ツーリング日和19(第32話)ミサの影

 それにしても、そこまで堕ちていたのにホテトル嬢とは言え良く戻れたものだ。とくに男狂いの淫乱に狂わされてしまった体なんか、どうやって克服したんだよ。

「あれは不思議だったというかある種の運命かもしれない。捕まった時にやっと思い出したのよ。チサにだって希望があったことをね。その希望をどうしてチサは捨て去ったかに後悔しかなかったもの。その希望を思い出したら男への飢えが不思議なぐらいに消えて行ってしまったもの」

 だからと言ってホテトル嬢は。

「あれはチサに与えられた終わらない罰よ。それぐらいは当然でしょ」

 どうしてチサが罰を受けなくちゃならないんだよ。罰なら前科が付いただけでも十分すぎるじゃないか。それとだけど、その希望ってボクのことだよね。

「そうだよ。だから再会した時には夢かと思ったもの。チサの失われた希望が突然目の前に現れたんだよ。こんなものどうしようもないじゃないの」

 だったら、あのからかってるとしか思えなかったホテルへの誘いも、

「からかうはずなんかあるものか。会った瞬間からひたすらコウキが欲しかった。コウキがその気になってくれていたら大喜びでホテルに駆け込んでた」

 それにしても、どうしてボクなんだ。

「イワケンの事件の後にミサに呼び出されたんだよね。そしたら、コウキに礼をしたかって聞かれたのよ。したのはしたけど塩対応で追い払われた感じだと言ったら、

『礼は返さねばならぬ。それはそなたのすべてを捧げても足りぬものだと心得よ。そなたがすべてを捧げた時のみ道は開く』

そんなことを言われたって悪いけどあの頃のコウキはヴァージンを捧げるどころか、恋人にするにもちょっと過ぎたのよね」

 それはわかるな。あの頃のボクはガリ勉陰キャ野郎も良いところだったもの。あんな情けない男と付き合うとか、ましてやヴァージンを捧げるなんて誰が思うものか。だからイワケン事件の後は何もなかったのはわかるけど、

「卒業式の日にもミサに呼び出されたのよね。あの時のミサは震え上がるぐらい怖かったのをよく覚えてる。ミサはね、

『そなたはわからぬであろうが、良からぬ未来しか待っておらぬ。その運命を避けるには一つしか方法が無い。わらわはそちのために救いの希望を整えてやった。もう一度だけ言う、わらわの言葉に従え。従わぬ時の悪しき運命を受けたいのか』

これってコウキとの交際の事のはずだけど、あの頃のコウキとミサは付き合ってる噂を聞いてたんだ。変人同士みたいなカップルだけど、あれはあれで破れ鍋に綴じ蓋みたいな組み合わせだから、そうかなって思っていたぐらい。

『だからこそわらわはあの男を選びそちの希望とした。そちがわらわの言葉に従わぬならそちだけでなく、あの男にさえ不幸は降り注ぐ。それを心せよ』

そう言われてもね。だけどミサの予言は恐ろしいほど当たったよ」

 その話は聞いたことがあるぞ。ミサは誰かが悪い運命になりそうになった時にそれをなんとか避けさせようとしてた。そのためにボクはあれこれ訳の分からないことをさせられたのだけど、あんなことで本当に避けれるのかって聞いたんだ。そしたら、

『運命の流れが良くないとしてもあの程度は一時的なものじゃ。だからうぬが恥をかく程度で十分なのじゃ』

 だったらもっと悪い状態ならどうなるのだと聞いたら、ミサは難しい顔になってたな。

『暗き運命の大いなる流れになってしまえば変えられるものではない』

 それってミサでもお手上げなのかと聞いたのだけど、

『難しいが救う術はある。女なら男だな。女の不幸への流れを男と組み合わせることにより変えることは出来る事がある』

 それって単に彼氏を作る話なのかと思ったけど、

『そういう意味でもあるが、そうではない。それが出来る男でなければならぬ。だがそんな男はそうそうにはおらぬのじゃ。だからこそ難しいと言っておる』

 さらにミサはそういう男を配するのにも工夫がいるとしていた。

『この術の難しいところは、そんな男を選び配しても女が自分の意志で選び迎え入れなければならぬのじゃ。もし女が拒めば男にも術を行ったわらわにも禍が及ぶ』

 もしかしてミサはチサのために、

「そうだったはず。ミサはこうとも言ってたもの、

『わらわが選びし男であるぞ。その力を信ぜよ。そちのために譲るのであるからな』

あの時はコウキを譲られたって困るとしか思えなかったのよ。だいたいだよ、彼氏って譲るとか貰うってものじゃないでしょ。でもさぁ、チサはあんな目に遭ったし、コウキだって離婚したって聞いてミサの予言がどれだけ恐ろしいものかを思い知らされた。

