ツーリング日和9(第19話)絹子様事件・破

「それでもNYで静かにしとったら話は収まったはずやってん」

 そうなのよね。ここまででも不祥事スレスレ、いやもう立派過ぎる不祥事だけどさすがにNYは日本から遠いじゃない。マスコミだってNYに記者を張り付けてまで追跡取材をやれるところは多くない。

 ゴシップを追いかけるのもいるだろうけど、東京にいるより格段に減るよ。マスコミ報道が減って行けば、そのうち世間も忘れて落ち着いたはずだったのよ。

「開けてビックリ玉手箱みたいな展開になってもたんよな」

 ここからが本当の意味の絹子様事件になるかと思う。なんとだよその年の合格率九十五%のNYの司法試験を彼氏が落ちちゃったのよ。もちろん五%でも不合格者は出るし、試験だから水物の部分はあるにしても、まさかの不合格だったのよね。

「あれもアメリカの弁護士の慣習なんやろうけど・・・」

 これは日本とアメリカの司法試験制度の一つの違いだけど、アメリカではロースクールの入学やさらに卒業までに関門があるけど、卒業できれば高確率で弁護士になれるのよね。あの年だって合格率九十五%だもの。

 だからロースクールの卒業生段階で弁護士事務所に卒業見込みで内定されるみたいなんだ。だから電撃入籍の時にも弁護士事務所に内定していることを振りかざしたとされている。だけど不合格なら内定は当たり前だけど取り消しになる。

 これだけなら不幸な試験結果の話なのだけど、そこから疑惑が出るわ、出るわ状態になったんだよ。アメリカの司法試験制度は、日本もお手本にしているから似てるのよね。

「違いは日本では法科大学院コースの他に司法試験予備試験制度があるとこやろな」

 そうアメリカには日本のようにロースクールを回避してのバイパスルートがないってこと。さらにみたいな話になるけど、ロースクールへの入学資格に法学士、つまり大学の法学部卒業が絶対条件になる。ごくシンプルにはアメリカで弁護士なろうと思えば、

 大学法学部卒業 → ロースクール卒業 → 司法試験合格

 この一本道しかないってこと。日本であえて例えると、医学部とか、薬学部とかが近いかもしれない。医師になるにも、薬剤師になるにも医学部や薬学部の卒業資格が国家試験の受験資格になるのよね。

「ちょっと外れるけど、医学部や薬学部を受験しようと思うたら、高卒資格が必要みたいなもんや」

 彼氏の学歴なんだけど、経済学部卒業なんだよね。アメリカに留学してからも即ロースクールに入学してるから、アメリカでも法学士を取得する時間なんてゼロなんだよ。そうなると本当にロースクールに入学して卒業したのかの疑惑が当然のように出てくる。

 この疑惑はすぐに追い打ちが来る。なんと、なんとだよ、ロースクールの卒業者名簿に名前がなかったんだよ。卒業者名簿に名前がないと言うことは卒業生ではなく、卒業生でなければ司法試験の受験資格が無いことになる。

 そうなれば誰でも連想するけど、司法試験は合格不合格以前の話で、そもそも受験していないのではないかの疑惑が出て来たのよね。

「JDやのうてLLM取得でもNYの司法試験は受験できるけど、LLMは一年やし、それよりなにより、LLMでも卒業者名簿に名前は出るわい」

 JDはあえて日本にたとえれば博士号取得コースでLLMは修士号取得コース。日本の法学士の資格があればLLMの取得は一年で可能で、NYならLLMで司法試験の受験資格も得られる。日本人がNYで弁護士を目指すポピュラーなコースかな。

 だけど彼氏が進学したと言われているのが三年のJDなんだよね。というか、JDであれLLMであれ、入学資格の最低条件は日本であっても法学士の資格を取っていること。これに例外はないはずなんだ。

 この辺のアメリカの司法制度について日本で詳しく知っている人は少なかったんだよ。でもNYの弁護士資格を取得している日本人も少なからずいるのよね。この人たちの中には、旦那のロースクール入学の時から疑問を投げかけいる人もいたんだけど、これが一遍に燃えがってしまったぐらい。

