純情ラプソディ:第16話 第二外国語

 カルタ会の方は前途は明るくなってるのだけど苦戦中なのは第二外国語。なんにしようかと思ったのだけどフランス語にしたんだ。英語が出来れば簡単そうじゃない。ところがギッチョン甘かった。

 フランス語ってまず発音が難しいのよね。Rの発音とか、英語だってややこしかったのに英語になくてフランス語にある発音とか。これはどの言語を習得するにしても似たようなものかもしれないけど、いきなりテンパったものね。

 単語は英語と似ているところがあるから、取っつきやすいけど文法はまさに複雑怪奇。名詞に性があるのもそうだし、動詞だって直接法が八種類、条件法が二種類、接続法が四種類あって、六種類の主語によってそれぞれ動詞の語末が変化するから、活用の変化の八十四通りもある。複雑すぎる動詞の変化はネイティブだって全部覚えきれていないとさえ言われてるぐらい。

 時制もそうでヒロコも英語の完了形に悪戦苦闘させられたけど、フランス語になると過去形だけでも複合過去、半過去、単純過去ってあって頭の中はグッシャグシャ状態。他にも方位副詞と合わせて動詞を使わないとか、動詞に対する目的語を付けるルールも難しくて難しくて、フランス語を選んだのを後悔したぐらい。

 そんな状態なのに後期になるとフランス人留学生とのフランス語会話なんて始まったんだ。まだ初心者だから簡単な内容のはずだけど、みんな固まってた。聞き取るだけで耳ダンボにしても足りないぐらい。

 なのにカスミンは平気で答えていた。それだけじゃなく、途中から会話が弾みだし、講義が終わっても話し込んでた。そうなのよ、フランス人留学生となんの違和感もなく会話してるのよ。それだけでもアングリものなのに、カスミンは友だちになったみたいで、

「フランソワーズが遊びにおいでって言ってるから、ヒロコも一緒に行こ」

 正直なところ嫌だったけど、カスミンの頼みはなぜか断れない感じになってた。カスミンに連れられて留学生会館に行ったんだけど、ここでもヒロコはビックリさせられた。留学生会館にはフランス人以外にもたくさんの国籍の人がいるのよね。

 カスミンに聞くと一応留学生同士の共通語は日本語だそう。これは日本で暮らして学ぶために必要だから、そうしてるんだって。ただ留学生の日本語能力も様々だから、第二共通語が英語になってる感じかな。

 でもヒロコは助かった。上級生になるほど日本語は流暢だし、下級生だって英語で意思疎通できたもの。ヒロコの英会話も怪しいなんてものじゃないけど、カタコト程度は話せるからね。

 それにしてもこれだけいるんだ。法学部ではあんまり見かけないけど、アメリカ、イギリス、フランス、イタリア・・・中国やベトナム、インドネシア、インド・・・アラブの人もいるものね。

 驚いたのはカスミン。日本語じゃないから英語だと思っていたけど、あれはそうじゃない。ヒロコの勘違いじゃなければ、留学生の母国語で話してるとしか聞こえないもの。決定的になったのが中国人留学生と話した時。それもだよ、途中から話し方の調子が変わったのよ。どうなってるんだと聞いたら、

「最初は普通語で話していたのだけど、広東出身って言うから広東語に変えただけ」

 中国は広いだけあって方言があるのだけど、方言の違いは日本とは桁違いで、中国人同士でも方言が違えばまったく通じないそう。だから誰でも通じる普通語を中国人なら習うんだって。

「普通語って北京語のこと」
「ちょっと違う。普通語は北京語がベースになってるけど、中国では北京の方言として扱われるよ」

 カスミンは普通語はもちろんだけど、北京語も、四川語も、広東語も話せるみたいで、

「広東の人でも広東語だけじゃなくて、客家語を話す人やそれ以外もいるんだよ」

 カスミンは全部話せそうな気がした。それだけじゃないのよ、アラブ人とはアラビア語だし、ベトナム語だって、ロシア語だってスラスラと。一体何か国語を話しているんだの世界だよ。フランソワーズも来て話してんだけど、

