど、峡谷の道は全部作り直してるようなものだし、トンネルだって補修工事にどれだけ必要か。盆地の中だって荒れ地同様だもの。

 トンネル入り口の倉庫兼積み替え施設や峡谷の道の入り口にある城門も立派なもの。なにより本部の建物がデラックス。どこかで見たことがあると思ったら、あれのモデルはカイカットのロックフェラー邸だよ。それもオリジナルよりさらに大きくしてある。

 そういう施設が欲しかったゲシュティンアンナが取引に応じたんだろうな。大道の死さえ待てば全部自分ものになり、自分の好きなことに専念できるもの。ゲシュティンアンナにとって十年や二十年は瞬きするぐらいの時間だろうしね。


 でもだけど、人目に付きにくいという点では申し分のない施設だけど、あんな僻地なのはどうなんだろ。不便すぎる気がするんだけど、

「良いところじゃない」
「コトリも隠れ家に欲しいな」

 あんな僻地がと思ったけど、考えてることが違った。

「世の中でも、世界でも良いけど、変わらないものはないのよ」
「そうや永遠やと思たものでも全部滅んだで。あのローマでも滅びて跡形もなくなってもたもん」

 この二人は古代オリエントの国々の興亡を知ってるだけでなく、ローマ帝国の全歴史をその目で見て経験してるんだった。シノブが住んでいる日本だって、百年先、二百年先、千年先にあるかどうかはわからないもの。たとえ日本と言う国があっても、今のものとは全然違ってる可能性があるものね。国の体制が大きく変わる時には戦乱は必ず起こるから、

「あんな何にもない僻地に軍隊なんか来るかいな」
「そうよ、戦乱が起こっても、マゾ奴隷たちと高みの見物が出来る絶好の地よ」

 そんな先まで考えてゲシュティンアンナは・・・神なら考えるか。ゲシュティンアンナになると持ってる記憶は一万年だものね。

「これから自家発電装置も充実させる予定やろな。土地は空いてるからソーラーと蓄電システム使たら、かなりカバーできそうやんか」
「トンネルに横穴掘れば食糧貯蔵庫も出来るし、核シェルターにも使えるじゃない」

 時間とカネさえかければ出来るものね。そもそも地形的にトンネルを塞いじゃったら、それだけで天然の要塞みたいなところだもの。外界の混乱を避けて高みの見物が出来そうだし、あんなところまで戦災に巻き込まれたら日本も終わりみたいなものだしね。


 でもさぁ、でもさぁ、これだけ調べての収穫は、ゲシュティンナンナとドゥムジが但馬の月集殿にいることだけだったな。

「大収穫やんか。神にとってこれ以上の情報はないで」
「そうよ、あの二人が元気にしているはわかったし、わたしたちに敵対する意思がないのもわかったじゃない。これ以上、何を知りたいのよ」

 神が知りたいのはそこだけか。神は不死に近いけど、もし死があるとすれば自分より強い神と出会った時のみ。これも古代は会ったら最後で、どちらかが必ず死んでいたで良さそう。今も生き残ってる神は、どう言えば良いのかな、そういう殺し合いに飽きた神なんだろうな。

 それでも会ってしまえば何が起こるかわからないから、なるべく会わないようにしてるし、その動向はやはり把握しておきたいんだろう。天の神アンの事件の時にユッキー副社長はヴァチカンでユダに会ってるけど、

『ホント、あれこそ世界一危険なデートだわ。あれに較べたら、素っ裸で夜のNYのハーレムを歩く方がよほど安全よ』

 どんだけと思うけど、神が会うとはそういう事らしい。シノブにしたら大山鳴動して鼠が一匹みたいな感じだけど、とにかくこれでオシマイ。もう当分触れたくないし、エライ物を掘り出したって後悔してるもの。

謎のレポート(第34話)たどりついた果て

「処女のままマゾ奴隷にしたのは?」

 これが最後に残された謎になっちゃうんだよね。まずだけど闇の委員会が月集殿に送っていたのは強姦魔だけで良いはずなんだ。熊倉の最後の晩餐の相手をした女も淫乱地獄への準備が進んでいた連中のはず。

