なるほど若狭路って大原に通じてるのか。大原と言えば、
「♪京都大原三千院、恋に破れた女が一人」
千草をそうさせないようにするのがコータローの仕事でしょ。ここまで来たからと三千院にも無理やり寄って、宿はそろそろだよね。
「・・・」
そろそろかって聞いてるじゃないの。返事をしなさいよ。
「あった、あった、あそこや」
あれは『キツヤ』って読むの?
「キツネや」
ありゃそうなんだ。こじんまりした民宿だけど、なんとなく大原って感じがするから合格。
「全部そう見えるんちゃうか」
どうしてもね。京都ってそんな街なんだよ。
「福知山でもか?」
あそこは京都でも丹波だ。お風呂頂いて夕食を食べながら、なんとなく佳澄とイッチの話に。
「一条さんとこって子どもがおったよな・・・」
いたはずだよ。でもあのままじゃ離婚になるからどうするつもりなんだろ。どうするもこうするもまだ子どもだから、
「子どもにすべて縛られろは言い過ぎかもしれんが、子どもは親を選べんからな」
そうなのよね。千草も母親に捨てられたようなものだけど、どこかで母親が恋しい部分はあったもの。まあ、それも不倫をやらかしやがったのを知って憎悪に代わったけどね。
「一条さんもイッチも子どもはいらんやろな」
そうなるね。とくにイッチは先夫の子どもなんて他人だし、一条家の資産も狙いだったら自分の子どもに継がせたいはずだ。
「一条さんのお兄さんも子どもがおったよな」
息子さんはいたはずだから、佳澄の思惑通り事が進んでもお家騒動必発だ。というかさ、佳澄なりイッチが社長になったとしてお兄さんの処遇をどうする気なんだ。
「あの二人は家から追い出して一件落着ぐらいに考えてるんやろうけど、そうは行くかいな」
江戸時代じゃないもの。親子とか兄弟姉妹で喧嘩しまくった挙句に絶縁とか、勘当とかになった話はあるけど、あれだってあくまでも『状態』で、
「法的にはあくまでも親子やし兄弟姉妹や」
ましてや故郷は田舎だ。不倫から離婚、不倫相手と再婚してお家乗っ取りなんて市内のすべてに広がるもの。そうなるのを誰より良く知ってるのが佳澄の両親になる。
「それでも可愛がっとってんやろ」
佳澄があそこまでの暴挙に突っ走ったのも、なんだかんだで最後は親が認めてくれるはずと確信してるからの気がするのよね。それぐらい甘やかされていたのだろうけど、
「嫁に出された時点でわからんかったんやろか」
そう見るか。でもそうよね、後継者である資格は、そこの家の息子なり、娘であるのが大前提ではある。それが世襲の原理でもある。嫁に行って家から出てしまうと家の娘ではなくなり資格を失うのよね。世襲はあれこれ批判は強いけど、
「古い家つうか、財産のある家ほど跡目で揉めたトラウマがあるはずやねん」
コータローによると鎌倉時代の武家の相続は分家だったらしい。とくに関東だったら分家して新たに開墾して一族の力を大きくしようぐらいかな。これは無限のフロンティアがある前提だけどやがて行き詰まり、
「分家、分家で細分し過ぎて弱なってもた」
そこで惣領が全取りする相続法が登場したのだけど、
「誰が惣領になるかで喧嘩しまくったんが南北朝時代や」
惣領になれなかったら冷や飯食いの飼い殺しならそうなるよね。だから世襲は長幼の順にするってのになって行ったぐらいで良いと思う。今はって言うと、
「男女平等、兄弟姉妹も平等の時代になってるやん」
争うほどの財産がある家も減ってしまったけど、そういう家なら兄弟姉妹で揉めだすと収拾がつかなくなるのか。でもそうだよね、千草の家だってそうだ。千草は社長の椅子に興味はなかったけど、
「継母さんがあれほど千草を敵視したんは、千草が家を欲しがれば修羅場になると見てたからやんか」
そうなる。千草にすればコータローの嫁になった時点で完全に済んだ話のつもりだったけど、起こったのは弟の結婚式の醜態だ。千草は嫁に行っても実の娘ではあるから、家の事への発言力はあると見てたんだろ。
