ツーリング日和5(第13話)霧島湯之谷温泉

 国道四五〇号は酷道じゃなかったし、県道五十号も険道じゃなかった。ラッキーよ。県道四五五号が険道かどうかはわかんないけど、快適、快適、快走ツーリング。今日は池田湖、西大山駅、枕崎、知覧、加世田と寄り道が多かったし、あれはあれで楽しかったけど、やっぱりツーリングに来たからにはこうじゃなくっちゃね。

「国道二二三号を左に入るで」

 書いてある、書いてある、霧島温泉って。後はひたすら直進。霧島もずっと来てみたかったんだ。鹿児島出張でも霧島神宮さえ来たことないもの。後七キロってなってるよ。

「浮かれすぎやで、あれは霧島温泉郷の霧島温泉までや」

 とはいえ霧島温泉郷は秘湯とは言いにくいところがある。神戸で言ったら有馬ぐらいの位置づけになる。だから大規模施設も充実してるかな。前に見えて来てるのが霧島よね。

「そやろ。霧島温泉郷は有馬と似た位置づけやけど、九つの温泉の集合体や」

 なになに霧島温泉源泉って書いてある。こんなところからもう湧いてるんだ。それと登るよね。

「ああ、霧島温泉郷は標高六百メートルから、高いとこやったら八百メートルぐらいあるそうやからな」

 高いとこは六甲山ぐらいだよね。この道は鹿児島ロマン街道って言うのか。イイじゃん、イイじゃん。なんだかんだと言いながらコトリもピッチが上がってるじゃないの。

「ちょっと時間押してるからな」

 飛ばせ、飛ばせ、捕まるのは先頭のコトリだ、

「聞こえてるんやぞ」

 カケルのバイクだけど良い音してるよ。バイク乗りは音にこだわるのが多いし、音にこだわってマフラーを変えるのはカスタムの基本みたいなもの。あの単気筒特有のバリバリ音は好きだよ。

「コトリもや。いかにもバイクって感じがするものな」

 マルチ・シリンダーの音が悪いわけじゃないけど、これはあくまでも好みの問題。だけどワインディングは得意そうじゃないな。カケルは峠道が苦手なのかな。

「どやろ。あのバイクはロードツーリング仕様やけど、峠を攻めるにはあんまり向いてへん気はする」

 タイヤはラジアルじゃなくバイアスだって。バイアスだってちゃんと走るけどね。それでも、とくに登りの急カーブは苦しそうな気がするけど、

「しゃ~ないやろ。三五〇CC言うても二十馬力しかあらへん。低速トルクは厚いからちゃんと走りよると思うけど、車体重量は一八〇キロもあるさかいにな」

 そんなに重いんだ。PWRだけだったら、

「そういうこっちゃ、コトリらのオリジナルとドッコイドッコイや」

 そりゃ苦しいだろ。そんな事を話してるうちに温泉街に近いづいてる雰囲気になってきた。だって、郵便局名も霧島温泉郵便局だからね。民宿みっけ。さすがにここじゃないよね。あの大きいのは霧島観光ホテルか。名前からして老舗そう。向かいにはホテル霧島富士キャッスルか。微妙なネーミングだ。

「ユッキー、数え上げとったらキリあらへんで」

 前に見えるのは湯気だ。匂いも、

「基本は硫黄泉やからな」

 硫黄の匂いも温泉と思うと良い匂いだけど、

「一つ間違えば腐った卵」

 ここはまさしく温泉街。立ち並ぶって感じだよ。

「ちょっとストップ」

 これだけ多いとコトリでも迷うわよね。どこにしたのだろう。

「次の信号を右や」
「らじゃ」

 あっちにもこっちにも湯気が立ち上ってるのが温泉街気分を盛り上げてくれる。あれっ、温泉街を抜けちゃった。なるほど、あの温泉街じゃなく他の温泉に行くのか。さすがは温泉郷だ。

「あそこや。木の看板があるとこ左に入るで」
「らじゃ」

 ここを入るのか。てか、こりゃ林道だよ。あちゃ、舗装はしてあるけどガタガタだし、一車線しかないし、ガードレールもないよ。それでも間もなく次の宿の看板が見えて来た。あの角を曲がるんだな。ぐるっとヘアピン曲がると、あれか。

 まさに山の中の一軒宿、さっきの温泉街とは別世界だ。玄関の取って付けた感がたまらない。旅館の雰囲気を一言にすると昭和レトロ。だって温度計なんか木製の縦長の大きなものだもの。こんなものが良く残ってたものだ。