 熊倉があれだけのムチャをして月集殿に送られた理由も翆の恨みを晴らすため。ここもポイントだけど、強姦魔には淫乱地獄の刑が与えられるけど殺されるわけじゃない。熊倉は本来が死刑だったから死刑以上の刑になったはずなんだ。

 さらにがあるはず。熊倉以外の強姦魔に与えられる刑は予め決められていたもので良いと思う。だけど熊倉には処刑方法のオーダーまで入っていたはず。翆が考えたのか、太郎が考えたのか、大道だったのかはわからないけど、選ばれたのはムチによる拷問死。

 これをマリが担当したのも理由があって、月集殿のサディストはマリとゲシュティンアンナだけ、このうちゲシュティンアンナはムチは使わないはず。だから必然としてマリになったはずなんだよ。

 このマリだけど、シノブも途中まで勘違いしてた。メイド服だし、ゲシュティンアンナの命令を受けていたから、扱いはマゾ奴隷と同じか、せいぜいその中のトップぐらいと思い込んでたんだよ。

 でもさぁ、マリはドゥムジの妻だし、ドゥムジの女王様だし、さらには神なんだよ。月集殿のナンバー・スリーに違いないよ。食堂で熊倉たちは長テーブルに着いたけど、おそらくマリはそれを見下ろす一段高いテーブルの席にいたはずなんだ。そこはゲシュティンアンナや夫のドゥムジと食事を取るところのはず。

 もう一つ見逃しそうなところは、月集殿で殺しは初めてのはずなんだ。ゲシュティンアンナは別に人を殺すのにさしたる感想もないと思うけど、マリは違ったはずなんだ。マリは神であっても感覚は人だからね。

 マリも熊倉の凶悪犯ぶりを知ってたはず。月集殿だってテレビもネットもあるはずだもの。熊倉が折り紙付きの殺人鬼であり、強姦魔の死刑囚なのをね。だから引き受けたんだろうけど、いくら凶悪犯でも、自分の手で人を殺すのに躊躇いは出たはずなんだ。

「なるほどな。死んで当然の相手でも自分の手を汚すのは嫌やろな」
「だから最後の晩餐に参加したのかも」

 最後の晩餐はマリなりの情けの気持ちの表れの気がする。サディストの心理なんかわからないけど、最後の晩餐に参加したことで、さらにマリの心情が変わった気がするんだよね。そう出来たら殺したくないぐらいにね。

 だからマリはゲシュティンアンナに条件を出した気がするんだよ。熊倉が生き残れる可能性を残すために。

「それって性転換するときに服従の動機付けを入れるってことか」

 ここも考えたんだけど、太郎や強姦魔には入れてない気がするんだよ。太郎はマゾ奴隷じゃないから当然だけど、強姦魔は服従に反発する方がゲシュティンアンナにとって楽しそうだもの。そう、男の心のままで、生理的に受け付けない男を、自分の体の裏切りに悔し涙を流しながら求めまくらされる状態に追い込んでいくのがね。

「それって円城寺家時代と同じね」
「いや、もっとエグイで。円城寺家時代はゲシュティンアンナと旦那以外には、死んでも男に体を開きたくないやったやんか。これが淫乱地獄の刑になると、そう心にいくら決めても進んで男に体を開かなアカンやん」

 これが淫乱地獄の刑の最後のキモで良いはず。見ただけで吐き気を催すぐらい嫌悪感がある男に次々と貫かれないと、神の快楽の禁断症状に耐えられないし、そこまでの屈辱に耐えても禁断症状は決してやむことが無いはず。

 ある意味わかりやすい刑で、強姦魔が餌食にした女がされてきた仕打ちを、死ぬまでその身で受け続けるぐらいだよ。そう好きどころか嫌悪感しかない男を、毎日客として取らされる生活だよ。それを死ぬまで続けるしかない体にされてるってこと。

