神戸に帰ると、まずチサが引っ越してきた。玄関で開口一番で言われたのが、
「今日からここで居候させて頂きます」
形としてはボクが養っていることになるだろうけど、居候なんかじゃない。チサに来てもらって一緒に暮らして頂くだ。そこを勘違いするな。そうだな、貴婦人を家に招いて暮らして頂くみたいなもの。
「誰が貴婦人なのよ。失業しちゃった単なるプー太郎だから養ってね。あそこじゃ失業保険も貰いにくいのよね」
へぇ、貰えることもあるのか。でもそうかも。組織売春は非合法だけどホテトルは公式に認可されてるから失業保険はかけられてるはずだ。だったら、
「あれって書類や手続きがあれこれあるでしょ。その秘密は守られるはずだけど、少なくとも担当者はチサがどこに勤めていて、何をしてるのかわかっちゃうじゃない。世間って広いようで狭いから回りまわってコウキに悪い噂が立ったら良くないじゃない」
守秘義務はあるだろうけど、チサのやっていた商売はどうしたって色目で見られるし、そんな女と同棲してるとか、ましてや結婚を予定してるなんて知れば、
「そういう噂話とか、陰口が好きな人っているもの。『ここだけの話』みたいに広めちゃうタイプに当たったら困るもの」
チサが心配していることはわからなくもないけど、
「それにさ、貰えるのは基本手当って言って基本給だけなのよね。ああいう商売ってそれ以外の歩合給が殆どなんだよね」
なるほど。女に働いてもらってナンボの商売だから、基本給で食べられても困るぐらいなのか。その辺は詳しいとは言えないけど、従業員というより個人事業主みたいな感じかも。
「だから養ってね」
それは言うまでもない。ホテトル嬢なんかボクの目の黒いうちに二度とさせるものか。
「コウキが白内障になったら復帰して支える」
そういう意味じゃない。チサに男を搾る仕事なんかさせたりするものか。
「ありがと。コウキしか搾らないって約束する。腕によりをかけるからね」
ボクだって搾らなくて良い。
「そうね。搾らなくたってチサが受け止めれば良いものね。コウキ、もっともっとチサを染めてね。あの染められる瞬間がチサは大好きなんだ」
あのな、まだ真昼間だぞ、もうちょっと話題を上品にしようよ。
「あら、こんなチサはお嫌い」
チサはボクにカミングアウトして結ばれてから吹っ切れてるところがあるんだよ。以前からきわどい会話が好きだったのだけど、より遠慮がなくなったと言うか、踏み込んでくると言うか。部屋に入り込んだチサは、
「思ってたより綺麗にしてるじゃない」
とりあえず狭くてゴメン。離婚してから1LDKのこのマンションに引っ越したけど再婚は当分無理というか、このままバツイチで一人暮らしの予定だったんだ。まさかここでチサと一緒に住むなんて思いもしてなかった。
「これで十分よ。同棲ってこれぐらいじゃないと雰囲気出ないじゃないの」
ものは言い様だな。でもそうかも。もちろん同棲って言ってもピンキリだろうけど、どうしたって独身用の部屋から始めるのが多い気がする。学生の同棲ならそれが多いだろうし、社会人だってそうなるのが多いはず。
歌にもあったよな。昭和の頃なら四畳半一間の安アパートで、お風呂も無いから銭湯に通うのが週に一度の贅沢とか。
「神田川の世界ね。でもさぁ、四畳半一間の同棲でしょ」
あははは、そう見るか。学生だから若いし、おカネがないから遊びにも行けないし、
「ついでに言うと時間だけはあるから、他にやることないじゃない。そういう状況に置かれたら連日連夜で朝も昼にもなっても不思議ないけど、それだけやってお風呂が週に一度はキツイよ」
夏なんかエアコンも無い時代のはずだよな。
「それに比べたら遥かに広くてリッチじゃない。トイレもバスもキッチンもあるもの」
神田川の世界に比べたら、そうとも言えないことはないけどやっぱり狭いよ。
「同棲みたいな熱い関係は狭い方が良いはずよ」
あははは、そうかも。結婚生活と同棲生活は別物だもの。
「ずっとこのままが良いな」
いやいや、すぐに探すから、
「チサは同棲経験がないのよ。見合い結婚だったし、学生の時だって同棲までになってないのよね。だから憧れがあったのよ。それに家族が増えるわけじゃないから、これだけあれば十分よ」
そうは言うけど、
「チサとは熱い関係が続かないって言うの!」
もちろん死ぬまで続ける。いや、もっともっと熱くしてやる。
「やったぁ、冬は暖房費が節約できそうね」
そういう意味じゃないだろうが。同棲を始めたチサは、
「これこそ愛の巣だ。愛する人と同棲するってこんなに良いものなんだ。チサならなんだって応じられるからいつでも言ってね」
それが出来るのは聞いたけどチサに変態行為なんて求めるものか。
「どこからが変態行為なのかの線引きは人によって変わるのよ。愛し合ってれば求めて良いし、それに応えるのも愛よ。秘め事に制限なんてあるものか。あるのはそれでお互いが満足するかどうかだけ」
そうは言うけど、
「それにコウキも良く知ってるじゃない。どんなに熱い意気込みでスタートしても飽きが来るのが夫婦だよ。同棲でもあるって言うじゃない」
倦怠期ってやつだろ。ボクの場合はそのまま氷河期に突入したけど、
「男ってそんな生き物なのよね。あははは、女だってそういうところはあるか。だから倦怠期が来た時に、それを打ち破る手段として相手に新たな魅力を見出すってのはあるはずよ」
それはそうなんだが、
「その時に役に立つじゃない。備えあれば憂いなしよ」
言葉の使い方が間違ってるぞ。チサを飽きるなんてあるものか。チサは存在するのが奇跡みたいな女なんだよ。
「はいはい、やりたくなったら遠慮しないでね。そのために鍛え上げてきたのだから」
そのためじゃないだろうが。生きるために身に着けさせられただけじゃないか。
「そうとも言えるけど、結果的にチサは出来るようになってるのはお得じゃない」
そんなお得があるものか。チサはそんな事をやらなくて良い。いや、やってはならない女なんだよ。あんなことを二度とさせないのがボクの使命だ。