謎のレポート(第34話)たどりついた果て

「処女のままマゾ奴隷にしたのは?」

 これが最後に残された謎になっちゃうんだよね。まずだけど闇の委員会が月集殿に送っていたのは強姦魔だけで良いはずなんだ。熊倉の最後の晩餐の相手をした女も淫乱地獄への準備が進んでいた連中のはず。

 熊倉があれだけのムチャをして月集殿に送られた理由も翆の恨みを晴らすため。ここもポイントだけど、強姦魔には淫乱地獄の刑が与えられるけど殺されるわけじゃない。熊倉は本来が死刑だったから死刑以上の刑になったはずなんだ。

 さらにがあるはず。熊倉以外の強姦魔に与えられる刑は予め決められていたもので良いと思う。だけど熊倉には処刑方法のオーダーまで入っていたはず。翆が考えたのか、太郎が考えたのか、大道だったのかはわからないけど、選ばれたのはムチによる拷問死。

 これをマリが担当したのも理由があって、月集殿のサディストはマリとゲシュティンアンナだけ、このうちゲシュティンアンナはムチは使わないはず。だから必然としてマリになったはずなんだよ。

 このマリだけど、シノブも途中まで勘違いしてた。メイド服だし、ゲシュティンアンナの命令を受けていたから、扱いはマゾ奴隷と同じか、せいぜいその中のトップぐらいと思い込んでたんだよ。

 でもさぁ、マリはドゥムジの妻だし、ドゥムジの女王様だし、さらには神なんだよ。月集殿のナンバー・スリーに違いないよ。食堂で熊倉たちは長テーブルに着いたけど、おそらくマリはそれを見下ろす一段高いテーブルの席にいたはずなんだ。そこはゲシュティンアンナや夫のドゥムジと食事を取るところのはず。

 もう一つ見逃しそうなところは、月集殿で殺しは初めてのはずなんだ。ゲシュティンアンナは別に人を殺すのにさしたる感想もないと思うけど、マリは違ったはずなんだ。マリは神であっても感覚は人だからね。

 マリも熊倉の凶悪犯ぶりを知ってたはず。月集殿だってテレビもネットもあるはずだもの。熊倉が折り紙付きの殺人鬼であり、強姦魔の死刑囚なのをね。だから引き受けたんだろうけど、いくら凶悪犯でも、自分の手で人を殺すのに躊躇いは出たはずなんだ。

「なるほどな。死んで当然の相手でも自分の手を汚すのは嫌やろな」
「だから最後の晩餐に参加したのかも」

 最後の晩餐はマリなりの情けの気持ちの表れの気がする。サディストの心理なんかわからないけど、最後の晩餐に参加したことで、さらにマリの心情が変わった気がするんだよね。そう出来たら殺したくないぐらいにね。

 だからマリはゲシュティンアンナに条件を出した気がするんだよ。熊倉が生き残れる可能性を残すために。

「それって性転換するときに服従の動機付けを入れるってことか」

 ここも考えたんだけど、太郎や強姦魔には入れてない気がするんだよ。太郎はマゾ奴隷じゃないから当然だけど、強姦魔は服従に反発する方がゲシュティンアンナにとって楽しそうだもの。そう、男の心のままで、生理的に受け付けない男を、自分の体の裏切りに悔し涙を流しながら求めまくらされる状態に追い込んでいくのがね。

「それって円城寺家時代と同じね」
「いや、もっとエグイで。円城寺家時代はゲシュティンアンナと旦那以外には、死んでも男に体を開きたくないやったやんか。これが淫乱地獄の刑になると、そう心にいくら決めても進んで男に体を開かなアカンやん」

 これが淫乱地獄の刑の最後のキモで良いはず。見ただけで吐き気を催すぐらい嫌悪感がある男に次々と貫かれないと、神の快楽の禁断症状に耐えられないし、そこまでの屈辱に耐えても禁断症状は決してやむことが無いはず。

 ある意味わかりやすい刑で、強姦魔が餌食にした女がされてきた仕打ちを、死ぬまでその身で受け続けるぐらいだよ。そう好きどころか嫌悪感しかない男を、毎日客として取らされる生活だよ。それを死ぬまで続けるしかない体にされてるってこと。

「ホンマに死ぬまでになるな」
「そうね。歳も取らないし、アソコだって人と違って、いくら使っても壊れないし、見た目だって処女同然だもの」

 それとマリはサディストだけど、単に相手が苦しむのを楽しむタイプではないはず。マリのサディストはSMプレイでのサディストのはずなんだ。SMプレイのサディストは、マゾが欲しい苦痛を読み取り、それを与えたり、わざと外して喜ばしたりの駆け引きがプレイの本質のはず。そうやって喜ぶマゾに自分も興奮するぐらいだよ。

「それって熊倉へのムチも」
「だから最初は背後から」

 マリのムチは筋金入りのプロのムチ。数は叩いてるけど、それこそ満遍なく偏りがないように叩いてたはずなんだ。そう、出来るだけ殺さないようにね。そして熊倉に唯一生き残れる手段である、心の奥底まで本当の女になりマゾ奴隷に堕ちるようにメッセージを伝えていたはず。

