ツーリング日和19(第35話)帰り道

「今日はどうするの」

 とりあえず天橋立ビューランドに行こう。

「こっちはケーブルカーじゃなくてモノレールなのか」

 こっちにも股のぞき台があるぞ。

「コウキはやっぱり体が硬いよ」

 面目ない。傘松公園は天橋立を北西側から見下ろしているけど、ビューランドは南東側から見る感じだな。

「それに天橋立の東側の浜も見えるよね」

 これだけ見れば天橋立観光も十分だろう。でもって帰ろう。来た道を引き返しながら、

「♪帰り道は遠かった、来た時よりも遠かっただねぇ」

 そういうこと。来る時はテンションが上がるけど、帰る時は下がるもの。余裕をもたせないと事故るもの。

「あら、チサのテンションは上がりっぱなしよ」

 ボクだってバツイチだし、元嫁以外にも少ないけど経験もある。チサなんて・・・それは言うまい。要は初心な童貞じゃないし、処女でもない。だけど肌を合わせるってこれだけ関係が変わるのにちょっと驚いてる。

「そらそうよ。女と男が肌を合わせたら変わらない方がおかしいでしょ。それぐらい肌を合わせるって大きなことだよ」

 その通りだけど、

「とくに女はそうかも。肌を合わせるって、単に合わせてるだけじゃなくて、女からしたら受け入れるになるのよね。受け入れるたって、あんなのが入って来るんだよ。半端な覚悟じゃ出来ないよ」

 入れる方の男にはワクワク感しかないようなものだけど、入れられる方の女は違いそうなのはなんとなくわかるけど、

「全然違うって。いくら経験を積んでも入れられるのはどこか怖いのよ。とくに初めての男ならそうよ。そもそもだけど、スタートからトンデモ世界じゃない」

 トンデモ?

「そうじゃない。すべて脱がなきゃならないよ。それも脱ぐだけじゃなくて全部見せなきゃならいじゃない。隠すどころか、進んで見せなきゃいけないでしょ」

 たしかにそうだ。

「そこからだって驚異の世界みたいなもの。服の上からでもオッパイやお尻をジロジロ見たらセクハラって言われるでしょ。ましてや口に出そうものなら軽蔑されるだけのところじゃないの。それなのに、オッパイやお尻どころか、あそこだって好き放題にさせなきゃならないのよ」

 そ、そうだよな。

「さらにだよ、そうされて感じて反応した姿も見られてしまうのよ。勃ってしまった乳首だとか、濡れてしまったあそこをだよ。喘ぎ声だって聞かれてしまうし、それを出すまいとして耐える姿だってそう。それを見られたり、感づかれてしまうのがどれだけ恥ずかしいかわかる?」

 男も反応した姿を見られるのが恥ずかしい時があるけど、そんなレベルじゃないのだろうな。

「そこから入れられるじゃない。それも入れやすいように足を開かされるけど、あれだって抵抗することさえ許されないじゃない。それどころか、入れてもらうのに協力まで求められるでしょ」

 それをするためにやる行為ではあるけど、女からすればそういう見方になるのもわからないでもない。

「入れられたってそれで終わりじゃないでしょ。そこから男が満足して果てるまで続くじゃない」

 具体的に順を追って説明されるとそうなるな。

「初体験だとか、まだ経験が浅かったからそこまでだけど、男に感じたら果てさせられるじゃない。そんな姿も全部見られちゃうのよ」

 たしかに。そんなにチサも嫌だったのか。

「そうじゃなくて、それぐらい覚悟を決めて女は肌を許すってこと。そうすること、そうされること、そうなってしまう姿をすべて知られ、気づかれ、見られる覚悟をね。こんなもの誰にでもホイホイ見せたいと思う?」

 それはないのはわかる。

「肌を許すって知られるって意味でもあるのよ。すべてを知られた男に特別な感情を抱くのは当たり前じゃないの」

 秘密の共有みたいな感覚か。

「当たらずといえども遠からずぐらいかな。その中でも別格なのが最後ね。あれをどう受けるかの覚悟もいるの。この歳でも妊娠のリスクはあるからね」

 避妊対策は必要だよな。チサは不妊症だからゴムも使わなかったけど、

「本当に欲しいのは生よ。生で受け止めてこそ意味がある」

 チサはそうなのか。

「コウキはそうじゃなかったの? チサのすべてを征服したって思ってくれなかったの? チサはついにコウキのものになれたってあんなに嬉しかったのに」

 そう思ったし心が震えるぐらい感動した。

「女だってそうなの。だってゴムなんか使ったらコウキに染めてもらえないじゃない」

 生が良いのか悪いのかは状況によって変わるだろうけど、チサは欲しいのだろうな。どうしたってチサには過去の負い目が残るじゃないか。そんな忌まわしい過去を染め直して欲しい気持ちがありそうだもの。

