ツーリング日和2(第28話)津和野観光

 もうすぐ津和野やけど、

「コトリ、見るだけみておきたい」
「それやったら」

 津和野川の手前ぐらいのはずやから、

「右に入るで」

 しばらく行って、これやろ、

「右に曲がってあの橋渡るで」

 道が無くなるところでバイクを置いて。ここからどうしょうか。あのおばちゃんに聞いてみよ。農作業の帰りみたいやから、この辺のことは知ってそうや。

「すんまへん。塩井戸はどの辺でっか」
「それなら、この細い道を進んで行って・・・わかりにくいと思うけぇ、一緒に行っちゃげます」

 親切な人で助かったわ。道すがら、

「ほら、栗が落ちとるじゃろ? 土産に持っていき。これはな、猪の足跡じゃ。猪が栗を食べに来よるんじゃ」

 へぇ、猪も出るんか。

「これは、茶畑じゃ! 近所の人が栽培しとるんよ」

 お土産にお茶買わなあかんな。こんなとこ抜けてくんか。こりゃ、わからんで。

「あれじゃ」

 ほう、ちゃんと湯船になってるんやんか。

「ひいひい爺ちゃんの頃は、ちゃんと掃除もしちょったって話じゃ。川で遊んでから、ここに入って帰ったこともあったんじゃげな」

 今は誰も手入れをしとらへんから、小汚い池みたいなもんになってもてるわ。こりゃ、入れんわ。ユッキーが、

「赤井戸は知りませんか」
「聞いたこたぁあるんじゃが、大昔にのうってしまい、今はどこかもわからん」

 そこから元のところまで案内してくれた。

「ユッキー、復活計画でも考えとるんか」
「温泉ならね。でも冷泉じゃボイラーから必要だからお手軽にはいかないよ」

 それでも自然湧出だからもったいないとしとったわ。

「それでもね、湧出量は多くなさそうじゃない。せめてジャンジャンかけ流しに出来るぐらいなら、まだしもなんだけど」

 つうかそれやったら、誰か手だしとるやろな。道戻って津和野大橋渡ったらいよいよ津和野や。ホンマにやっと来れたもんな。山口に行っても秋吉台までで、SLやまぐち号さえ乗せてくれへんねん。もっともコトリたちが急いどったんも悪いんやけど。

「コトリ、市内に入らないの」
「先に回っときたいとこがあんねん」

 国道九号を市内を横目に南下して、見えて来た、見えて来た、あの赤い鳥居が太鼓谷稲荷の鳥居や。にしてもえらい離れとるな。次のとこを右折やけど、こりゃヘアピンやで。そいでもこれが津和野街道や。

 津和野藩が参勤交代の時は、この道から廿日市まで出て瀬戸内海を船で行ってたし、石州和紙とか木材も売るための蔵屋敷もあってん。さてやけどJR山口線渡って、この四つ角直進かいな、狭い道やけど、クランクやなこれ。そいでもって抜けて来た四つ角を右や。あった、あった、

「森鴎外の生家ね」

 明治の文豪やし、軍医総監までなっとるねん。二足のワラジを履けた才人でエエやろ。もっとも文芸の方は文句なしやけど、医者としては脚気論争でミソつけとる。この辺も時代が時代やからしゃ~ないぐらいや。ちなみにこの家は十歳まで住んどったとなっとる。

 森鴎外の生家から津和野川を渡った先にあるのが西周の生家や。西周は鴎外より三十三歳年長やねんけど、この時代の三十年は生きた時代がまったくちゃうねん。鴎外は明治政府の時代を生きとるけど、西周は幕末の激動を生きてるんや。

 鴎外も国費でドイツ留学しとるけど、西周になると幕命で榎本武揚と一緒にオランダ留学やねん。帰国後は慶喜の側近になって大政奉還、王政復古、鳥羽伏見の修羅場を経験しとるぐらいや。

 西周は幕府に忠誠を尽くしたでエエやろ。そうなるんは理由があるけど、長うなるからパスや。静岡藩の沼津兵学校の初代校長までやっとるわ。後は明治政府に呼び出されて出仕、兵部省、文部省、宮内省を歴任して男爵や。