 部屋には自分で行くのか。二階に部屋があるみたいだけど、部屋の中は見事なほどに素っ気ない。この宿は、

「そうや。はっきり言わんでも湯治宿や。自炊の素泊まりも多いで」

 これこそディープな温泉宿だ。元は湯治宿って旅館も多いけど、現役の湯治宿は案外少ないんだよね。ないことはないけど、さすがにね。こういうところに一度泊まりたかったんだ。なにはともあれお風呂だね。

 屋根まで全部木造りで、脱衣場も脱衣棚から床まで、これは檜で良いのかな。ここまでだったっら、浴室は・・・出た、床まで木製の木のお風呂。それもだよ、床と同じ高さから湯船になってる。湯船は三つあるけど、

「奥が熱めの硫黄泉、一番手前が炭酸泉」

 じゃあ真ん中は、

「二つのミックス」

 最高だ。お湯も気持ちイイ。文字通り癒される。浴室にも籠る硫黄の匂いも香しい。今まででも指折りだ。お風呂を上がったら、

「こっちは自炊用の台所みたいやな」

 ちゃんと現役だ。当たり前か。これもレトロだな。瓦斯自動販売機って漢字なのもすごいけど。

「上から十円入れたらガスが出るみたいや。木賃宿ならぬガス賃宿やな」

 こんな装置初めて見た。さて食事だけど、昭和の学生寮の食堂みたいだ。さて何が出るかだけど。味は素朴、いかにも手作りって感じ。

「黒豚のシャブシャブもいけるな」
「うどんも入るから最高」

 焼酎を頂いて大満足。あははは、カケルにはディープ過ぎたか。そりゃ、そうだろうね、昨日は指宿でも指折りの豪華旅館で山海の珍味をテンコモリだったものね。部屋だって殿様気分が出来たもの。それに比べると今夜はチープな湯治宿。

「カケル、がっかりした?」
「いや、そんなことは・・・」

 顔に出てるよ。カケルはパティシエとはいえ料理人。気づいてるかな、

「昨日と今日とどっちが美味しい」
「それは、その・・・」

 昨日と言いたいだろうな。昨日のも美味しかったよ。でもね、料理じゃなく食事としての優劣となると話が変わる。カケルに昨日の食事の欠点がわかるかな。

「欠点ですか。そう言われても」
「カケルは醒めてるとか、冷たいと感じなかった?」
「それは旅館の料理だから」

 そう。あれだけの規模の旅館となると、作ってから配膳するまでの時間がどうやってもかかってしまう。冷たくしたい料理なら氷とか使う手もあるけど、あれもまた冷やしすぎてしまう時がある。

「カケルは気づかなかったかな。ここの料理は熱い料理は、出来たてホヤホヤが出てくるのよ」
「でもそれが出来るのは、調理場と隣り合わせだし、客だってこれだけだから」

 その通り。でもね、そういうところでも出来ないところは出来ないの。これはね、そうしたいって言う心尽くしなのよ。その差は小さいようで大きいの。

「でも規模が大きくなれば・・・」
「大阪に大きな料亭があってね、あそこだったら、昨日の宿のような無様なことはしない」
「いくら料亭でも規模が大きくなれば旅館と変わらないはず」

 そうなっている料亭もあるよ。

「料理はね、出来たてが一番で、時間が経つと味は落ちて行く。料理人は一番美味しい時に食べて欲しいのよ。お菓子だってそうでしょう」

 マイは口癖のように言っていた。

『料理は心やねん』

 心とはいかに食べてもらう人に美味しく感じてもらうための努力だよ。そのためには出来ないじゃなくて、出来るようにするのだよ。

「マイやったら、ここの料理を喜びそうやな」

 マイが重く見るのはそこだよ。マイは言い切ったものね、料理そのものが美味しいのは合格点に過ぎないって。たとえば料理の素材、料理の巧拙だけだったら、昨日の宿の方が間違いなく上だよ。

 だから出来たてを食べ比べたら、昨日の宿に軍配が上がる。だけどね、出来上がった料理をより美味しく食べてもらう努力が加わると優劣は微妙にさえなる。それぐらい食事とはトータルなものなのよ。

「ところでマイって誰なんですか」
「ああ、そこの料亭の女将さんだよ」

 カケルは気づいたかな。