「講義の時になに話してたの」
「フランソワーズのフランス語だけど、ちょっとプロバンス訛りがあって、講義のフランス語会話の時は気を付けた方が良いって」

 そしたらフランソワーズが日本語で、

「マルセイユだからね。講義だから気を付けてたんだけど、油断したらちょっと出ちゃった。でもそこまで聞き分けられる人がいたのにビックリしたわ」

 ビックリするのはヒロコだよ。そしたらカスミンが、

「ヒロコ、フランソワーズに頼んだら引き受けてくれたよ」
「なにを」
「フランス語だよ。ネイティブに教えてもらう方が上達が早いよ」

 えっ、えっ、えつ、

「その代わりにヒロコは日本語を教えてあげてね。彼女の日本語も怪しい部分はあるから」

 そんな無茶な。待ってよカスミンと思っていたら、インド人留学生が来て親しげに話しこんじゃった。インド人ってヒンズー語なんだろうか。ヒロコはフランソワーズにつかまって汗びっしょり。帰り道に、

「カスミン、あれは」
「ヒロコは語学苦手でしょ。あそこで遊んでたらフランス語だけでなくて、他の言葉も覚えられるかもよ。民族料理だって出してくれるかも」

 民族料理は魅力的だな。

「それと日本文化、とくにアニメから日本語に親しんでいる人が多いから、とっつきやすいよ」

 アニメならヒロコの十八番。それより気になるのはカスミンの語学力だけど、

「そんなマイナーな言語の国の人はいなかったよ」

 そういう問題じゃないでしょ。でもカスミンの狙いは理解した。語学は使えるようになるのが目的でもあるけど、使いたいって思う環境にいた方が上達しやすいって事だと思う。話せなくとも読み書きができれば良いって意見もあるけど、話せるほうが今後の実用性でははるかに重要じゃない。

 それこそ、いつの日にかフランス旅行に行けた日に話せたら素敵な経験が出来るはずだもの。さすがにフランス人の彼氏を作ろうとは今のところ思ってないけど、そういう出会いがあるかもしれないものね。そう、愛に国境はない。

 フランソワーズは良い人なのはわかったし、是非友だちになって欲しいタイプ。そのためにはフランス語が必要。フランソワーズと意思を通じるための努力なら頑張れそうだものね。いや、楽しめそうと言えそうじゃない。


 そういうことで留学生会館に定期的に遊びに行くようになり、魔物のように感じていたフランス語がだんだんわかってきた気がする。とにかく行けば誰もが大歓迎だし、友だちになりたかったから自然に覚えて行った感じかな。フランス語以外も少しぐらいはね。

 民族料理もご馳走になったし、ヒロコも頑張って手巻きずしを作ってみた。そう言えばカスミンは料理も上手。そりゃエレギオン愛育園ではシェフみたいなものだけど、手巻き寿司じゃなく握り鮨を作ったのに腰抜かしたもの。

「愛育園ならこれぐらいは当たり前よ」

 そうかもしれないけど、ヒロコにはカスミンがスーパーマンに見えてきた。そうそう、夏休みが明けてからカスミンは変わった気がする。前期の間は内気でオドオドしたところがあったけど、そんなのが全然なくなって、今はどこに行っても堂々としたもの。

 それだけじゃない。夏休み明けに会った時に別人かと思うほど綺麗になってた。綺麗なだけじゃなく、食べちゃいたいぐらいの愛くるしさもある。一瞬誰かわからなかったぐらい。

 スタイルもそう。これはファッションが変わったせいかもしれない。夏休み前のカスミンは正直言うと野暮ったい感じがあったけど、今やモデルさんじゃないかと思うほどの抜群のコーディネート。見事な着こなしで垢抜けてる気がするのよね。さらに言えば仕草も可愛い。媚びてる感じはしないけど、素敵としか言いようがないもの。

「カスミン、変わった?」
「ちょっとした心境の変化よ」

 恋でもしてるのかな。ヒロコが見る限り男っ気はなさそうだけど、あれならもてるだろうな。絵に描いたような才色兼備だものね。羨ましいったらありゃしない。