 チサがされたことは人として、女として極北みたいなものだし、それで男狂いの淫乱にもされている。だけどチサはもともとそうなれる素質もあった気もしてるんだ。これは悪い意味じゃないぞ、どう言えば良いのかな、男に感じて果てられる素質だ、

 女は男に誰でも果てれるものじゃないぐらいは知っている。この辺は男の問題もあるけど、一度も男に果てることがない女だって珍しいとは言えないはずだ。ましてや、何度でもとか、精魂尽きるまで果てられる女は限られてると思うんだよ。

 女だって、どうせならそうなりたいはずなんだ。そうなれてこその女の喜びってやつになるはずだ。チサをそうしたのは外道野郎だけど、そうなれたチサが外道野郎を追いかけてしまった気持ちがわかる気もする。

 チサの場合はそこから叩き堕とされて女の生き地獄でのたうち回らされたけど、あれが外道野郎じゃなく、もっとまともと言うか、チサを本当に愛し大切にする男だったらチサの人生は変わっていたはずだ。

 考えてもみろよ。チサがどこを取っても最上級の女であるのはボクも知ることが出来た。そんなチサがあれだけ反応出来たら男ならチサに溺れ込むしかないだろうが。男と女というか、夫婦関係のすべてがあれとは言わないぐらいは知ってるけど、あれが充実して悪いことなんて一つもあるものか。

 チサには相手を喜ばせ、幸せにする天与の素質が与えられているんだよ。それなのに、それなのに、それが活かされたのはヤクに頼らず淫乱になれたとか、ヤクに頼らなかったから奴隷屋敷から生還できたぐらいになってしまっている。

 今だってそうかもしれない。チサは苦難どころか地獄の底を這いまわった末に助け出されている。だけどだよ、救世主役が選りにもよってボクなんだ。チサほどの女ならブサメンのボクじゃなくて白馬の王子様に助け出されるべきだろうが。この手の昔話の定番の、

『助け出されたお姫様は、お城で王子様といつまでも幸せに暮らしました』

 こうなるべきはずなんだ。チサを幸せにし、チサの過去を染め直すのは白馬の王子様がやるべきだ。それが苦難を忍び抜いたチサに与えられるせめてもの御褒美だ。それですべてが帳消しにはならないけど、せめてそれぐらいじゃないと可哀そうすぎるよ。

 これってまだチサに苦難の道が続いているのじゃないだろうが、そうだよ、きっとそうだ。チサは誤った男にまた染められようとしてる。チサを染めるべき男はボクじゃないはず。ボクの役割は、チサを本当に救う白馬の王子様へのつなぎ役がせいぜいだ。

「なにアホな事を考えてるのよ。白馬の王子様って言うけど、そう思ったのはお姫様の主観だけ。あくまでもお姫様にはそう見えただけのお話よ」

 でも映画なんかでもイケメンの、

「だからお姫様にはそう見えただけ」

 じゃあ勘違い?

「そうじゃないって。お姫様には心の底から白馬の王子様に見えてるし、それは死ぬまで変わらないよ。わかんないかな。お姫様は白馬の王子様がイケメンだから惚れたのじゃなくて、窮地から救い出してくれたから惚れたのよ。そんなもの、顔がガマガエルであろうが、乗っているのが馬じゃなくてロバであろうが、イケメンの白馬の王子様にしか見えないの」

 そんなものなのか。

「あったり前じゃない。女が男に心の底から惚れて愛したらそうなるの。チサにはコウキのモンキーが美しい白馬にしか見えないもの。もちろん跨っているのはイケメンの王子様よ」

 それは言い過ぎだろ。

「言い過ぎなもんか。たとえれば敵軍にビッシリ包囲され孤立無援でどうしようもない状態。今日にも敵軍に捕らえられ、敵軍の男たちに好き放題にされるのよ。そこにコウキが単身で助けに来てくれて、バッタバッタと敵を薙ぎ倒してくれたようなもの」

 そ、そうだっけ。

「絶望の淵に立ち、すべてを諦めて堕ちようしていたチサをコウキが救い出してくれた。どれだけ感謝してると思ってるのよ。魂のすべてを捧げ尽くしても全然足りないぐらい感謝してるの」

 感謝と愛は別だろ。

「ああ、もう、どうしてわかってくれないのよ。魂を捧げるって、好きとか、惚れたとか、愛してるってレベルじゃないの。チサにとってコウキは永遠に世界一イケメンの白馬の王子様よ」

 最後のところにどうしても実感が湧かないけど、

「もう! すぐにわからせてやるから。とりあえず唐櫃に寄るわよ」

 あそこはやめておこう。チサにあんなうらぶれたラブホは似合わない。