ツーリング日和14(第4話)別の問題

 お母ちゃんはエッチの妄想部屋、もとい仕事部屋に籠ってエロ小説の執筆に専念中。前から思ってたけど、どんな顔して書いてんだろ。だってだよ、あんなもの妄想をパンパンに頭に膨らませなきゃ書けないじゃない。だから部屋にカギを掛けてるのだろうけど。

 そうなるとユリと亜美さんの二人だけになっちゃうのよね。完全に初対面だから亜美さんも緊張してるな。あたり前か、遠い親戚とは言え他人の家に初めて上がったようなものだものね。

 家で二人は気づまりだから、出かけることにした。だってさ、なんにも持って来てないんだもの。三宮まで出てマルイでお買い物。阪急でも良かったけど、亜美さんの歳ならマルイの方が選びやすいかなっと思ったから。

 亜美さん驚いてたな。神戸だって東京ぐらいから見たら小さな都市だけど、福井の田舎から来た亜美さんにしたら大都会に見えるみたい。遠慮しまくる亜美さんだったけど、これだけ買っておけば当面はだいじょうぶだろう。

 マンションに戻って来たけどお母ちゃんはエッチ妄想中、もとい仕事中だったから亜美さんとおしゃべり。亜美ちゃんの高校だけど悪いけど聞いたことがない。高校の名前なんか甲子園にでも出てくれないと、よその県まで知ってるわけないものね。

 聞いていると、どう言えば良いのかな、県立の進学校ぐらいで良さそう。ただ都会にあるゴリゴリの進学校って感じじゃなくて、トップは国公立も目指すらしいけど、下は就職組もいるみたいで、かなり幅が広い印象がありそうだ。

「ちょっと困ってまして」

 これは結婚話ではなく学校の話。日本史の教師が変っていると言うか、クセがあるみたいで、

「名物になっているそうなのですが・・・」

 高三の最初の頃に課題を出すのだとか。それも珍しいと思ったのだけど、

「提出が夏休み明けなのです」

 はぁ、夏休みの宿題じゃないのか。

「夏休みにする人も多いみたいですが・・・」

 提出するのがレポート用紙で百枚って冗談でしょ。百枚だぞ、百枚。そんなレポートをユリも大学で何度も何度も書かされたけど高校生にはムチャクチャだ。

「少しでも早く始めないと夏休みがレポート地獄になってしまいます」

 だから夏休みじゃなく高三の初めに課題を与える理由はわかるけど、それって名物課題と言うより、迷惑課題だよ。さすがに一人で書けとはなってなくて、グループでとなってるのだけど、

「みんな意見もあって」

 う~ん。グループでやった方が書く分担量は減るけど、その代わりにグループで考えると言うか、グループの意見をまとめるのは大変なんだよね。そりゃ、全員が前向きで意思がそろっていれば良いけど、後ろ向きのやつやサボりたいのが必ず混じってくるものね。

 亜美さんのグループにもそんなのもいるそうだけど、亜美さんが困っているのはそこでなく、グループ内の主導権争いみたいなものみたいだ。ここもだけど、やる気のやる奴が頑張ってくれるならお任せにするのも手なんだけど、

「ユラにやらせたくない」

 ユラは亜美さんの同級生だけど亜美さんと反りが合わない存在かな。

「亜美だけじゃなく・・・」

 ああそういうタイプか。簡単に言えばマウント娘だ。なんでも知ったかぶりをしたがり、それでマウントを取りたがるぐらいタイプだな。それも鼻に付くほど嫌味たらしくて、周囲から敬遠されてるぐらいで良さそうだ。

「それだけじゃなく・・・」

 マウントを取ったらリーダー面して自分は何もせず、今回なら課題の結果が成功すれば自分だけの手柄みたいにし、結果が思わしくなければ他人のせいにするのか。そんな立場にいられるのは教師受けが良くて、男子生徒の受けも良いって・・・小悪魔みたいな女だな。

「家は建設業で裕福で父親は町会議員です」

 なるほどローカルでは逆らうものがいないボス女みたいな存在か。似たようなのを知ってるからおおよそ想像できる。亜美さんがユラに主導権を渡したくないのは感情問題もあるけど課題の作業量の膨大さもあるからか。

 ユラはマウントを取ってリーダー面して自分は何もしないとしたけど、ある意味、本当に何もしないのなら逆にやりやすい。グループにサボりが一人いるようなもので、最初からいないものとして作業したら良いからね。

 だけどこういうタイプは手を出さないけど口を出す。それも下手すると箸の上げ下ろしまで口を挟む。そうやってマウントを取りたいのだろうけど、それをやられると作業が停滞してしまう。停滞すると襲いかかって来るのがレポート百枚だ。

 この課題が生徒に迷惑なのは作業量の膨大さもあるけど。これが高三の一学期から夏休みまで影響すること。そうだよ大学進学を目指す者に貴重な時間を費やされてしまうのだよね。

 だから出来るだけ手際よく済ませたいのにユラが主導権を握ると、どれだけ時間が費やされ、どれだけ負担が伸し掛かるか考えただけでもゾッとする世界になるみたいだ。それはどうしても避けたいからユラ以外のメンバーが結束して、ユラにどうやったらマウントを取らせずに済むかを真剣に考えたのか。そのユラって歴史にも詳しいの?