「ホンマに死ぬまでになるな」
「そうね。歳も取らないし、アソコだって人と違って、いくら使っても壊れないし、見た目だって処女同然だもの」

 それとマリはサディストだけど、単に相手が苦しむのを楽しむタイプではないはず。マリのサディストはSMプレイでのサディストのはずなんだ。SMプレイのサディストは、マゾが欲しい苦痛を読み取り、それを与えたり、わざと外して喜ばしたりの駆け引きがプレイの本質のはず。そうやって喜ぶマゾに自分も興奮するぐらいだよ。

「それって熊倉へのムチも」
「だから最初は背後から」

 マリのムチは筋金入りのプロのムチ。数は叩いてるけど、それこそ満遍なく偏りがないように叩いてたはずなんだ。そう、出来るだけ殺さないようにね。そして熊倉に唯一生き残れる手段である、心の奥底まで本当の女になりマゾ奴隷に堕ちるようにメッセージを伝えていたはず。

「そうだよね。マリの熊倉への女教育は通り一遍のものじゃなく、本気としか思えないものね」
「マリのムチは神のムチでもあるやんか、そやからムチでもメッセージを伝えられても不思議あらへん」

 熊倉はマリのメッセージを受け取っているし、マリは熊倉がそのメッセージを受け取ったのは気づいたはず。熊倉はメッセージを受け取った瞬間から、服従への動機付けが強烈に作用してマゾ奴隷に一直線に堕ちて行ったに違いない。

「でもどうして処女のままなのよ」

 熊倉の調教の管轄はマリだったからが大きいと考えてる。それもゲシュティンアンナが調教中に一度も顔を見せないぐらいに信用されている。途中で熊倉がムチで死ななかった事とか、生かしてマゾ奴隷にすることも相談してるはずだけど、すべて了解されてるはずなんだ。それぐらい月集殿でのマリの地位、発言力はあったはず。

 マリだって処女を散らしたかったらバイブなりペニバンを使えば出来るけど、マリの狙いはマゾ奴隷としてそれは御主人様にすべて捧げさせるための気がする。

「そういうたら、レズプレイどころか、オナニーすらタブーとして禁じてたな」
「そうよね、教養の時に具体的なプレイにどんなものがあるかの予備知識は与えていたけど、実戦練習は無しだものね」

 あの教養は御主人様が何をしようとしても怖がらせないようにしたもので良いはず。相当なレベルで教え込んでいるのは、求められた時に怖がったり逃げたりせず、女なら進んで受け入れるものとして覚えさせ、それは女の真の喜びと洗脳してたはずなんだ。

 そうしたのはすべて熊倉のため。いくら知識として知っていても、実際に受け入れれば初々しい反応を示すしかないもの。そこから女の喜びとして開花していく様子は御主人様に取っても一番喜ぶ事だと思うのよね。だから熊倉は可愛がられ、大事にされるぐらい。

 別にSMプレイじゃなくとも、男は女が自分の腕の中で徐々に開花していくのは嬉しいはずだもの。それが処女からならなおさらじゃない。熊倉なら処女どころか、女のすべての初めてをすべて開花させられるけど、それを喜んで花咲かせてくれる女が可愛く感じないはずがないじゃない。

「なるほど、マゾ奴隷として売られるのは既定事項でも、売られた先で熊倉がいかに幸せと感じて暮らせるかにマリは全力を注入したってことやな」
「回復の秘術はどうなったの」

 あれはマリにしても予想外のはずだけど、回復の秘術を身に着けたマゾは知ってるのよね。言うまでもなく夫のドゥムジ。だから熊倉がそうなっているのは知ったはず。だからこそ食堂から庭掃除までステージを進めたんだと思う。

 マリのムチは回復の秘術を高める一方で、服従への動機付けをドンドン深くする。より完璧なマゾ奴隷にするほど売られた後の熊倉の生活は幸せになるからね。だから女の心になり、熊倉を忘れてアリサになった頃はご褒美にムチを減らしていたけど食堂以降は、

