ツーリング日和19(第26話)須磨浦山上遊園

 前回のツーリングが気まずい別れ方をしたから、もう連絡はしてくれないかと思ってたのだけど連絡があってホッとした。ツーリングのお誘いだったけどエラい近いな。チサさんの希望だから嫌も応もないけど。

「待った?」

 いつものコンビニ駐車場で待ち合わせだったけど、そのリュックは、

「お花見弁当に決まってるじゃない」

 国道四三号から国道二号と走って、

「停めれて良かったね」

 ホントにそうだった。まずはロープーウェイだけど何年ぶりだろ。

「映画にも出てたよね。探偵物語だったかな」

 あははは、チサさんも思い違いをしてるとは。このロープーウェイが出てくるのはメインテーマだよ。

「そうだっけ。あの頃は二本立てだったからメインテーマの二本目が時をかける少女だ」

 惜しいけど違う。ちょっと整理しておくと八三年が探偵物語で二本目が時をかける少女、八四年がメインテーマで二本目が原田知世主演の愛情物語になる。

「角川映画の黄金時代だったものね」

 歳がばれるぞ。

「もうイイの。コウキには隠しようなんてないじゃない」

 ごもっともです。桜は麓が八分ぐらいで、登っていくと五分ぐらいの感じかな。

「そんな感じね。でもさぁ、満開も良いけど満開に向かう時も好きなんだ」

 わかる気がする。今から咲き誇りますって勢いを感じるものな。人生にたとえると、高校時代が五分咲きぐらいかな。

「女と男は違うよ。女の満開の方がどうしても早くなるもの。コウキは今だって咲いてるけど、チサなんて枯れ葉が舞ってるもの」

 そんなことがあるものか。チサさんは永遠の満開だ。

「満開か。あの時にチサが間違わなかったら人生は変わっていたはずなんだよね。あの時に間違ったばっかりにバツイチのオバサンになっちゃったもの」

 それはボクだって同じでバツイチだ。だけどバツイチになったからって人生が終わった訳じゃないぞ。桜は春に満開を迎えて秋には枯れ葉を散らしてしまうけど、次の春にはまた満開になるじゃないか。チサさんならもう一花どころか何度でも咲けるよ。

「そうだったらイイのにね。人と桜はやっぱり違うよ」

 ロープーウェイが終わると、

「カーレーターだ」

 通称日本一乗り心地が悪い乗り物。なんでもベルトコンベヤーを参考にして作ったとか。これもよく残ってるな。ガタガタと揺れまくって山上遊園に。

「次はリフトだ」

 行くのは良いけどあそこに行っても、

「つべこべ言わずにリフトに乗るの」

 リフトなんてそれこそ何年ぶりかな。子どもの頃はロープーウェイ、カーレーター、そしてリフトと乗り継ぐのが楽しかったよな。

「今だって楽しいもの。さあ次はサイクルモノレールだ」

 乗る気かよ。ま、いっか。二人並んで漕ぎながら、

「気持ちが良いよ。子どもの時に来たけど親が付き合ってくれなかったんだよ」

 何十年超しに夢が叶ったとか。

「コウキと一緒で最高よ」

 ホンマかいな。どうもチサさんもお世辞量産機に時々なるからな。

「コウキのが伝染したのよ」

 それから花の広場に行ってお弁当だ。お茶も欲しいけど、えっと、えっと、一つなの。

「それがなにか問題でも」

 ありまくりだと言ったところで聞いてもくれないから回し飲み。リフトで戻り展望閣に。

「お茶にしようよ」

 えっ、ここでと思ったし、お茶にするなら麓に降りてtooth toothの方が、

「ここもいつまであるかわからないからお茶にするの」

 はいはい、まだ残ってるのがウソみたいなところだものな。ここは喫茶室自体が回転する仕組みになってるのだけど、

「六甲山の回る十国展望台は無くなったものね」

 今日のチサさんはいつもにも増して調子が狂うな。

「あらこんなチサはお嫌い」

 そんな訳ないだろうが。大学生の時のチサさんもこんな感じだったと思う。一緒にいるだけで楽しいし、みんなが幸せを感じるもの。そんなチサさんを一人占めにしてるってなんて贅沢っていつも思うもの。