家の支配者はもう継母と弟のもので、千草は一族とは完全に縁が切れた人のアピールをやり過ぎたのがあれだろうな。どうでも千草にトドメを刺してしまいたいの怨念が噴き出したようなもの。佳澄のお父さんもそんな懸念があったのかも。
「もし一条さんを後継者候補に残す気があったら婿入りやんか。もっとも、それやったら後継は決まりみたいな話になるけどな」
ここだけど今の考えが入ってくれば、嫁入りして姓が変わっても親子の関係は変わらないし、実子の権利も変わらないのが法律ではある。とは言うけど、
「オレはやっぱりイッチが男として情けなさすぎると思うてまうねん。男ってな、自分の足で立ってこそ価値があると思わんか」
それは思うよ。そりゃ、男女は平等だから専業主夫だってありだとは思う。でもさぁ、女が一番魅かれる男は、どんなに時代が変わっても強い男だ。もちろん強さの評価は時代で変わるけど、どんな時代であっても軟弱なヒモ男がモテモテになるなんてあり得るもんか。
「そんなんが好きな女がおるからヒモ男やヒモ夫が成立するやん」
ぐむむむ。いるのよね。母性本能がくすぐられるって言うけど、千草には死んでもわからない感覚だ。千草は強い男が好きだ。
「イッチはオレに勝って見下したいの執念に取りつかれてしもうたんはわかるけど、勝ちたいなら正々堂々と勝負せんかい。それとやな、勝負は一回きりやない。医学部で負けたら次の勝負があるやんか」
それが言いたいのか。イッチは医学部の学歴勝負でコータローに勝とうとして結果として無残な結果になってはいる。それはそれで負けを潔く認めて、そうだな、社会的な成功の大きさでコータローに勝負を挑めば良かったんだ。これに制限時間は無いから、それこそ死ぬ間際に『オレは勝ったぞ』こう思えばそれで良いはず。
「そうや、男が一生賭けて戦う勝負や」
コータローの主張は綺麗ごとだよ。でもさぁ、男の強さの魅力って綺麗ごとに命だって賭けられるところもあると思うんだ。古臭いって言われようが、そういう男を支えて共に戦いたいのも女だと思う。今どきだったら逆も成り立つときは・・・あると思う。
「なんかやけど、不倫までしとるけど、離婚騒動まで行く前に線香花火のように終わる可能性もあると思うてるねん。いや、そうなって欲しいねん」
ああ、それ思った。なんかやってることがお気軽過ぎるのよね。あんな根性で田舎の中小企業の社長の椅子であっても奪い取れるとは思えなかったのよね。それをやりたいなら、もっと図太い腹黒さが絶対に必要よ。
「あそこで声をかけやがった時点でアホや。あんなんしたいんやったら、せめて社長の椅子に座って一条の家を抑えきってからにするもんや。あんなに浮ついて勝てるはずがあらへんやろ。世の中舐めとるわ」
コータローもキツイけど、それで良いと思う。他人の褌を奪うのだって、奪われようとする方は死に物狂いで抵抗するに決まってるじゃない。そっちの腹黒さだって男の強さじゃない。
「千草もキツイな。イッチのやってることはしょうもないヒモ男や」
人妻の佳澄を篭絡しただけだものね。そこから始まると言えば始まるのだけど、あくまでも第一段階に過ぎないもの。佳澄の甘言に乗ったのもあるとは思うけど、
「そこに踏み込んでんやったら、その後に起こることぐらい覚悟せんかいや。誰の女に手を出して、何をやらかそうとしてるんもわからんのかや。たかだか女一人落としたぐらいで勝った気におるなんて信じられんわ」
不倫から離婚騒動、そこから再婚するだけでも半端じゃないものだし、さらに一条家と会社を奪おうとするならになるものね。それだけのパワーがあるのなら、こんな陰湿な謀略みたいな事をやるより、他に向けようがあるのはそう思う。コータローが言う通り、佳澄を落としただけであの浮かれようじゃ、離婚騒動にもならないかも。
「まあ、とりあえず置いとこ。オレらがやっとるのはツーリングやからな。そんなことより、この鍋美味いな」
味噌仕立てだけど、自家製味噌ってやつかも。自家製でなくても京都の味噌だよね。それにダシが違う気がする。
「千年の古都の味やな」
そう思う。