ツーリング日和15(第23話)親不知

 山がかなり海に迫って来てトンネルが増えたな。境川を渡るとついに新潟だ。そろそろ親不知のはずだけど、どこからがそうなるの。

「道の駅に入るで」

この道の駅は越後市振の関となってるけど、

「ホンマの関所はもうちょい東側やねんけど、その関所を越えたら天下の険道の親不知や」

 この辺からだな。親不知は正式には親不知子不知と言って、市振から親不知駅ぐらいまでを親不知、その東側を子不知とするようだ。距離にして十五キロぐらいだけど、海が荒れたら論外だけど、そこまで荒れていなくても命懸けで通る覚悟がいったとか。

 さてトンネルがあるけど、あれってなんて言うんだっけど。ここだったら海側は柱だけでオープンになってるやつ。

「あれは覆道いうてトンネルにはならんそうやねん。洞門と言う方がポピュラーとしとったけど、洞門もイメージ合わへん気がするわ」

 だよね。洞門と言えば大きな岩をくり抜いて出来たものだよ。でもトンネルじゃないのは走ればわかる。どこぞのトンネルにこれだけカーブがあると言うかだよ。だから覆道なんだろうね。要するに道路に屋根を付けて落石とかを防ぐ施設だ。

 でも完全なトンネルになってるより走りやすいかな。これも誤解を招きそうだけど、片方が開いていて海が見えるから気分が晴れる感じ。トンネルもたまにあるのなら気分転換に良いけど、あんまり長いトンネルはウンザリさせられる。だってだよトンネルの壁しか見えないんだもの。これが渋滞などしようものなら、

「昭和の頃のトンネルはバイク乗りの難所みたいなもんやったもんな」

 難所と言っても走りにくさじゃなくてトンネル内の空気のこと。あの頃のトラックとかダンプは、それこそ黒煙挙げて走ってたもの。メットぐらいじゃ防ぎようもなく、容赦なく排気ガスが流れ込んで来るのよ。

「走るだけで病気になってまいそうやった」

 トンネルは最悪だったけど、道路でさえそうだった。峠道で前にトラックがいたりしたら、濛々たる排気ガスを浴びなきゃならなかったんだ。トラックだって坂道だからギア落してエンジンを吹かすのだけど、そうしたら前が見えなくなるぐらいの黒煙に包まれたもの。

「あれはディーゼルの宿命と思うとったけど、こんなに綺麗になるなんて夢みたいや」

 てなことを話していたら今度はトンネルだ。名前が物々しいな、

「天険トンネルを抜けたらすぐに左に入るから気を付けといてな」

 らじゃ。途中から洞門になったけど、とにかく抜けたら、これか。ここは、

「今日の宿や」

 もう五時だ。富山ぐらいすぐに抜けられると思ったけど甘くなかった。よく考えなくても一つの県を横切るのだからこれぐらいはかかるよね。

「昨日と違って豪華ホテルや」

 観光ホテルだものね。まずだけどロケーションがなかなかだ。親不知の断崖の上に建ってるんだもの。こんなところに良く建てられたものだ。その分だけ景色が期待できるはず。

「温泉やあらへんけど展望風呂らしいで」

 温泉じゃないのが惜しいけど、ここからのお風呂なら景色は最高のはず。この時間からなら日没も楽しめそうじゃない。

「さらにやが、ここには素晴らしい設備がある」

 建物は鉄筋三階建てだけど、嬉しい設備があるんだよ。なんとバイク専用のガレージが十七台分もある。これだけでライダーなら利用する価値がお釣りがくるほどあるよ。館内はちゃんと掃除もしてある。

「フロントの赤絨毯が泣かせるな」

 余計な飾り気のないフロントも好感持てるし、壁に観光ポスターが貼ってあるのが泣かせるじゃない。マガジンラックに観光パンフが置いてあったり、座るのになんの遠慮も要らないソファはポイント高いよ。これこそ観光ホテルって雰囲気が楽しそう。

「ユッキー、無理してへんか」

 ちっとも。珠洲の民宿があまりにも肩凝りすぎた。もう一度念を入れとくけど悪い宿じゃない。でもね、宿も客を選ぶけど、客も宿を選ぶ。さらに客が宿を選ぶ時にはその旅に合う宿がある。

「あれはスノブとも言えるけど、余所行きの宿やったもんな」

 そういうこと。この旅はバイク乗りのツーリングだ。バイク乗りはね、お座敷で畏まる人種じゃないのよ。バイク乗りはマスツーやっても孤独なところがあって、走って疲れた体だけじゃなく、心の癒しも求めてると思ってる。

 心の疲れも色々あるよ。都会の喧騒とか、仕事付き合いの煩瑣な人間関係に疲れたのなら珠洲の宿も良いとは思う。でもさぁ、バイク乗りのツーリングは、そういう心の疲れの癒しをやってるようなものじゃない。

 バイク乗りが宿に求める心の癒しは、肩の力を抜いて、さりげない気づかいの中で一期一会の交流だと思うのよ。これだってたいしたものを望んでいる訳じゃない。フロントでの笑顔の歓迎、部屋に案内してもらう時、さらには食事時の何気ないやり取りとかだ。

 人はね、人にも疲れるけど、人に癒される生き物だと思ってる。そりゃ、完全に放置されることが癒しになる人もいるだろうけど、珠洲の宿は少々偏りが強すぎた気がした。コトリの言う通り余所行き感覚が強すぎた。

 部屋はシンプルだけど、窓から日本海が見えるのが良いな。さすがに古びているのはあるけど、バイク乗りにはこれぐらいの方がかえって落ち着くし、余計な気を遣わなくて済むもの。

「風呂行こか」

 さすがに年季が入ってるけど、ちゃんんと掃除は行き届いてるよ。なにより湯船につかりながら見える日本海は最高。

「夕日が正面に見えるのも贅沢や」

 あははは、今日の業を為し終えてかな。

「遠き山じゃのうて、水平線に日は落ちてやけどな」

 それでも星は空をちばめぬになっていくよ。あの歌って今でも歌ってるのかな。わたしの記憶に残る子ども時代は昭和になっちゃうけど、キャンプとか宿泊訓練の定番ソングだったものね。

「そやったけど、今思うたら古臭い言い回しやな」

 それは言えてる。でも旅の栞みないなのに必ず載ってたし、宿泊訓練の前の音楽の授業で練習までした記憶がある。それより後になって驚いたのは、

「ドボルザークの新世界からやったんよな」

 でも楽しかった。こんなのは後から気づく事だけど、宿泊訓練で一緒だった人たちは二度と同じメンバーでキャンプをすることはないのよね。あれもまた一期一会の世界だと思う。

「学校ってそんなとこやねんよな。通っている間はベタベタの日常にしか感じへんけど、過ぎ去れば二度と合わへん連中の方が多い不思議な場所やで」

 学校だけじゃない気もする。人が暮らす社会ってそういう面があちこちにあるんじゃない。だからこそ一期一会の気持ちは大事にすべきの気がする。

「時はただ過ぎ去るのみ。されど記憶は永遠に留めたりぐらいか」

 そっちは今は言わないの。まだ長すぎる記憶の旅に終わりさえ見えないもの。

「いつの日か二人で始まった記憶も終わる時はあるんやろうけど、今回のツーリングで終わらせる気はないで」

 だよね。今夜は気合入れるか。