フェリーに乗り込んだのだけど、こうやってバイクを固定するのか。船室に入ってしばしの船旅。
「船がたくさんいるよ。漁船かな」
今日は休日で市場も閉まってるから釣り船かな。それにしても多いな。
「モーターボートも走ってるよ」
こういう景色はフェリーならではかも。明石海峡を見れるところはいくつかあるけど、当たり前だけどそこは見下ろすことになるんだ。だけどフェリーからなら見回す感じになる。これはこれで新鮮で良い感じ。
「自転車が多かったね」
バイクはボクたちも含めて五台ぐらいだったけど、自転車は二十台以上はいたとおもう。さすがはサイクリストの聖地だと思ったもの。そうこうしているうちに岩屋港に到着。
「まずは洲本ね」
アワイチは淡路を一周するツーリングだから時計回りでも反時計回りでも良いのだけどボクが選んだのは時計回り。たいした理由じゃないけど、時計回りの方が少しでも海に近いからぐらい。
ずっと気になっていたのだけどチサさんはリュックを背負って来てるんだ。バイクはとにかく荷物を載せるところがないからツーリングでリュックを背負うのは常套手段みたいなものだけど、なんか重そうだな。
「ああこれお弁当よ。コウキの分も作って来たから」
な、なんだって。
「あのね、チサだって主婦してたんだからお弁当ぐらい作れるわよ」
それはそうだろうけど、て、手作り弁当だぞ。
「ホカ弁でもコンビニ弁当でもないよ」
ボクの高校は弁当だったけど、そんな弁当の中で一番羨ましかったのは彼女の手作り弁当だった。うちの高校にもいたんだよな。校庭のベンチで食べてたのもいたけど教室で見せびらかすように食べてたのもいたもの。
一度ぐらい食べてみたいものだとずっと憧れていたんだよ。この辺は別れた妻も含めて付き合っていた彼女の料理がそれほど得意じゃなかったのもあるかも。だから大人になってからもデートで手作り弁当にはついにありつけなかった。
「そうだったんだ。料理が苦手な女の子なら、彼氏にわざわざ出来の悪い弁当を作ってマイナスポイントにしようと思わないよ」
恋人時代は良いところのアピール合戦の側面もあるから、わざわざ苦手分野にチャレンジするはずもないか。するのもいるかもしれないけど、避けれるものなら避けるだろうし、
「チサも料理はそんなに得意じゃなかったけど、結婚したらそうも言ってられないじゃない。今はちゃんとしてるから安心して」
チサさんの手作り弁当が待ってると思うだけでテンション爆上がりだ。岩屋から南に下って行くのだけど、
「淡路の花博は行ったの?」
あれは行ってないな。というかあの手の博覧会に最後に行ったのは、
「ポートピアでしょ」
残念でした。鶴見の花博は行ったぞ。この辺は明石海峡公園になってるけど淡路の花博の会場だったはず。東浦を越えたぐらいから道は海にぐっと近くなって来る。高くもない堤防の向こうは大阪湾だ。今日は天気も良いから動画の風景と同じ気がする。海がキラキラ光って綺麗だもの。
「こんなに椰子の木なんかあったっけ」
ボクも記憶にないけど、あれは椰子の木だよな。どう見たって蘇鉄や棕櫚に見えないもの。南国気分の演出だろうけど、
「淡路が南国なら四国は熱帯になっちゃうよ」
それもそうだ。それにしても街が元気そうな気がする。淡路も田舎だと思うけど、新しそうな店が目に付くもの。最近の田舎町って寂れてるところが多くて。
「閉まった店とか、それが廃墟になりかけてるとか、もろ空き地も目立つものね」
生き残ってる店だって古めかしいというより老朽化が進んでて、今の御主人が引退したら閉店って空気が漂ってもの。それに比べると新しいだけでなく、なんかオシャレなものが建てられてる気がする。
「新たに店を開いても儲かる目途があるから作るのよね」
そういう事になる。淡路って思っていたより活気がありそうじゃないか。おっ、向こうの山の頂上に建物みたいなものがあるぞ。あれはたぶん洲本城の模擬天守のはずだから、その麓に広がっている街は洲本のはず。
走って行くと洲本だったけど、ここで国道二十八号とお別れして、南淡路水仙ラインに入らないといけない。どこかなって思ってたけど、由良の方に向かえば正解のはず。これで良さそうだ。浜側に見える松林は大浜海岸になるはず。
「子どもの頃に海水浴に来てさぁ・・・」
チサさんも行ったことがあるのか。
「台風が来たのよ」
行った日はまだ泳げたそうだけど翌日はフェリーが欠航になって、
「旅行が伸びたのは嬉しかったけど、なんにもすることないのよね」
あの頃なら、スマホは愚かファミコンすらあったか無かったかぐらいだったはず。
「そうなのよ、テレビぐらいしかないもの」
せめて島内で観光と言ってもまだ淡路の花博の前だし、それ以前に台風の荒天だから旅館に缶詰め状態で退屈して困ったのか。そうなるだろうな。旅館の方は本州からの宿泊客も来ないから延泊はOKだったみたいだけど、
「島って大変だと思った」
だから明石大橋を架けるのに執念を燃やした衆議院議員がずっと当選してたのかも。その衆議院議員だってずっとホラ吹きと言われてたみたいだけどね。
「あの議員もあれこれあったけど、後世に残るものを残せたから良かったと思うよ」
もちろんその議員一人の力で明石大橋が出来たわけじゃないけど、淡路の人の悲願だったんだろうな。