ツーリング日和19(第20話)白滝さん

 白滝さんとは懐かしい名前が出たものだ。幼稚園こそ違ったけど小学校から高校までずっと一緒だった。それだけじゃなく、あれも不思議だったけど殆ど同級生だったもの。たしか小学校の四年から高校二年まで同じだったものな。

 それだけじゃなく席もなんかいつも近かった気がする。それを言えば学校ならあれこれある班活動だって、たいていは一緒にいたような気がする。だから白滝さんじゃなくてミサって呼んでた。もっともそう呼ばれるのはすっごく嫌がってさ、

『うぬ如きに呼び捨て、それも忌み名を呼び捨てられる覚えはない』

 友だちだから良いじゃないかと言ったのだけど、

『うぬが如き下郎が友垣とは片腹痛いわ。そちなぞ、その辺の石ころと同じじゃ』

 だからなおさらにミサって呼んでた。それでもあんまり嫌がるから、ミサって呼ぶのは二人だけの時にしてあげたかな。二人だけでも嫌がるなんてものじゃなかったけど、そのうちあきらめてたよ。

 ミサは小学校の頃からそんな調子だったから、みんなに敬遠されてたのは間違いない。そりゃ同級生どころか先生を呼ぶのさえ『うぬ』とか『そち』とかだし、すぐに、

『控えおれ、この下郎めが』

 これだったもの。変人もあそこまで行けば突き抜けてたよ。それだったら嫌われ者になりそうだけど、そうならなかったのはミサの持って生まれた人徳だろう。誰にだって塩対応の極みだったけど、ミサの本性は意外なぐらいに心優しいだよ。

 ミサと言えば占いと予言だけど良く当たるのはホントだ。だけどさ、そういう予言は良いものばかりじゃないじゃない。悪いことだって見えてしまうみたいだ。そういう時は言葉を濁すのだけど、悪い予言が当たらないように懸命だったもの。

 この辺はボクに霊感なるものが皆無だから最後のところが良くわからないのだけど、予言は未来を語るものだけど、ミサに言わせると必ずしも確定したものじゃないのだそう。未来って現在の続きにあるはずなんだけど、

『人の未来は人が織り成し出来るもの。織り成せる要因が多く時間が長い程変わりうる部分は増えるのじゃ』

 たぶんだけど、ミサの見える未来は、現在の状況がそのまま続いた時に起こる確率が高いものぐらいで良いはずだ。けどそれを変えるのは可能だって事らしい。

『あたり前じゃ、人の未来は芝居なぞではない』

 お芝居なら台本に従って決まった話になるけど、この世の未来は台本が不安定というか、アドリブが入ったり、飛び入り出演が入ったりでストーリーが変わってしまうのも普通だって。だったら予言の意味なんかないじゃないかと言ったのだけど、

『混沌に見えようとも秩序はあり、その流れが大きくなりし時には、これに抗うのは難しい。だから相談なのじゃが・・・』

 なんだよそれ、そんな木っ端恥ずかしいことをボクにやれって言うのかよ。

『ああそうだ、そちがそれを行うことにより暗き流れに変化が生じる。それにより救われるはずじゃ』

 それはいくらなんでもと抗議したのだけど、

『恥など一時のことじゃ。それで友垣が救われるのだぞ。そちは友垣をたかが恥をかく如きで見捨てると言うのか!』

 ああ、やらされたよ。それも何度も何度もだ。この辺はそんな事を頼めるのがボクぐらいしかいなかったのはあったとは思うけど、あれって本当に効果があったかどうかは今でも疑問は残ってる。

 と言うのはさ。それだけやったら何か見返りがありそうなものじゃないか。そうだな陰徳を積むってやつだし、因果応報ってやつでも良い。なのにだよ、

『うぬは行けぬ』

 これって何かわかるかな。ボクの灘中受験の予言だよ。試験の直前に頼みもしないのにわざわざ呼び出して告げやがったんだ。受験の時には『落ちる』とか『滑る』さえ禁句にするのにわざわざ面と向かって言うか。

 ミサの予言のせいだけとは思いたくないけど見事に落ちたよ。これは灘高受験の時もやらかしやがった。この時は灘中受験のトラウマがあったからミサに言うなとまで頼み込もうとしたのだけど、その時にいきなりだよ。

『そちの運命は決まっておる。無駄なことじゃ』

 ああ落ちたよ。ものの見事に落ちた。正直なところ実力というか、灘を目指す連中のレベルの高さを実感してたからミサの予言のせいだけと言えないとは思うけど、わざわざ予言をするな。これでも友だちだろうが。