「どんな贅沢なんだよ、コウキならもっと綺麗で若い子といくらでも遊んでるでしょ。わざわざバツイチのオバサンのチサと遊んでくれるなんて恐悦至極だよ」

 話は天橋立ツーリングになったのだけど、本当にお泊りツーリングにして、部屋も一緒で良いのかよ。

「しついこいね。そうしたいって言ったのはチサだよ」

 そうなんだけど、それがもたらしてしまう結果ってものがあるじゃないか。

「そうよね。下着は気合を入れないとね」

 そうじゃなくて、

「病気も心配ないからね。ちゃんと調べてもらったから。あれだったら診断書もらって来ようか」

 そんな心配なんかするものか。

「ちょっとはした方が良いよ。それと妊娠は心配ないからコンドームもいらないから」

 だから話が飛びすぎだって。

「コウキの心配ならわかってるよ。それは安心して。やり捨てゴメンで構わないから」

 誰がチサさんをやり捨てるというんだよ。頑張ったからには喜び勇んで全責任を取らせて頂きます。そしたらチサさんはこれ以上ないぐらい寂しい顔になって、

「責任は取ってはいけない。コウキと頑張りたいのはチサの最後のワガママみたいなものだから。もうこんな体になっちゃったけど、コウキさえそれを受け止めてくれるなら、これ以上を望んだらいけないぐらいはわかってるから」

 どういう意味。

「ここではさすがにね。知りたかったら天橋立にチサを連れて行って。もっともそれまでに頑張りたかったら今からでもOKよ」

 チサさん、どうしてそんなことを、

「屋上に上がろうよ」

 今日は快晴だ。大阪湾が一望って感じだな。

「ほらこっち、こっち、神戸百景だって」

 なんだこの巨大な裁縫針の穴のようなものは。ここから見える風景が神戸百景だろうけど、

「どうも須磨の浜みたいだね」

 だな。さっきの寂しそうな表情はなくなってるけど、

「コウキ、運命って信じる?」

 やっぱりあるのじゃないのかな。人生は自分の力で切り開くものだとよく言われるけど、そんな単純なものじゃないぐらいはわかってるつもりだ。たとえばだ、人生にはどうしたって岐路が訪れる。

 どちらを選ぶかは自己責任だけど、どちらを選ぶかの結果は選んで進んでみないと自分ではわからないもの。それが成功する時もあるし、失敗することだってある。いくらその時にベストの選択と思っても失敗することはあるもの。

 その時に選択をやり直す機会があれば良いけど、多くの場合、選択はやり直せなくて、せいぜいそれなりにリカバリーするのが精いっぱいの気がする。というかさ、そういう失敗がない人生なんて滅多にないのじゃないのかな。

「人生の岐路だってあれは自分で選んでいるように見えても本当はそうじゃないと思ってる。そっちを選ぶようになっているのが運命の気がしてる。あれは避けられるものじゃないよ」

 そこまで言いたくないけど結果論で言えばそうかも。もう一つの選択は選ばないのじゃなくて選べないのかもしれない。

「それとね、人の運命って様々過ぎるところがあるのよね。ある時点の選択を間違えても、その次、またその次と選んでるうちに良い方に戻るのはあるはずなのよ。だってたった一度の選択ミスで自分の人生が終わってしまうなんて悲しすぎるでしょ」

 それはそうかもしれない。ボクもバツイチの失敗をやらかしたし、あの初婚時代の時間も若さも永遠には取り戻せない。だけどだよ、もし再婚できて、それが幸せだったらトータルとして良い人生だったぐらいは言えると思うもの。

「でもね、人によっては選んでも、選んでも悪い方にしか行かない人生だってあるのよ。そんな運の悪い人でも一度ぐらい良い方になれるチャンスはあるのよ」

 そういう人生は辛いだろうけど。

「チサはそのチャンスをもらってたの。そのためのお膳立てまで全部してくれていたのに選ばなかった女なの。あれこそ運命だとしか言いようがないと思ってる。そんなチサに現れた最後の希望がコウキなの」

 えっ、どういうこと。

「でもね、最後の希望だけど、それにすがる資格はチサには無くなってしまってる。そうよ、コウキをこれ以上振り回すのは、本当は良くない事なの。でもね、でもね、チサは我慢できなかった。だから最後のワガママよ。コウキには本当に悪いと思ってる」

 ダメだ。最後の最後のところがボクにはわからない。チサさんはボクが思っている以上に辛い人生を送ってきたらしいのはわかる。だったらボクと再婚してやり直したら良いじゃないか。

 そりゃ、ボクがチサさんを幸せに出来るかどうかはわからないよ。こればっかりはやってみないとわからないし、もしかしたら再婚することでチサさんをさらに不幸にしてしまうかもしれない。

 でもボクにチサさんが希望を見出しているならチャレンジすべきだろ。それぐらいならいくらでも協力する。それでもダメだったらそれこそ運命じゃないか。

「コウキはやっぱり希望の人だったのがよくわかる。だからあそこまで・・・後悔って本当に先に立たないものだね。チサの不幸はチサだけが受け止めていれば良かった。それなのに、それなのに・・・」