「そうだよね。マリの熊倉への女教育は通り一遍のものじゃなく、本気としか思えないものね」
「マリのムチは神のムチでもあるやんか、そやからムチでもメッセージを伝えられても不思議あらへん」

 熊倉はマリのメッセージを受け取っているし、マリは熊倉がそのメッセージを受け取ったのは気づいたはず。熊倉はメッセージを受け取った瞬間から、服従への動機付けが強烈に作用してマゾ奴隷に一直線に堕ちて行ったに違いない。

「でもどうして処女のままなのよ」

 熊倉の調教の管轄はマリだったからが大きいと考えてる。それもゲシュティンアンナが調教中に一度も顔を見せないぐらいに信用されている。途中で熊倉がムチで死ななかった事とか、生かしてマゾ奴隷にすることも相談してるはずだけど、すべて了解されてるはずなんだ。それぐらい月集殿でのマリの地位、発言力はあったはず。

 マリだって処女を散らしたかったらバイブなりペニバンを使えば出来るけど、マリの狙いはマゾ奴隷としてそれは御主人様にすべて捧げさせるための気がする。

「そういうたら、レズプレイどころか、オナニーすらタブーとして禁じてたな」
「そうよね、教養の時に具体的なプレイにどんなものがあるかの予備知識は与えていたけど、実戦練習は無しだものね」

 あの教養は御主人様が何をしようとしても怖がらせないようにしたもので良いはず。相当なレベルで教え込んでいるのは、求められた時に怖がったり逃げたりせず、女なら進んで受け入れるものとして覚えさせ、それは女の真の喜びと洗脳してたはずなんだ。

 そうしたのはすべて熊倉のため。いくら知識として知っていても、実際に受け入れれば初々しい反応を示すしかないもの。そこから女の喜びとして開花していく様子は御主人様に取っても一番喜ぶ事だと思うのよね。だから熊倉は可愛がられ、大事にされるぐらい。

 別にSMプレイじゃなくとも、男は女が自分の腕の中で徐々に開花していくのは嬉しいはずだもの。それが処女からならなおさらじゃない。熊倉なら処女どころか、女のすべての初めてをすべて開花させられるけど、それを喜んで花咲かせてくれる女が可愛く感じないはずがないじゃない。

「なるほど、マゾ奴隷として売られるのは既定事項でも、売られた先で熊倉がいかに幸せと感じて暮らせるかにマリは全力を注入したってことやな」
「回復の秘術はどうなったの」

 あれはマリにしても予想外のはずだけど、回復の秘術を身に着けたマゾは知ってるのよね。言うまでもなく夫のドゥムジ。だから熊倉がそうなっているのは知ったはず。だからこそ食堂から庭掃除までステージを進めたんだと思う。

 マリのムチは回復の秘術を高める一方で、服従への動機付けをドンドン深くする。より完璧なマゾ奴隷にするほど売られた後の熊倉の生活は幸せになるからね。だから女の心になり、熊倉を忘れてアリサになった頃はご褒美にムチを減らしていたけど食堂以降は、

「ムチの終着点が滅多打ちどころか、女の急所に打たれてもなお、それが感謝と喜びにしかならなくなるってことか」
「それも言葉に出来ないほどの感謝の念になったのを見届けて、マリはマゾ奴隷の完成にしたのね」

 マリは熊倉に開花した回復の秘術をトコトン利用したんだよ。服従の底の底に固定させるためにあれだけのムチを揮ったはず。ドゥムジもそうなっていたかはわからないけど、もしモデルにしてたらそのレベル。

 マリは熊倉にすべてを授けたとしてたけどそれは完璧な服従そのもの。最後に涙まで見せたのは満足感もあるだろうけど、熊倉のこれから暮らす世界はマリが考えているより、さらに苛酷なものになると心配したものじゃないかと考えてる。


 色々思うところがあるけど、罪を憎んで人を憎まずなんて綺麗事を言える気がしないのよね。あれは、あくまでも他人事の時。翆のような目に遭って言えるものか。こんなもの理屈じゃない、女として許せるもんか。翆だけじゃない、熊倉にスカウトされた女の恨みがどれだけ深いか。

 翆が助け出された時の状態は酷かったんだ。心も体もボロボロで廃人同様だったんだよ。それを太郎が懸命の治療とサポートで助け出してるんだ。翆の人生をムチャクチャにした熊倉が受ける刑は死刑でも足りないよ。

「シノブちゃんらしくないけど、女としての本音はね」
「仮にも親なら、そう思わへんのはおらへんはずや。太郎はたまたま使える手段があったから使てんやろ」

 だけど熊倉はマリの憐憫のお蔭で罰すら受けないじゃない。外形的にはマゾ奴隷として売られ、苦界の底で死ぬまで暮らすことになるけど、そこは熊倉にとって苦界じゃなくなってる。

 毎日何人もの違う男に好き放題に貫かれ、悶絶するほど感じさせられ、よがり狂ってイキまくらされても、それを至上の喜びに出来る心と体を手に入れてしまってる。こんなもの刑でも罰でもない、こんなものマゾ奴隷の歓喜の天国だよ。