 そう、どこをどう見ても旦那は法学士を取得していないじゃない。だったらどうやってロースクールのJDコースに入学したんだって事なんだ。疑惑は司法試験の受験資格から、そもそも本当にロースクールに入学していたかどうかにまで遡っちゃったのよね。

「だいたいやで、いくらアメリカでも三年ぐらい勉強した程度で弁護士なんかになれるもんと思えへんやん」

 日本とアメリカの司法試験の難易度の単純比較は出来ないけど、日本の司法試験の平均合格年齢が二十八歳ぐらいなんだよ。つまり十八歳で法学部に入学しておおよそ十年ぐらいの勉強量が必要ぐらいと見られてる。

 アメリカだって法学部とロースクールを合わせて七年だよ。それをいくら英語が堪能だからって、イチから法学をロースクールで勉強を始めて、留年もせずに卒業できるなんてそうそうはあり得ないもの。

「アメリカのロースクールかって、法学部で法理論の基礎を覚えてる前提での弁護士養成コースみたいなもんやんか。そこにド素人が入学して何とかなる方が不思議過ぎるわ」

 だからアメリカだって弁護士は高給取りのエリートだものね。この辺が本当はどうなってるのかも最後のところは彼氏も絹子様も一切説明はしなかったから本当のところはわからなかったかな。

 それでどうなったかだけど、司法試験は不合格でも再受験は可能なんだ。それが半年後にあったのだけど、

「また落ちた」

 またというか結果だけで言うと旦那は弁護士にはなれなかったってこと。だったら日本に帰って来たかと言えばそうでなく、絹子様御夫婦はそのままNYで暮らし続けたんだ、

「そうできる在留資格取得も謎のままで終わったもんな」

 だって旦那は司法試験に落ちての浪人状態のままじゃない。さらに言えば学生でもないプータロー。だからロイヤルパワーだとか、ロイヤル特権だとかの憶測が飛びかったけど、ここもどうなっているのか謎のままで絹子様御夫妻はNYに住み続けたんだ。

「あのままNYにおったらまだ良かったんやけど」

 そう思う。時間さえ経てば毛色の変わった夫婦、皇族の異端児ぐらいで忘れ去られていたはずなんだ。だけどねNYの生活費はとにかく高くて、普通のマンションの家賃でも東京の超高級マンションぐらいはかかるのよ。つまりは余程稼げる人じゃないと住めない街ってこと。東京も住むには高い街だけどNYは桁違いぐらい。

 しかも絹子様の旦那はプータローだし、絹子様だってNYで働ける人じゃない。NYどころか日本でも難しいよ。絹子様がスーパーのレジ打ちだとか、コンビニ店員とか、ウエイトレスやるなんて想像も付かないもの。

「やったとしてもNYで暮らすんやったら焼け石に水や」

 そうなると絹子様御夫妻の生活資金は、絹子様の持参金がすべてになってしまう。

「その持参金やけど、なんやかんやで二億円ぐらいあったらしいやん」

 いくらNYでも二億円もあれば、それなりの期間は暮らせそうなものだけど、絹子様はNYで長年の目的に勤しまれたで良さそうなんだ。そう、思いっきり羽根伸ばして遊びまくったんだろうな。

「あれもあれこれ噂があったけど、結果で言うたら三年もしないうちに日本に舞い戻って来よったもの」

 よくそれだけ考えもなしに使えたものと思ったもの。それでも、それでもだよ、日本で尾羽うち枯らして静かに暮らしていれば、まだなんとか収まったと思うよ。もっとも絹子様は帰国されただけで皇室的には大問題になっていた。

「元内親王の扱いで皇室も困り抜いたんちゃうか」

 元内親王が莫大な持参金を与えられるのは体面を保つためが大義名分なのよね。たとえ一般人になっても見すぼらしい姿を晒すのは良くないぐらい。これはこれでわかるのよ。でも皇室に突き付けられた課題は、見すぼらしくなった元内親王をどう扱うかになってしまったで良いと思う。

「皇籍離脱したら建前は一般市民やけど、実際のところは準皇族みたいな扱いやもんな」

 あれも大騒ぎになったけど、絹子様御夫妻は東京の超高級マンションに住み、生活費もたぶん皇室から出たはず。だって夫婦そろってプータローだから他にカネの出所がないものね。ここまででも醜聞まみれだけど、これでもまだ終わらなかった。