「ムチの終着点が滅多打ちどころか、女の急所に打たれてもなお、それが感謝と喜びにしかならなくなるってことか」
「それも言葉に出来ないほどの感謝の念になったのを見届けて、マリはマゾ奴隷の完成にしたのね」

 マリは熊倉に開花した回復の秘術をトコトン利用したんだよ。服従の底の底に固定させるためにあれだけのムチを揮ったはず。ドゥムジもそうなっていたかはわからないけど、もしモデルにしてたらそのレベル。

 マリは熊倉にすべてを授けたとしてたけどそれは完璧な服従そのもの。最後に涙まで見せたのは満足感もあるだろうけど、熊倉のこれから暮らす世界はマリが考えているより、さらに苛酷なものになると心配したものじゃないかと考えてる。


 色々思うところがあるけど、罪を憎んで人を憎まずなんて綺麗事を言える気がしないのよね。あれは、あくまでも他人事の時。翆のような目に遭って言えるものか。こんなもの理屈じゃない、女として許せるもんか。翆だけじゃない、熊倉にスカウトされた女の恨みがどれだけ深いか。

 翆が助け出された時の状態は酷かったんだ。心も体もボロボロで廃人同様だったんだよ。それを太郎が懸命の治療とサポートで助け出してるんだ。翆の人生をムチャクチャにした熊倉が受ける刑は死刑でも足りないよ。

「シノブちゃんらしくないけど、女としての本音はね」
「仮にも親なら、そう思わへんのはおらへんはずや。太郎はたまたま使える手段があったから使てんやろ」

 だけど熊倉はマリの憐憫のお蔭で罰すら受けないじゃない。外形的にはマゾ奴隷として売られ、苦界の底で死ぬまで暮らすことになるけど、そこは熊倉にとって苦界じゃなくなってる。

 毎日何人もの違う男に好き放題に貫かれ、悶絶するほど感じさせられ、よがり狂ってイキまくらされても、それを至上の喜びに出来る心と体を手に入れてしまってる。こんなもの刑でも罰でもない、こんなものマゾ奴隷の歓喜の天国だよ。

 ムチで死ななかったなら、熊倉は他の手段で殺すべきだった。火炙りでも、八つ裂きでも、釜茹ででも、とにかく苦痛のうちの死を与えるべきよ。最低限でも強姦魔同様に淫乱地獄に叩き込まないと気が済まない。これはミスだ、ゲシュティンナンナが犯した致命的なミスだ。

「言いたい気持ちはわかるけど、ちょっとした手違いぐらいやろ」
「そうだよ。八方丸く収まってるじゃない」

 そっか、そっか、やっとわかったぞ。マリは最初から熊倉を殺す気なんかなかったんだよ。マリが心配したのは熊倉の被虐を喜びとする動機付けが上手く発動せず、結果としてムチで殺してしまう事だったんだ。

 マリが最後の晩餐に参加したのもずっと不思議だったんだ。マリ以外の四人は淫乱地獄の刑の準備中だったから男と見たらむさぼりついたのはわかるけど、マリは違うもの。あれは目的と狙いがあったはずなんだ。

 一つはメッセージを送る事。メッセージと言っても紙に書いたり、口で言葉にするものじゃない。熊倉の心に送るもの。内容は男であったのに女になると言う被虐を熊倉が受け入れる事のはず。

 それを熊倉が命じられるのではなく、自分が思いつき、自発的に実行していると思い込むのが、被虐を喜びとする動機付けを強く発動しやすくなるカギだったんだ。マリは神のムチでもメッセージを送れるけど、熊倉のペニスからならもっと強力に送れたはず。

 輪姦状態にしたのはサディストの趣味もあったのだろうけど、熊倉が何も考えられない状態に追い込むのもあったはず。あれだけやられたら、そうなるよ。そうやって熊倉の心をこじ開けて、さらに熊倉がさらに無防備になるイク瞬間を狙ってメッセージをペニスから送り込んだはず。それも少なくとも六回以上だよ。