 ムチで死ななかったなら、熊倉は他の手段で殺すべきだった。火炙りでも、八つ裂きでも、釜茹ででも、とにかく苦痛のうちの死を与えるべきよ。最低限でも強姦魔同様に淫乱地獄に叩き込まないと気が済まない。これはミスだ、ゲシュティンナンナが犯した致命的なミスだ。

「言いたい気持ちはわかるけど、ちょっとした手違いぐらいやろ」
「そうだよ。八方丸く収まってるじゃない」

 そっか、そっか、やっとわかったぞ。マリは最初から熊倉を殺す気なんかなかったんだよ。マリが心配したのは熊倉の被虐を喜びとする動機付けが上手く発動せず、結果としてムチで殺してしまう事だったんだ。

 マリが最後の晩餐に参加したのもずっと不思議だったんだ。マリ以外の四人は淫乱地獄の刑の準備中だったから男と見たらむさぼりついたのはわかるけど、マリは違うもの。あれは目的と狙いがあったはずなんだ。

 一つはメッセージを送る事。メッセージと言っても紙に書いたり、口で言葉にするものじゃない。熊倉の心に送るもの。内容は男であったのに女になると言う被虐を熊倉が受け入れる事のはず。

 それを熊倉が命じられるのではなく、自分が思いつき、自発的に実行していると思い込むのが、被虐を喜びとする動機付けを強く発動しやすくなるカギだったんだ。マリは神のムチでもメッセージを送れるけど、熊倉のペニスからならもっと強力に送れたはず。

 輪姦状態にしたのはサディストの趣味もあったのだろうけど、熊倉が何も考えられない状態に追い込むのもあったはず。あれだけやられたら、そうなるよ。そうやって熊倉の心をこじ開けて、さらに熊倉がさらに無防備になるイク瞬間を狙ってメッセージをペニスから送り込んだはず。それも少なくとも六回以上だよ。

 その効果は女になった初日の夜から、このまま女であっても生き抜くの決意をさせてるし、ムチ二日目には本気で心から女になろうと決断させている。あそこが熊倉の生死を分けたけど、あんなに早くそうなれたのはマリからのメッセージの効果だったんだよ。

 もう一つはマリ流のサディズムのため。マリのSMはあくまでもプレイなんだよ。プレイとしてのSMで必要なのは相互の深い信頼と信用。はっきり言うと愛が必要のはずなんだ。愛を示すのに一番効果的なのは体が結ばれること。

 マリと結ばれた熊倉は、脱走のためやムチの恐怖を逃れるために反抗はみせたけど、マリはずっと信用していたもの。それがあったからこそ、あれだけマリに忠実なマゾ奴隷になれたはずなんだ。たとえ女になってもね。

 最後にマリも涙を流したのも熊倉への愛だったんだよ。愛があったからこそ、これから熊倉が過ごす世界に可能な限り順応できるマゾ奴隷にしようと懸命だったし、熊倉も渾身の愛で応えたはず。普通じゃ理解すら出来ないけど、そういう世界の愛の形だよ。

 夫であるドゥムジはどうだったかだけど、最愛の妻であり、崇め奉る女王様のマリが熊倉と結ばれ、自分そっちのけで熊倉の調教にかかりつけになっている姿を見せられるのが、被虐の喜びになったんじゃないのかな。

 シンプルには嫉妬だけど、女王様であるマリにマゾ奴隷が嫉妬を抱くのが許されざることで、白状させられたうえで、反省のムチの嵐をもらい、さらに激しく責められ尽くされてる気がする。自分で言いながら、もうこの辺は理解を超えすぎてるけどね。


 熊倉を殺す気がなかった他の傍証もあるんだよ。ゲシュティンアンナは神だし、神は平気でウソを吐くけど、熊倉が拉致された時にゲシュテインアンナはこう言っている。

『私が買った』

 さらに、

『せっかく絞首台から生還させたんだからな』

 熊倉をムチで拷問死させてもゲシュティンアンナは損するだけじゃないか。だから闇の委員会にはオーダー通り、熊倉は翆の恨みのムチを浴びながら死んだと報告しているはず。それも激しくムチ打たれる熊倉の動画も添えてよ。あれだけムチ打たれて死んだと言われれば誰でも信じるもの。

 その程度のウソはゲシュティンアンナにとって日常茶飯事レベルだもの。ゲシュティンナンナに関心があるのは自分の趣味をどうやって楽しむか、生きていくための商売をどうするかだけなんだよ。それが神だし、うちにも二人いる。


 ちなみにだけど、青野史郎が青野の変で与党を除名処分になり総選挙で落選してるじゃない。青野が負けたのは与党候補なんだよ。いわゆる刺客ってやつ。青野の負け方はまさに惨敗で次点にも入れなかったぐらい。

 一挙に求心力がなくなったのか、いわゆる青野王国は総崩れになり、翆の父親も市会議員を落選。本業も冷や飯というより冷凍御飯状態になり倒産。夜逃げしてどこに行ったかわからなくなってるよ。まあ、これぐらいの因果応報はあっても良いと思うよ。