『うぬが如き下郎に友垣扱いされる謂れなどないわ』

 これも毎度のセリフとはいえ、さすがに怒ったのだけど、

『生々流転じゃ。そちにはあれこれと助けてもろうておる。下郎とは言えその恩を返さねばならぬ。いずれわらわに感謝するであろう』

 なんだかんだで高校まで同じだった。これって今から思えばの話なのだけど、ミサはボクに気があったと思ってる。だってだよ、中学受験にしろ、高校受験にしろ、合格していればミサとは離れ離れになるじゃないか。

 ミサはそれが寂しくて合格させまいとした気がどうしてもするんだ。ミサのキャラは男を寄せ付けないと言うか、歯牙にもかけない狷介さはあったけど、よく見たらあれはあれで整った美貌を持っていた。

 そんなものじゃないな。あいうのをお人形さんみたいって言うのかもしれない。こういう言い方も今は死語みたいなものだろうけど、ミサにはそれしか言いようがないもの。そのお人形だけどリカちゃん人形じゃなくて市松人形とか、お雛様みたいだった。

 そこまでの美貌なのにミサは表情までお人形さんなんだよ。ニコリともしないと言うか一切の感情を出しやがらない。能面じゃないかと思うほど無表情なんだよ。もしミサが微笑みを見せていたら、高校の三大美人が四大美人になっていたはずだと思ってる。

 たく少しぐらい笑えよな。いや、ボクはミサの笑顔だけじゃなく様々な表情も知っている。ミサはボクとの二人の時だけそれを見せていた。とくにミサが見せる笑顔はかなり魅力的であったのは白状しておく。だってさ、普段が能面の無表情の権化だから落差がそりゃ、もうナイアガラの滝も真っ青状態だったもの。

 だからってボクもひょっとしたらと思ってた部分はあったよ。これも今から思うだけだけど、ミサって究極のツンデレだった気がしてる。ミサだって女だから男が好きになっても良いはずだし、ミサの周囲で男となればボクぐらいしかいなかったじゃないか。

 一度だけそれっぽい話の流れになったことがあったんだ。流れになったと言ってもミサ相手にしたら話題がくだけてるというか、リラックスできるぐらいだったのだけど、チャンスの気がして聞いてみたんだ。

 聞くと言っても遠回しも良いとこで、そうだな、ボクのことをどう思ってるかをさりげなくぐらいだったのだけど、

『うぬか・・・』

 即答で『下郎』が定番のミサにしては珍しく返事を濁して、

『・・・わらわとて及ばぬものはある』

 はぁ? それはどういうことかと問い詰めようとしたけのだけど、

『されども遠すぎる。それをそちがどう受け取るかはさすがに見えぬ』

 なにを話しているかさっぱりわからなかったけど急に表情を変えて、

『禍は訪れる。然れども転じるであろう』

 あれは高一の春休みの前だったけど、親父の急死を予言したものだと後でわかったぐらいだ。高二ではすっかり忘れてしまっていたチサさんがらみのイワケン事件もあったけど高三はボクが理系、ミサが文系だったし、とにかく受験一色だったから殆ど会うこともなくなっていた。

 最後に会ったのは卒業式の日になる。式が終わって記念写真をあちこちで撮っていたのだけど、ふとミサを見かけたから一緒に写真を撮ろうと思ったんだ。声をかけたら、

『そちとはこれで会うこともなかろう。礼はさせてもらった』

 なんだよ礼って、

『わらわとて恩は返すと言ったであろう』

 それって、

『これはわらわからの頼みでもあるが礼は受け取って欲しい。そちがわらわを友とみなすのなら託したぞ』

 あれは衝撃的だったな。十二年間でミサがボクのことを友と呼んだのは初めてだったもの。とにかくミサは不思議な人というよりウルトラ変人だった。ああなってしまった理由のすべてはわからないけど、人には見えないものが見えすぎたのはやはりあると思う。

 見えるものは良いこともあるが、悪いものもある。心優しいミサは悪い方にならないように人知れず動き続けていたような気がする。とくに親しい人ならそうのはずなんだ。でもさぁ、あまりに見えすぎるとどうしたって手が及ばないことも出てくるから、誰とも一線を引いて付き合うようにしてたのじゃないかな。

 そんなミサがボクを恋愛対象にしていたかだけど、やっぱりそうだった気だけはしてる。だけどミサにはその未来さえ見えてしまっていたのかもしれない。もっと言えば結ばれない未来を変えようとまでしてたのかもしれないな。

 これもミサは言わなかったけど、ボクがミサ以外の女と結ばれる未来が見えていたと思う。現実にも結婚したのは元嫁だ。だけどミサが見えていた相手は元嫁でさえなかった気が今ではしてるんだ。

 これもまた青春時代の懐かしすぎる思い出だけど、あのミサも今は星辰教の教祖様だよ。二度と会えないのだけは当たってそうだ。