 その効果は女になった初日の夜から、このまま女であっても生き抜くの決意をさせてるし、ムチ二日目には本気で心から女になろうと決断させている。あそこが熊倉の生死を分けたけど、あんなに早くそうなれたのはマリからのメッセージの効果だったんだよ。

 もう一つはマリ流のサディズムのため。マリのSMはあくまでもプレイなんだよ。プレイとしてのSMで必要なのは相互の深い信頼と信用。はっきり言うと愛が必要のはずなんだ。愛を示すのに一番効果的なのは体が結ばれること。

 マリと結ばれた熊倉は、脱走のためやムチの恐怖を逃れるために反抗はみせたけど、マリはずっと信用していたもの。それがあったからこそ、あれだけマリに忠実なマゾ奴隷になれたはずなんだ。たとえ女になってもね。

 最後にマリも涙を流したのも熊倉への愛だったんだよ。愛があったからこそ、これから熊倉が過ごす世界に可能な限り順応できるマゾ奴隷にしようと懸命だったし、熊倉も渾身の愛で応えたはず。普通じゃ理解すら出来ないけど、そういう世界の愛の形だよ。

 夫であるドゥムジはどうだったかだけど、最愛の妻であり、崇め奉る女王様のマリが熊倉と結ばれ、自分そっちのけで熊倉の調教にかかりつけになっている姿を見せられるのが、被虐の喜びになったんじゃないのかな。

 シンプルには嫉妬だけど、女王様であるマリにマゾ奴隷が嫉妬を抱くのが許されざることで、白状させられたうえで、反省のムチの嵐をもらい、さらに激しく責められ尽くされてる気がする。自分で言いながら、もうこの辺は理解を超えすぎてるけどね。


 熊倉を殺す気がなかった他の傍証もあるんだよ。ゲシュティンアンナは神だし、神は平気でウソを吐くけど、熊倉が拉致された時にゲシュテインアンナはこう言っている。

『私が買った』

 さらに、

『せっかく絞首台から生還させたんだからな』

 熊倉をムチで拷問死させてもゲシュティンアンナは損するだけじゃないか。だから闇の委員会にはオーダー通り、熊倉は翆の恨みのムチを浴びながら死んだと報告しているはず。それも激しくムチ打たれる熊倉の動画も添えてよ。あれだけムチ打たれて死んだと言われれば誰でも信じるもの。

 その程度のウソはゲシュティンアンナにとって日常茶飯事レベルだもの。ゲシュティンナンナに関心があるのは自分の趣味をどうやって楽しむか、生きていくための商売をどうするかだけなんだよ。それが神だし、うちにも二人いる。


 ちなみにだけど、青野史郎が青野の変で与党を除名処分になり総選挙で落選してるじゃない。青野が負けたのは与党候補なんだよ。いわゆる刺客ってやつ。青野の負け方はまさに惨敗で次点にも入れなかったぐらい。

 一挙に求心力がなくなったのか、いわゆる青野王国は総崩れになり、翆の父親も市会議員を落選。本業も冷や飯というより冷凍御飯状態になり倒産。夜逃げしてどこに行ったかわからなくなってるよ。まあ、これぐらいの因果応報はあっても良いと思うよ。

謎のレポート(第33話)これが真相か

 ずっと、ずっと引っかかっていたのだけど、熊倉のケースはやはり無理が多すぎるところがあるのよね。簡単に言えばリスクが高すぎるってこと。とにかく秘密を知る関係者が多すぎる。

 死刑執行から助け出すためには、少なくとも死刑執行に立ち会った刑務官全員がグルにならないといけないじゃない。拘置所から運び出すのもそうだよ。この辺は詳しくないけど、病院とか家で死ぬとでは監視の目が違うはずだもの。

 これに比べたら、強姦犯を拉致するのはずっとお手軽のはずなんだ。刑務所だって医者はいるけど、出来るのはしょぼくれた町医者程度。それじゃ手に負えない病気やましてや入院が必要になればどうなるかなんだよね。

 どうなるもこうなるも病院に受診なり入院になるのだけど、囚人専用の病院は愚か、囚人用の病室を持つ病院もないんだ。じゃあ、どうするかだけど刑務所の外にあるごく普通の病院を利用することになる。