「啓蒙家となってるけど、後世に残したのは訳語よね」

 そうやねん。蕃書調所は翻訳局みたいなとこやねんけど音訳にせんと造語してるんよ。有名なとこやったら、

『芸術、理性、科学、技術、心理学、意識、知識、概念、帰納、演繹、定義、命題、分解・・・』

 もっとあるはずや。西周が作った造語は日本だけやなく現代中国も使うてるからな。と気張ってところで、タダの家や。森鴎外と西周の生家を先に回ったんは、市街地から離れとったからやねん。ここからJR津和野駅まで行って、ここから歩きや。

 観光協会でパンフをもうて、安野光雅美術館は行っとこ。観光協会の向いやし。そこから津和野観光のメインの本町通や。

「ここね」
「ホンマの本番はこの続きの殿町通りやけど」

 ほいでも本町通でもエエ雰囲気出てるわ、日本遺産センターも見落とせん。ここには津和野百景図の複製が全部見れるんよ。藩政時代最後の頃の津和野がわかるとこやねん。

「コトリ、源氏巻って美味しそうじゃない」
「食べよ、食べよ」

 なかなか風情がある店や。店の中で食べれるし、お茶も出してくれるのが嬉しいやんか。上品な太鼓焼きと言うか、今川焼と言うか、

「そうねぇ、どら焼きというか、三笠と言うか」

 信号渡ったら殿町通りや。まずはカソリック津和野教会で、次が大岡家老門や。奥が津和野町役場やけど木造二階やな。

「これが津和野と言えば出てくる掘割と鯉ね」

 実際はこんな感じやったんか。藩校養老館も見て、

「鷺舞のブロンズ像じゃない」

 それも向かい合って二体か。ホンモノ見たいけど祭りの時しか見れんよな。時間は微妙やが、

「太鼓谷稲荷に行くで」

 ここでマイが、

「そんなに慌てて回らんでも、明日も観光出来るやんか」
「そうやけど、ホテルに行ったらお迎えおるかもしれんし、明日の朝にホテルの前に待ち構えてるしれへんやん。回れるうちに見とこ」

 さすがお稲荷さんや。上まで赤い鳥居のトンネルやんか。結構登るな。

「これは立派な神門だけど、真ん中は閉まってるね」
「皇族クラスが来たら開くんやろ」

 本殿も立派やけど景色もエエわ。夕暮れの津和野の街が箱庭みたいに見えるやんか。

「石州瓦の屋根が艶やかね」
「淡路瓦やったらワビサビになるからな」

 ここから津和野駅まで戻ってホテルに行くで。高岡通りになってるけど、この道沿いに今日の宿があるのもミソやねん。

「いないようだね」
「助かったわ、今から次の宿に移動するのはさすがにしんどいからな」

 シノブちゃんにも白羽根産業の動きをチェックを頼んでるんやけど、白羽根のハックやってる最中やって報告や。それとやけど津和野過ぎたら山口まで宿がなさそうやねん。駅からバイクを回して来たけどマイのトライアンフ見てビックリしとったわ。

「エライ高そうやけどエエの」
「心配せんでも後で精算してもらうさかい」

 部屋入って、風呂入って、メシ食って。マイは疲れたんかバタン・キューや。

「コトリ、あのバイクの運転って、そんなに疲れるの」
「まっすぐ走る分にはラクやねんけど、とにかく取り回しが重うて、重うて。今日も山道多かったから堪えたんちゃうか」

 あのクラスの超大型は乗り手を選びすぎるわ。そやな、一八〇センチ以上なかったら足着き悪すぎるし、あの重量を取り回そうと思たら、レスラーとかゴリラぐらいの体力が必要や。マイもよう乗っ取るわ。

「でも寝顔が可愛いね」
「明日はどうなるかや」
「そうよね。乙女峠と津和野城には行きたいんだけどね」

 明日は明日の風が吹くやろ。