ツーリング日和16(第15話)集団戦法

 朝食はホテルのビュッフェで食べて、七時半過ぎにはフェリーターミナルに到着。チケットを買って待機。やがて乗り込みが始まり定刻の八時五十分に出航だ。到着は十一時五分となってるから、二時間半ほどの船旅だ。

 とはいえ対馬にも来る時にも乗った航路だから、こんどこそ元寇そのものの話になってくれた。まあ昨夜は台本の話になったものね。さて日本軍が苦戦した要因として、鎌倉武士が名乗りを上げての一騎打ちだったのに対して、元軍は集団戦法だったのは有名だよね。

「あれは一騎打ちの言葉に誤解があるで。そもそも一騎ってどれぐらいや」

 どれぐらいと言われても、馬に乗った兵士を一騎しかないでしょうが、

「モンゴル軍やったらな。そやけど日本はちゃうねん」

 ここで念を押されたのが鎌倉武士とは小領主のことで、戦いに赴く時には領主は馬に乗り、領民の中から下人と呼ばれた歩兵部隊を引き連れて行ったってこと。

「軍記物語で敵を何騎とよう書いてあるけど、あれは敵を騎馬武者で数えとってん」
「そうしたら数えやすいじゃない」

 そうだったのか。じゃあ、歩兵の役割は、

「身の回りの世話とか荷物持ちの役割もあったけど、合戦の時には領主の周りもを守っとったぐらいに考えたらエエ」

 それだったら日本の一騎って、領主である騎馬武者を中心とした歩兵小隊みたいな感じだったとか。

「そんな感じでエエと思うで。この小隊同士の戦いを一騎打ちと呼んでたんや」

 なんか一騎打ちのイメージが狂うな。西洋騎士の試合みたいなのを想像してたけど、実は小隊対決だったなんて。

「そやから鎌倉武士の時代に純粋の独立歩兵部隊はおらへんねん。これが出て来たんは応仁の乱の足軽からや」

 そうだったのか。

「それとやけど、それなりの規模の合戦になったら、そんな騎が何個もおるやんか。そこで現場対応やけど、味方の騎同士で連携も当たり前やってん」

 えっ、一騎打ちが原則じゃないの。

「一騎打ちは当時でも武士の誉れって称賛されてたのよ。でもね、称賛されるってことは、実際に一騎打ちをしてる武士が少なかったことにつながるの」

 えっとえっと、

「個人戦やったら強い方が必ず勝ってまうやんか。勝ってまうほどの豪傑やったらエエけど、武士かって豪傑ばっかりやあらへん」
「義経みたいな非力なチビもいるのよ」

 合戦に参加する理由は褒美とかあれこれあるけど、

「生き残らんと始まらんとこがあるねん」

 だから相手より多くの騎が集まって戦うのが常套手段だったのか。それでも元軍の集団戦法には苦戦したのよね。

「元軍の集団戦法がどんなんやったかが問題やねん」
「その手の集団戦法の一つの典型がギリシャのファランクスとかローマのレジョンで良いはず。あれは主力が重装歩兵だけどね」

 きっちり並んで戦うやつだね。

「でも元軍のは大陸と言うか、中国式の集団戦法のはずなのよ。中国も古代から集団戦法は発達していたからね」
「諸葛孔明の八卦の陣ぐらい聞いたことないか」

 三国志の世界だ。でもあれは重装歩兵じゃないよね。

「実態はよう知らんけど、川中島の合戦みたいなもんちゃうか」

 陣形をしっかり敷いて、敵の動きにを見ながら軍勢を動かす感じかな。

「戦場を見渡して、押されてるところに援軍を送ったり、突出している部隊を包囲したりやろ」

 でも日本軍だって現場レベルの集団戦法はあるよね。コトリさんはニコニコしながら、

「そういうこっちゃ。日本軍にはまだ総大将の采配一つで全軍が動くほどの集団戦法はなかったとしてエエと思う。つうか、寄せ集めやから、そもそも出来へんかったでエエやろ」

 だから苦戦した。

「とは思うてへん。この話は長うなってまうけど、モンゴル軍がなんであないに強かったか知っとるか」

 なんでって言われても、

「チンギス・ハーンが率いたモンゴル軍は純粋の騎馬軍団やってんよ」

 イメージとしてはそうだけど、

「騎馬軍団の強みは速度や。歩兵を圧倒するスピードがあるやんか」

 そりゃ、速いと思うけど、

「軍勢ってな、後ろに回られらると脆いんよ。側面を攻められてもや。大平原で歩兵部隊で騎馬軍団と対決なんかしようものなら、すぐにバックを取られてまうやん」

 モンゴル騎兵は二種類だったみたいで、

 ・軽装弓騎兵
 ・重装騎兵

 こうだったんだって。基本戦術は軽装弓騎兵が矢の雨を降らせて敵を攪乱させ、そこに重装騎兵が突撃して粉砕するぐらいか。

「あくまでもそれは基本で、変幻自在の戦術を使えるぐらい騎兵の質も、騎兵の集団戦術の練度が高かったんが大きいんよ」

 ただここでコトリさんが強調したかったのは、当時は騎兵と歩兵だったら騎兵がかなり優位だったと見て良いんだって。でも元軍だってモンゴル軍のはず。

「蒙古襲来絵詞見てみい。元軍の騎兵なんかほとんどおらへんやんか」

 たしかに。多いのは弓歩兵で、次は槍みたいなのをもってる歩兵かな。

「長い柄の武器を持つ歩兵を長兵いうて、短い剣みたいな武器を持つ歩兵を短兵いうて、中国式の伝統的な部隊編成や。そやから馬に乗っ取るのは司令官クラスやろ」

 絵詞を見る限り、弓歩兵が前に出て矢を放ち、長兵が後方で待機している様にも見えるよな。

「弓歩兵で敵陣を崩して、長兵をそこに繰り出す戦法に見えるんよ」

 そうとも見えるけど、絵詞の信憑性は、

「信じるも者は救われるんや」

 あのね、

「絵詞でとにかく重要な点は、竹崎季長が見たもんが描かれてるってことや。季長かって生まれて初めて元軍を見たんやんか。そりゃ、なんじゃあれ状態やったと思うけど、出来るだけ見えたのに近い様子を描かせたはずやねん」

 言われてみればそうだ。日本人同士なら絵師でもそれなりに想像できるかもしれないけど、相手は異国の軍隊だものね。もしモンゴル式の騎馬軍団が相手だったら騎兵をたくさん描かせたはずだ。

「元は世界帝国やけど当時の最重要個所は南宋やんか。そやから精鋭も主力も南宋戦に投入されてるはずやんか」

 これも傍証があるらしくて、元が高麗を攻めた時にかなり手こずってるのよね。それだけ高麗も頑張ったのかもしれないけど、

「モンゴルは華北の金を先に滅ぼしてるんやが、高麗に差し向けられたんは、華北の兵の二線級やったんかもしれん」

 それでも属国化になんとか成功してるんだけど、

「文永の役で日本に来たんは、華北の兵と高麗の兵のはずやねん。モンゴル人はおってもちょっとやろ」

 たしかに。

「そんな連中の集団戦法が日本じゃ通用せんかったと見とる」
「わたしもそう。というか日本の戦法に対応できなかったんじゃない」

 なんだなんだ、どうなってるんだ。

「そんな戦法で勝ってもたんが元寇やとコトリは見とる」
「わたしもそうかな」

 元寇でなにがあったのよ。