 警察病院もあるけど、あれは警察職員の福利厚生を目的に建てられたものなんだ。名前こそ警察が付いてるけど、市立病院が市民病院となってるふらいの意味しかない。誰でもごく普通に利用できる普通の病院に過ぎないってこと。

 そりゃ、囚人の入院なんて喜ぶところはないと思うから、なんだかんだと引き受けることは多いと思うけど、別に鉄格子付きの病室があったりするわけじゃない。普通の医者と、普通の看護師と普通の職員と、普通の病人が利用している普通の民間病院。言うまでもないけど警察官が常駐して監視している訳じゃない。

 ここはシンプルに言うと囚人でも刑務所で死ぬより病院で死ぬ方が監視は緩いし工作もやりやすいぐらいかな。入院中も刑務官なり警官が警護には付いてるけど、囚人が死ねば監視の目は一遍に緩むはずだもの。

 だからどう考えても死刑執行まで進ませておいて、そこから助け出して拉致するのは、やることが大きすぎるし、リスクも高すぎる。とにかく露見すれば国家的大スキャンダルになるもの。だから熊倉のケースは例外中の例外のはずなんだよ。

「復讐のため?」
「そうだと思います。愛する娘である翆のためではないかと」

 熊倉の死刑執行はあえて行われたはず。死刑囚の熊倉を拉致するだけなら、それこそクスリでも飲ませて入院させてからすればもっと容易だもの。だからあれはあえて熊倉を死の淵まで追い込まれる経験をさせるためだったんだよ。

 死刑執行は絶対的な死を意味するよ。とくに絞首台まで行ってしまえば観念する。独房から呼び出されただけでもきっとそう。あれこれ手続きが進んで首にロープを巻かれて突き落とされるところまで行けば、もう死んだと誰もが思うはず。そう、ギリギリの死の恐怖を味合わせるためにあえてやったのだと思う。

「なるほどや。熊倉の調教が、ゲシュティンナンナじゃなくマリだったのはそういうことか」
「狙いはマリの神のムチによる拷問死」

 シノブもそう思う。だからこそ最後の晩餐があったんだ。

「一度命拾いさせた後に殺されんのは辛いやろな」
「それもムチ打ちによる拷問死だものね」

 これこそが熊倉に与えられるはずだった死刑以上の刑だったはず。シンプルには絞首台でラクに殺さず、苦痛の末の拷問死を与えるもの。ムチを選んだのは復讐のため。マリの一打一打には翆の恨みが込められていたはず。

 それでも飽き足らないとしたのが、絞首台からの絶体絶命状態からの救出。生き延びたと思わせておいてからの苦痛の末の拷問死をさらに付け加えようとしていたはずなんだ。

 それだけじゃないはず、性転換させて女の体で男にレイプされる恐怖も付け加えていた気がする。実際にレイプさせなかったのは、コトリ社長も言ってたけど、男に喜ばせたくなかったんだと思ってる。

「それやったら、もしかして」
「ありえるね」

 熊倉以外の九人は強姦魔のはず。担当したのはゲシュティンアンナだけど、この連中への死刑以上の刑は熊倉と違い死刑じゃない。コトリ社長の言う通り神の快楽でマゾ奴隷にしただけでなく、神の快楽の中毒にしたはず。

 それもゴリゴリの重症中毒症状にさせ、強烈どころか苛烈な禁断症状が現れるまでね。そこまでが刑への準備で本番は売られた後。神の快楽の禁断症状はゲシュティンアンナじゃないと一時的でもスッキリ出来ないんだよ。人の男じゃ少し和らぐ程度。

 激烈な禁断症状は死ぬまで止む事なく襲い掛かってくる。これを和らげるために、男をひたすら求め、腰を振り続ける生活しか出来なくなる。だが、どんなに長時間輪姦され尽くされ、数えきれないぐらいイカされても満たされることはないはず。これが強姦魔に与えられる刑。

