ツーリングの途中から頭の中はカニが半分以上を占めてたぐらい。そしてついに待望のカニが出た。
「ようまあ、こんだけ・・・」
どれだけ頼みこんだのだと思ってるんだ。究極のカニ尽くしコースだ。さあ食うぞ。
「千草にカニやな」
なんだそれ。千草に本当に惚れてるのならもっとカニを食わせろ。
「神戸でも松葉は食えるけど高いやんか」
まあね。平気で何万円もするんだもの。あれだけ出せばって気になるのは千草もそうだ。だからこそ今夜はカニに集中する。ケチのコータローの妻なんかやってたら、次がどんだけ先かわかったもんじゃない。
「そこまで言わんでも・・・」
うるさい。カニへのコンセントレーションを乱すな。そうやって食べるのがカニ好きのマナーだ。黙々とカニに集中していたら、
「見事なぐらい無口になるな」
ほっとけ。カニ好きにカニ食わしたらこうなるのがルールだ。さすがに漁港に近いから新鮮だし、美味しいよ。カニってやっぱり足が早いのよね。これは婆さんに聞いたのだけど、昔は日本海のカニは瀬戸内海では食べられなかったとか。
その頃は冷凍技術もまだまだ過ぎたし、冷蔵技術と言うか、冷蔵輸送技術も今とは大違いだったそう。神戸辺りで生のカニを食べれるようになったのも大昔じゃないみたいなんだ。
「瀬戸内海やったらワタリやもんな」
あれも好きだ。だから親父でさえ、カニの刺身を初めて但馬のカニツアーで食べた時に仰天したとかなんとか。もっとも今だって神戸でカニ刺しなんてそうは食べられないはず。
「万札食べてるようなもんやろ」
今だって但馬からカニを運ぶのはどうしたって時間がかかる。その分だけ但馬のカニはやはり美味しいんだよ。たぶん、美味しいはず。少なくとも不味くなる理由はどこにもない。千草がわかるかと言えば自信がない。たぶん間違う。
「格付けチェックに出ん方がエエな」
あれか。あれは番組的にはおもしろいだろうけど、誰かが言ってたな。あれぐらいその差がわからないのなら、安い方で良いって。演出的に桁違いどころか、二桁違いぐらいのものを出すけど、とくに食い物なら肝心なのは本人の満足だって。
貧乏舌の何が悪い。貧乏舌だって味の違いはわかるんだよ。偏食と貧乏舌は違うからね。だってだぞ、味がわかり過ぎてバカ高いものしか食べられなくなったら、舌は金持ちでも本人は貧乏になるだろうが。
千草はこの紅ズワイを美味しいと思う。それで良いじゃないか。松葉の本当の味を知らないバカとするなら勝手にやりやがれ。どっちみちケチのコータローの嫁になってしまったから、紅ズワイだって滅多に食べられないんだよ。
「カニ雑炊も美味いんよな」
そんなもの決まってるだろうが。千草はカニ雑炊と、フグ雑炊と、アワビ雑炊を三大雑炊と考えてる。
「三大やったらスッポンが入らへんのか」
シャラップ。入れさせたいなら千草にスッポンを食わせろ。食べてもいないスッポン雑炊がランキングに入るはずがないだろ。どうして千草の夫はこんなにケチなんだろ。
「そこまで不自由させてへんつもりやで」
知ってるよ。千草にだけはどれだけ甘いことか。なんか極甘のシロップ漬けにされてる気さえするもの。千草にはそれだけ甘いのに、千草に何を見せつけているのか知らないとは言わせないぞ。
「なんも見せてへんけど」
見せてるだろうが。自分のことになると、ケチのケチで、シブチンの極みじゃないか。あそこまで見せられたら千草がこの甘さに溺れられないじゃないか。
「その辺はちょうど良いバランスやろ」
いいや。胡椒も塩も利き過ぎてる。いくら甘やかされてもガンガンにブレーキが利くんだよ。なんか一緒に暮らせば暮らすほど、コータローのケチが体のすべてを蝕んで行く気がしてる。
「おいおい、蝕むって他に言い方は無いんか」
あるもんか! コータローのケチは千草の体の芯まで蝕み、千草のすべてを縛り付けている。こんなもん中毒だ、時間の問題で再起不能の廃人にさせられてしまう。
「そんなにオレが嫌いか」
誰がそんな事を言った。千草はね、コータローのすべてを受け入れるって誓ったんだ。
「そんなもんいつ?」
小天橋の夜だ。コータローの貫きは、
すべてを見つけ、
すべてを捕え、
すべてを繋ぎとめる
すべてを縛り付けられた千草が、どうされてしまったかを知らないとは言わせないぞ。神を証人として立て、コータロー以外を愛するのを禁じられてしまった。それも言葉だけじゃなく契約書にサインまでさせられてる。
その契約内容の恐ろしいこと、恐ろしいこと。元気な時だけじゃなく、病気の時だって例外無しだし、二十四時間三百六十五日サボれないんだぞ。契約期間だって死が二人を分かつまでだから無期限永遠みたいなものじゃないの。
トドメはそうされてしまった女であることを国家機関に登録されてしまってる。それだけじゃないぞ、そういう女にされてしまってるのを隠せないどころか、誰に聞かれても包み隠さず答えないといけなくもされてるんだぞ。
「なんか強制調教の果てに奴隷契約させたみたいやんか」
強制? 調教? そんな生温いものじゃない。千草の体と心のコアをコータローは貫き、そこにワイヤーロープを通されてしまってる。コア以外だってギチギチに縛り上げられ身動き一つ取れなくされてるんだ。
そうなったのはすべて千草の意志だ。そうじゃなければ、誰が体を開くもんか。開いて受け入れたからにはコータローが千草の世界のすべてだ。千草のすべてはコータローのもの。コータローが千草を廃人にしたいのなら大喜びでなってやる。
ただし裸エプロンは除くだ。あれを強制されたら速やかに死を選ぶ。それだけが千草に許された唯一の自由だ。それが夫婦になるって意味だろうが。
「なんかちゃうと思うけど」
今だってね、あの貫かれた時と変わらないぐらい、いやもっともっと好きなんだよ。千草はコータローしか見てないし、コータローしか見えないし、コータローしか見たくない。コータローこそが天地のすべてなんだ。
「それってカニよりオレを愛してるってことでエエか?」
危ない質問をするな。思わず即答で『カニに決まってる』って言いそうになったじゃないか。これが松葉ガニだったら脊髄反射で絶対に言い切ってただろうな。そんな他愛ない話をしていたらカグヤが、
「ごちそうさまでした」
しまった。カニに集中し過ぎてカグヤのことを聞くのを忘れてた。まっ、いっか。とにかくカニだものね。余計な会話で不味くなったら一生の不覚だ。