謎のレポート(第33話)これが真相か

 ずっと、ずっと引っかかっていたのだけど、熊倉のケースはやはり無理が多すぎるところがあるのよね。簡単に言えばリスクが高すぎるってこと。とにかく秘密を知る関係者が多すぎる。

 死刑執行から助け出すためには、少なくとも死刑執行に立ち会った刑務官全員がグルにならないといけないじゃない。拘置所から運び出すのもそうだよ。この辺は詳しくないけど、病院とか家で死ぬとでは監視の目が違うはずだもの。

 これに比べたら、強姦犯を拉致するのはずっとお手軽のはずなんだ。刑務所だって医者はいるけど、出来るのはしょぼくれた町医者程度。それじゃ手に負えない病気やましてや入院が必要になればどうなるかなんだよね。

 どうなるもこうなるも病院に受診なり入院になるのだけど、囚人専用の病院は愚か、囚人用の病室を持つ病院もないんだ。じゃあ、どうするかだけど刑務所の外にあるごく普通の病院を利用することになる。

 警察病院もあるけど、あれは警察職員の福利厚生を目的に建てられたものなんだ。名前こそ警察が付いてるけど、市立病院が市民病院となってるふらいの意味しかない。誰でもごく普通に利用できる普通の病院に過ぎないってこと。

 そりゃ、囚人の入院なんて喜ぶところはないと思うから、なんだかんだと引き受けることは多いと思うけど、別に鉄格子付きの病室があったりするわけじゃない。普通の医者と、普通の看護師と普通の職員と、普通の病人が利用している普通の民間病院。言うまでもないけど警察官が常駐して監視している訳じゃない。

 ここはシンプルに言うと囚人でも刑務所で死ぬより病院で死ぬ方が監視は緩いし工作もやりやすいぐらいかな。入院中も刑務官なり警官が警護には付いてるけど、囚人が死ねば監視の目は一遍に緩むはずだもの。

 だからどう考えても死刑執行まで進ませておいて、そこから助け出して拉致するのは、やることが大きすぎるし、リスクも高すぎる。とにかく露見すれば国家的大スキャンダルになるもの。だから熊倉のケースは例外中の例外のはずなんだよ。

「復讐のため?」
「そうだと思います。愛する娘である翆のためではないかと」

 熊倉の死刑執行はあえて行われたはず。死刑囚の熊倉を拉致するだけなら、それこそクスリでも飲ませて入院させてからすればもっと容易だもの。だからあれはあえて熊倉を死の淵まで追い込まれる経験をさせるためだったんだよ。

 死刑執行は絶対的な死を意味するよ。とくに絞首台まで行ってしまえば観念する。独房から呼び出されただけでもきっとそう。あれこれ手続きが進んで首にロープを巻かれて突き落とされるところまで行けば、もう死んだと誰もが思うはず。そう、ギリギリの死の恐怖を味合わせるためにあえてやったのだと思う。

「なるほどや。熊倉の調教が、ゲシュティンナンナじゃなくマリだったのはそういうことか」
「狙いはマリの神のムチによる拷問死」

 シノブもそう思う。だからこそ最後の晩餐があったんだ。

「一度命拾いさせた後に殺されんのは辛いやろな」
「それもムチ打ちによる拷問死だものね」

 これこそが熊倉に与えられるはずだった死刑以上の刑だったはず。シンプルには絞首台でラクに殺さず、苦痛の末の拷問死を与えるもの。ムチを選んだのは復讐のため。マリの一打一打には翆の恨みが込められていたはず。

 それでも飽き足らないとしたのが、絞首台からの絶体絶命状態からの救出。生き延びたと思わせておいてからの苦痛の末の拷問死をさらに付け加えようとしていたはずなんだ。

 それだけじゃないはず、性転換させて女の体で男にレイプされる恐怖も付け加えていた気がする。実際にレイプさせなかったのは、コトリ社長も言ってたけど、男に喜ばせたくなかったんだと思ってる。

「それやったら、もしかして」
「ありえるね」

 熊倉以外の九人は強姦魔のはず。担当したのはゲシュティンアンナだけど、この連中への死刑以上の刑は熊倉と違い死刑じゃない。コトリ社長の言う通り神の快楽でマゾ奴隷にしただけでなく、神の快楽の中毒にしたはず。

 それもゴリゴリの重症中毒症状にさせ、強烈どころか苛烈な禁断症状が現れるまでね。そこまでが刑への準備で本番は売られた後。神の快楽の禁断症状はゲシュティンアンナじゃないと一時的でもスッキリ出来ないんだよ。人の男じゃ少し和らぐ程度。