「ユラも亜美も他のメンバーもさほどですし、金ヶ崎の退き口と言われても、正直なところどこから手を付けたら良いかも困るぐらいです」

 だろうな。そういうことがあったぐらいは知っていても、その具体的な内容なんか歴史オタクでもないと普通は知らないもの。ところが、

「ユラは知っていたのです」

 なんだって! グループの検討会で金ヶ崎の退き口の知識を滔々と披露したって言うの。どうしてだ、

「ある子が気づいたのですが・・・」

 なんか昔の大河ドラマの知識じゃないだろうかって。最近はそういうのもアーカイブで見れるものね。ユラの知識はそれだけじゃなく、

「その大河ドラマの原作も読んでいるようなのです」

 このままではユラにマウントを取られ、地獄の作業が待つことになってしまうから亜美さんたちは意を決して反撃に出たみたいで、

「そんなものじゃ不十分って言ってしまったのです」

 あちゃ、気持ちはわかるけどハッタリは良くないよ。亜美さんたちはユラの知識じゃ不十分であることの証拠を出せと反論されてしまい。

「困ってるのです」

 そうなるよ。ところでその大河ドラマの原作の小説ってなんだ。

「司馬遼太郎の尻啖え孫市です」

 えっ、選りもよって司馬作品だって。司馬遼太郎と言えば日本を代表するような歴史小説家じゃないか。高校生の歴史レポートなら司馬作品の歴史知識だけでも十分と言えば十分になるぐらいだもの。

 実はユリもそれなりに歴史好きなんだ。これはユリだけじゃなくコウもそうなんだけど、歴女のコトリさんの影響だ。だから金ヶ崎の退き口もそういう事があったぐらいは知っている。

 でもね、歴史知識なんて普通なら学校の授業で習うのと時代劇とせいぜい歴史小説ぐらいなのが普通だよ。それ以上の知識を持ちたいのが歴史オタクだ。だから高校生の課題に歴史小説を材料に使うのは否定する気にならないもの。

 だけどね、金ヶ崎の退き口は有名な歴史エピソードではあるけど、これが時代劇なり、歴史小説に正面から取り上げた作品はなかったはずなんだ。尻啖え孫市は読んでないから置いとくけどね。

 歴史小説の題材として取り上げられることが多いのはやはり戦国時代で信長、秀吉、家康と言えばビッグもビッグのスーパースターだもの。信長なんてどれぐらい登場しているか数えきれないのじゃないのかな。

 だから金ヶ崎の退き口の話は出てくるのは出てくる。出て来るからユリも知ってるけど、たいていはサラっと流される。理由はスター信長の負け戦だから。小説でも時代劇でも読んだり、見たりしたいのは主役の活躍じゃない。

 信長だって不敗の名将じゃないから、信長の負け戦は触れこそするけど、さらっと流すってこと。時代劇なんかもっとわかりやすくて、合戦シーンはとにかくカネがかかる。それだけ見せ場でもあるけど、誰が主役の負け戦のシーンに費用をぶちこむものか。

 それを言いだせば信長の勝ち戦であり、日本を代表する大合戦の一つである姉川だって時代劇ではあっさり流されてるはず。どうせ出すのなら、姉川より長篠になるものね。相手は無敵の武田軍団だし、これを鉄砲の三段撃ちで粉砕するのは絵にしやすいし、迫力だって出しやすそうだもの。

 つまりは金ヶ崎の退き口は有名ではあっても歴史小説ならマイナーってこと。仮に歴史小説にそれなりに詳しく書かれていたら、これをひっくり返すのは容易じゃないのよね。ましてやこれが司馬遼太郎作品なら手強いなんてものじゃない。

「そ、そんなに・・・」

 亜美さんは尻啖え孫市を読んだのか。ここは読まないとユラに反論できないものね。

「金ヶ崎の退き口は前半の山場みたいな扱いで・・・」

 尻啖え孫市の伏線として秀吉と孫市の友情物語ものもあるみたいで、途中から敵味方に分かれて戦うのだけど、それでも心の中で通じ合うものが残る設定なのか。その友情を固めたのが金ヶ崎の退き口の敗走の時だって!

 それなら詳しく書かれてるはずじゃない。それもあの司馬遼太郎が詳しく書いているのなら・・・これを覆すとなると頭がクラクラする。亜美さんの力になってあげたいけど、どうしたものか。