「淫乱地獄みたいな刑やな。やっても、やっても満たされへんのがホンマに辛そうや。これはこれで結構な刑やけど、熊倉はそのコースにせんで拷問死にしたんやな。そやけど、あれこれ計算違いのことが起こった」
「というか、わずかな可能性に熊倉が順応し適応したと言う方が正しいと思います」

 計算外が起こったのは熊倉のムチへの順応の速さ。コトリ社長の経験通り、ムチ打たれたら反発と言うか恨みが出るのが自然な反応のはず。とくに理不尽なムチなら必ずそうなるはず。熊倉へのムチは理不尽そのもので、問答無用で体を女にされ、心も女にしろとムチで強要されてるからね。こんなもの順応しようがないじゃない。それこそ、

『誰がお前の思う通りになるものか』

 こうなってしまえば二日目のムチで熊倉は死んでいてもおかしくない。それぐらいのムチはマリは余裕で揮ってる。

「最初の死刑執行で熊倉に生きたいと思う願いが強く出過ぎたんやろな」
「だろうね。女にされ、女の心になり、女として犯され、女としてイカされ、男の性奴隷にされても生きたいぐらいにね」

 そこまで熊倉に適性があったかをゲシュティンアンナとて見抜いたとは思わないけど、結果的には熊倉はマリのムチを受け入れてしまい、

「あれも入れてもたんやろな」
「セットにしてたから違和感がなかったのかも」

 回復の秘術だけど、編み出したのはドゥムジで良いと思う。この秘術には二つの効果があったはず。一つはムチの痛みだけ受けてダメージは素早く回復させるもの。もう一つは被虐を喜びと動機付けするもの。

 だけど被虐を喜びとするものはドゥムジには不要のもので、秘術を編み出す過程で副作用みたいに付いて来たのじゃないかと考えてる。というかドゥムジは被虐こそ喜びの究極のマゾヒストだから、そんな効果があるのさえ気が付いてなかった気がする。

 ドゥムジからゲシュティンアンナに回復の秘術は伝わったはずだけど、ゲシュティンアンナは十分に習得できていないと見てる。十分どころか習得できなかったはずなんだよ。

「そっか、そっか、習得したつもりで施したら回復の秘術は起こらなかったんや」
「起こったのは被虐を喜びとする動機付けだけ」

 それでもゲシュティンアンナには有用な秘術だったから駆使したぐらいに考えてる。これも熊倉には不要な秘術だけど、性転換術のセットとして組み込まれていたか、ウッカリ外すのを忘れていたと思う。

「そういうことか」
「火種だけ残っていたんだね」

 熊倉はかすかに伝わっていた回復の秘術を見事に開花させてしまったはずなんだよ。そうじゃなきゃ、おかしいじゃない。あれだけのムチを回復の秘術無しで誰も耐えられないよ。みんな死んじゃうもの。

「熊倉レポートって、ひょっとしたら翆への釈明書みたいなものかも」
「そうかもな。ムチで殴り殺し損ねた弁明書みたいなものかもしれへん」

 違うと思う。あんなレポートで翆が納得するものか。翆への報告があったとしても熊倉が拷問死しただけのはず。どうせ確認なんかされないもの。やはりあれは商品の紹介文のはず。それもまだ下書き段階だよ。だって長すぎるもの。あそこからレポート用紙一枚ぐらいにまとめていくはず。

「熊倉は選ばれるべくして選ばれたのね」
「陳腐やけど、まさに因果応報そのものやな」

 でも熊倉で最後のはずなんだ。大道は入院したんだ。詳細は伏せられてるけどおそらく脳出血。まずは助からないし、仮に助かってもこれまでの大道ではなくなるはず。闇の委員会も大道の隠然たる政治力があってのものだもの。

「もう解散したかもしれんな」
「そうね。最後の大仕事だったかもしれない」

 熊倉以降も囚人がゲシュティンアンナの下に送られたかどうかは確かめようがないんだよね。だけど、熊倉のためにあれだけ危ない橋を渡ったから、熊倉が最後の可能性も十分にあるはずなんだ。