うずしおラインは福良の方からのもあるけど、北に向かうルートもあるからそっちに乗ってまずは北上。途中で県道二十五号に入り海岸線に出る。この県道二十五号を走って行くと淡路サンセットラインにつながってるはず。
「慶野松原に寄ろうよ」
海水浴のシーズンは終わってるけど浜辺でも歩きたいのかな。でもチサさんがボクを引っ張って行ったのは浜辺じゃなく、
「来たかったんだ」
なんだよここ。慶野松原プロポーズ街道ってなっていて、誓いの言葉だとかメッセージが刻まれた瓦がびっしり並んでるじゃないか。まさか別れた旦那との瓦があるからとか。
「無いよそんなもの。あったって誰が見に来るものか」
ごもっとも。だったらどうして、
「次があれば瓦を飾っても良いかなって」
再婚の意思があるとか。
「今は無いよ。でもさぁ、このままずっと一人ってのも寂しいかなって思う時もあるのだよね」
再婚か・・・離婚直後には結婚なんかもうコリゴリとボクも思ってた。離婚になったぐらいだからボクの結婚時代も黒歴史だもの。あんな陰鬱で底冷えするような時間をもう一度過ごしたいと思うものか。それでもとなるとまず相手が必要だ。
「それは初婚でも同じだけど、再婚となるとちょっと違う気がする」
結婚したいほど好きな相手ってことになるけど、初婚の時と求めてる条件が変わりそうな気はする。初婚の時だってこの相手なら幸せな結婚が出来るはずと見極めたはずだけど、
「あれを見極めたって言うのかな。目が眩んでたで良い気がする」
そうかもしれない。結婚という人生の一大イベントに熱狂していただけで、
「結婚さえすればなんとかなるって思い込んでただけだもの」
だよな。結婚式というゴールにさえたどり着けたらすべて上手くいくはずだの感じかな。でもさぁ、でもさぁ、結婚したら実際はどうなるかなんて知ってるはずなんだよね。
「あれも不思議よね。離婚なんて三組に一組はするものだし、どうして離婚になったかの情報なんていくらでも集められるのに、自分はそっちじゃないって根拠もなく確信するのだもの」
離婚確率が三分の一は大きいよ。ボクの癌だって術前予想の通りにステージ3だったら三分の一ぐらいは再発する確率だもの。これでも医者だから事実は事実として受け止めたけど本音で言うと五分五分以下の気持ちだったよ。それぐらいリスキーなのは知ってはいるはずなのに結婚するときにはそうじゃないって信じ込んでるだもの。
「まあね。でもそう信じ込めるから結婚するのだけどね」
たしかに。だから離婚という経験を積めば相手の見極めも変わってくるはずだけど、
「変わるはずなんだけど、なんかさぁ、離婚した相手の欠点ぐらいしか注意しない気がしないでもないのよね。女ならマザコンかどうかだとか、クソ姑かいるかどうかだとか」
浪費癖とか、グータラだとか、
「DVなんかもあるけど、初婚の時に懲りた点しか注意を払わない気がしないでもない」
なんとなくわかる気もする。あれかな、いくら再婚でも結婚が見え始めると初婚の時の熱狂状態になってしまうとか。
「それはこれから経験できるかもしれないけど、なんとなくそうなってしまいそうな気がしないでもないのよね。だってさ、同じような失敗をして何度も離婚するのもいるじゃない」
確かにそうだ。外野から見ると少しは選べよと思うけど実際にいるものな。あれって最後は自分の好みがそういう相手ってことで良いのかな。
「たぶんね。そういう相手しか好きになれなくて、そういう相手に巡り合ってしまうとひたすら結婚に熱狂しちゃうとしか言いようがないもの」
そう考えると結婚は人にとって一種の熱病みたいなものかもしれない。でもさぁ、思うのだけど結婚じゃなくて恋人関係ぐらいで留めておくのもアリじゃないのかな。
「理屈ではそれもあると思う。せいぜい同棲までね。とくにチサなんて子どもが出来ないから同棲でも十分のはずじゃない。だけど結婚を目指してしまいそうな気がする」
すべての恋愛が結婚を目指すなんて言う気もないけど、
「青い時代はそうだったよ」
あの時代は・・・そうだった。今から思えばすごくシンプルだったかも。
「そういうけど今だって基本は変わってない気がどこかでするのよね。これってDNAがそう叫んでるとか」
種の保存の本能ってやつか。そんな事を話しているうちに時刻も押して来た。
「そうだね」
後はひたすら淡路サンセットラインを北上。この道は長くて慶野松原から岩屋の松帆の浦まで続くとなってる。サンセットとなっているのは淡路の西海岸を走るから海に沈む夕日を見れるからで良いと思う。
時刻は押してると言うものの、走りっ放しじゃシンドイから幸せのパンケーキで一休み。ここは全国に展開する幸せのパンケーキの本店なんだ。
「ここだったんだ」
スウィーツでコーヒーと行きたかったのですがさすがに混んでるな。並んでたら夕日を楽しむ羽目になりそうだから、
「あれが幸せの階段なんだ」
海の方にあるのだけど十段ぐらいの階段の先にドア枠だけあるもの。でもチサさんはハシャイで登ってた。他にも幸せのリングとか、幸せの椅子、幸せの鐘なんかもあったけど、人も多かったから適当に退散。後は岩屋を目指しながら、
「コウキは幸せの階段を登って何が見えた」
海だけど、
「チサさんには人生が見えた気がした」
チサさんが言うには、人って登り詰めた先に何があるかを見たいから生きてるんだって。あそこには扉がなかったけど、
「あった方が良かったかな。階段を登ってたどり着いた扉の向こうに夢を見ながら暮らしていると思うのよ」
なるほどね。ボクだったら京大医学部合格の階段をひたすら登らされ、登った先の扉を開いた先にすべての夢があると思ってたもの。あの時にもしたどり着けて扉を開いたとしても、
「そこにあるのは新たな階段なのよね。それで次の扉に向かって登って行かされるのよ」
だろうな。そうやってひたすら階段を登り、期待に胸を膨らませながら新たな扉を開き、
「時に真っ逆さまに落っこちる」
落ちたところにもまた階段か。いつまで繰り返すのやら。
「生きてる限りかもしれないけど、それでも幸せの扉ってあると思ってる」
そんなものあるのかな。無いとやってられないのもあるけど。
「思うんだけどさ、女と男の組み合わせで幸せの扉を見つけられると思わない?」
ボクもチサさんも真っ逆さまに落ちたじゃないか。
「そうなんだけど・・・」
ラブラブ夫婦が存在しているのは知ってる。ああなれるのは二人の相性がいろんな意味でバッチリだったぐらいで説明しても良いはず。ラブラブ夫婦になりたいならそういう相手を見つけ出せば良いことになるけど、
「あれもさ、自分が好きになった相手とイコールじゃないのよね」
その実例がここでマスツーやってるよな。
「それでもいるはずよ。離婚はね、そういう目を一つでも養うためにあるはず」
とはいえ最後は結婚してみないとわからない、
「結局そこに戻ってしまうのがシンドイかな。それでもさぁ、チサは今度こその想いだけはあるつもり。チサだって幸せになる権利があるはずよ」
そりゃあるに決まってる。チサさんは本当なら幸せが約束された女性なんだよ。それなのに結婚相手が史上稀にみるハズレに当たってしまったんだよな。
「あれも運命、チサの約束された運命。でもチサだって・・・」
当たり前だ。あんなハズレが二度も当たるものか。岩屋でフェリーに乗り込んで、
「西神回りね」
帰りに浜国道はゴメンだ。