ミサの予言の恐ろしさはそれだけじゃない。チサがコウキを思い出して救いの希望と思い出してから運命は良い方に変わり始めてるじゃない。もうどれだけって思ったし、コウキにどれだけ悪いことをしたかと思ったら後悔しかなかったもの」

 ミサのあんにゃろめ。そこまでやってたのか。全部わかったぞ、不自然なぐらいなんだかんだとミサと一緒になり、気が付いたら友だちどころか恋心まで抱かされていたものな。あれは全部ミサが仕組みやがったんだ。あのツンデレ女め、好きだったら好きと言えば良いじゃないか。

 それと最後のところはわからないけどミサはボクに特別の物を見ていたはずだ。そうじゃなくちゃ、あの頃のボクに誰であれ恋心など持ちようがないぐらいはわかってる。なんだろうな、オーラってやつだろうか。それって、えっと、えっと、

「そのはずよ。あのミサが選び抜いた男には理由があるはずだもの。それこそ邪悪を払う特別の力があるはず。そんな男をミサは自分の物にしていたはず。それはその男と結ばれ自分が幸せになるため。

そこまでミサが大切にしていたコウキをミサは譲ってくれたのよ。そこまでチサのためにすべてのお膳立てを整えてくれていたのに、それをすべて拒んでしまった。その結果をチサは受け続けたけど、コウキまで巻き込んでしまったもの」

 術を行ったミサにも禍があったはずだけど・・・そっか、そっか、ミサは先に代償を払っていたのか。ミサは今でも独身のはずだ。ミサが実は美人であるのは良く知ってるけど、とにかくあのクソややこしいキャラだ。

 そんなミサを愛し、幸せに出来る男など滅多にいるとは思えない。それが出来る男をミサは見つけ出して自分の物にしてたのか。それをチサに譲るということは女の幸せを禍の代償として差し出してることになるのだろう。それだけじゃない、二度とそんな男を見出すことが出来ない禍を今も受け続けているのかもしれない。

「コウキに再会してすべてがわかったのよ。チサのすべての希望だって。それだけの男になってるものね。ミサにはすべて見えていたはずよ」

 だったらミサの計画通りに、

「そんなもの出来るわけがないでしょ。どれだけの人を不幸にしてるのよ。今からだってチサだけ幸せになるなんて許されるはずがないじゃないの。だからすべてを隠して抱いて欲しかった。昔のチサの幻影だけをコウキに楽しんでもらいたかったのよ。それがチサに出来るせめてもの贖罪」

 でもそんなことをしたら、

「そうよ、また堕ちるの。あの男にまみれ、男に明け暮れさせられた世界にね。そこも前は狂わされたチサが男を貪れるところだったけど今度は違う。チサは希望を知ってしまったから」

 わかりにくいけど、

「チサが受け入れたいのは希望だけ。他は絶対に嫌なんだ」

 だったら、

「だから贖罪の地。どんなに嫌であっても男に体を開き、男をひたすら満足させることがすべての世界。それが途切れることがない毎日がチサの暮らしのすべてになる。すべてはチサのワガママ。せめてチサの希望を体で感じ刻み込みたかったの。それさえあれば堕ちた世界でも生きていけるはず」

 なんかミサと最後に話した日のことを思い出してしまった。ミサはあの時にボクのことを初めて『友』と呼んだんだよ。出会ってから十二年間すっと『そち』とか『うぬ』とか『下郎』だったのにだよ。

 あれって本当は『友』以上に呼びたかったはず。あのシチュエーションで想像するのも難しい部分があるにせよ、ミサはあの時に本当は愛の告白をしたかった気がする。あの時のボクがそれを受け入れるのは・・・・

 それさえも違うか。チサの件がなければ、あんにゃろめはもっと違う展開に持ち込んでいたはずなんだ。そうだな、ボクがミサを呼び出して告白させるようにしていたはずだ。それをミサが受け入れる・・・どうにも現実感に乏しすぎるのがネックだな。

 それでもミサはボクをどうにかしようとはしていた。やっぱり彼氏かな。少なくとも高校卒業後も関係を切りたくなかったはずなんだ。そんな想いをすべて抑え込み、あきらめて出たのが『友』とあの別れの言葉だったのだろう。