 激烈な禁断症状は死ぬまで止む事なく襲い掛かってくる。これを和らげるために、男をひたすら求め、腰を振り続ける生活しか出来なくなる。だが、どんなに長時間輪姦され尽くされ、数えきれないぐらいイカされても満たされることはないはず。これが強姦魔に与えられる刑。

「淫乱地獄みたいな刑やな。やっても、やっても満たされへんのがホンマに辛そうや。これはこれで結構な刑やけど、熊倉はそのコースにせんで拷問死にしたんやな。そやけど、あれこれ計算違いのことが起こった」
「というか、わずかな可能性に熊倉が順応し適応したと言う方が正しいと思います」

 計算外が起こったのは熊倉のムチへの順応の速さ。コトリ社長の経験通り、ムチ打たれたら反発と言うか恨みが出るのが自然な反応のはず。とくに理不尽なムチなら必ずそうなるはず。熊倉へのムチは理不尽そのもので、問答無用で体を女にされ、心も女にしろとムチで強要されてるからね。こんなもの順応しようがないじゃない。それこそ、

『誰がお前の思う通りになるものか』

 こうなってしまえば二日目のムチで熊倉は死んでいてもおかしくない。それぐらいのムチはマリは余裕で揮ってる。

「最初の死刑執行で熊倉に生きたいと思う願いが強く出過ぎたんやろな」
「だろうね。女にされ、女の心になり、女として犯され、女としてイカされ、男の性奴隷にされても生きたいぐらいにね」

 そこまで熊倉に適性があったかをゲシュティンアンナとて見抜いたとは思わないけど、結果的には熊倉はマリのムチを受け入れてしまい、

「あれも入れてもたんやろな」
「セットにしてたから違和感がなかったのかも」

 回復の秘術だけど、編み出したのはドゥムジで良いと思う。この秘術には二つの効果があったはず。一つはムチの痛みだけ受けてダメージは素早く回復させるもの。もう一つは被虐を喜びと動機付けするもの。

 だけど被虐を喜びとするものはドゥムジには不要のもので、秘術を編み出す過程で副作用みたいに付いて来たのじゃないかと考えてる。というかドゥムジは被虐こそ喜びの究極のマゾヒストだから、そんな効果があるのさえ気が付いてなかった気がする。

 ドゥムジからゲシュティンアンナに回復の秘術は伝わったはずだけど、ゲシュティンアンナは十分に習得できていないと見てる。十分どころか習得できなかったはずなんだよ。

「そっか、そっか、習得したつもりで施したら回復の秘術は起こらなかったんや」
「起こったのは被虐を喜びとする動機付けだけ」

 それでもゲシュティンアンナには有用な秘術だったから駆使したぐらいに考えてる。これも熊倉には不要な秘術だけど、性転換術のセットとして組み込まれていたか、ウッカリ外すのを忘れていたと思う。

「そういうことか」
「火種だけ残っていたんだね」

 熊倉はかすかに伝わっていた回復の秘術を見事に開花させてしまったはずなんだよ。そうじゃなきゃ、おかしいじゃない。あれだけのムチを回復の秘術無しで誰も耐えられないよ。みんな死んじゃうもの。

「熊倉レポートって、ひょっとしたら翆への釈明書みたいなものかも」
「そうかもな。ムチで殴り殺し損ねた弁明書みたいなものかもしれへん」

 違うと思う。あんなレポートで翆が納得するものか。翆への報告があったとしても熊倉が拷問死しただけのはず。どうせ確認なんかされないもの。やはりあれは商品の紹介文のはず。それもまだ下書き段階だよ。だって長すぎるもの。あそこからレポート用紙一枚ぐらいにまとめていくはず。

「熊倉は選ばれるべくして選ばれたのね」
「陳腐やけど、まさに因果応報そのものやな」

 でも熊倉で最後のはずなんだ。大道は入院したんだ。詳細は伏せられてるけどおそらく脳出血。まずは助からないし、仮に助かってもこれまでの大道ではなくなるはず。闇の委員会も大道の隠然たる政治力があってのものだもの。

「もう解散したかもしれんな」
「そうね。最後の大仕事だったかもしれない」

 熊倉以降も囚人がゲシュティンアンナの下に送られたかどうかは確かめようがないんだよね。だけど、熊倉のためにあれだけ危ない橋を渡ったから、熊倉が最後の可能性も十分にあるはずなんだ。