純情ラプソディ:第4話 決まり字

 石村先生にはそれこそ競技カルタのイロハから教えてもらったようなもの。それぐらい明文館競技カルタ部のレベルは低かったんだよ。なんとなく先輩のやり方を見て覚えたんだけど、その先輩もさらに先輩のを見ただけで、まともに競技カルタを知っている人がいないままで何世代過ごしていたかわからないぐらい。

 その気になればネットにいくらでも情報は転がっていたはずなのに、それも見ていなかったし、見ても、

「あんなのは超が付く上級者用」

 こうしてたぐらいで良いと思う。というか難しすぎて手を出す気もしなかったのが真相かな。そんな連中を率いた石村先生はエライと今ならよくわかるもの。ヒロコが顧問だったらサジ投げると思う。


 百人一首かるたの基本は、上の句から下の句の札を探し当てるゲームだけど石村先生曰く、だからカルタは普及しないって言っていた。百人一首かるたが成立した頃は、百人一首を基礎教養どころか常識として知っていたとしてた。

「そんなに難しく考えなくとも、君たちだってアニメ・キャラなら良く覚えているだろう。キャラの特徴から、それが誰かを当てる遊びみたいなものだよ」

 なるほど、そういうことか。でもいくら昔だって、百人一首を常識みたいに覚えている人はそんなにいたのかな。

「良い質問だ。カルタの起源は平安時代の貝合わせが源流とされている。もっとも本来の貝合わせは貝の模様から一対の貝を見つけるものであったんだよ。やがてその貝に歌や絵を描くようになり、これが歌貝と言って、一方に上の句、もう一方に下の句の歌を書き、これを探す遊びになった。これが札に置き換わったのがカルタで良いだろう」

 さすがに歴史は古いな。

「だが成立を見ればわかるように貴族階級の遊びだ。武家でさえ江戸期の泰平の時代になって奥方様の遊びになったぐらいで良いと思う」

 うむうむ、この時に何故かとしか言いようがないけど、使われる和歌は小倉百人一首になったらしい。カルタ遊びは江戸時代に徐々に庶民の遊びとして普及したとなっているらしいけど、お正月遊びの定番となったのは安政の頃というから幕末、ペリーによる黒船騒ぎが有名だけど、

「だが庶民と言っても富裕層に限られるとして良いだろう。江戸時代の識字率は世界的に見ても飛びぬけているが、それでも百人一首を暗記している人は、どうしても限られるだろうからな」

 これは今でも同じ。和歌なんか古文で暗記させられるだけだもんね。

「それと競技カルタになると、百人一首を覚えているのは前提だが、それだけじゃ試合にならないのはわかっただろ」

 百人一首カルタの基本は、読み上げれた上の句から下の句を書いてある札を探し出すゲームだけど、競技カルタとなるとかなり変わってくる。まず百枚の札をシャッフルして競技者がそれぞれ二十五枚ずつ取る。これを持ち札と言うのだけど、自分の持ち札が早くなくなった方が勝ちとなってる。持ち札を減らすには、

・自分の持ち札を取る
・相手の持ち札を取る

 自分の持ち札を取れば一枚無くなり、相手の持ち札を取れば、送り札と言って自分の持ち札から相手に一枚渡すことができる。ここまでは単純なんだけど、競技カルタのキモはいかに上の句から下の句の札を早く探し当てるかなんだよね。

 そのために石村先生が教えてくれたのが決まり字。ヒロコたちは決まり字の存在さえ曖昧にしか知らなかったレベルだった。決まり字とは上の句から下の句を決定できる文字の事。上の句の出だしから、何文字かで下の句の札が特定できるんだよね。

 石村先生に教えてもらったのは決まり字の細かい分類。決まり字と言っても、最初の一文字で特定できる一枚札から、二枚に絞れる二枚札、さらに三枚札、四枚札・・・多いのになると十六枚札まである。

 決まり字が出るまでの文字数も早いのが殆どで、三文字以内に出るのが八十六枚もある。だから歌が詠み始められると耳をダンボにして下の句を考えなきゃならないのが競技カルタだって。

 イメージとして一文字目を聞いた時に、それが何枚札になるのか即座に判断し、一枚札なら取りに行くぐらい。一枚札でなければ、どこに出札があるかを素早く探すぐらいかな。そして二文字目以降の決まり字が出たら取りに走って行くぐらいの感じ。

 決まり字は出札を決定するキーだけど、決まり字が出る前に取り行ったらいけないのもルール。いちかばちかのフライング禁止で良いと思う。決まり字を覚えるのも半端じゃない手間がかかるけど、本当に難しいのはこれから。

 と言うのも決まり字は移動するのだよ。わかりやすい例をあげると二枚札があるじゃない。二枚札の決まり字はすべて二文字目にあるのだけど、既に一枚がなくなっていたら、決まり字は二文字目でなく一文字目に繰り上がるってこと。

 決まり字が出るのが一番遅いのは大山札って言って、第一句じゃ決まり字が出ず、第二句の一文字目が決まり字になってるんだ。これが三種六枚、つまり二枚ずつペアになってるけど、これですら一枚が出てしまうと決まり字が二文字目や一文字目に繰り上がってしまうんだよね。

「カルタは戦略性と戦術性が高度に要求されるゲームだ」

 出札を探すには、いかに決まり字に素早く反応するのがすべてなんだけど、詠まれる歌の決まり字が、その時点で何文字目の何になっているかを常に把握していないと勝負にならないのは実戦で教え込まれたものね。

 だってヒロコたちがやっていたカルタなんて、上の句の第一句から下の句の札をおもむろに探そうとしていたレベルだったもの。だから高校かるた選手権のE級でも蹴散らされたんだよ。本気で勝って全国を目指したいなら、

「常にすべての札の決まり字が、どうなっているかの情報を頭にインプットして計算しておかないとならない」

 この決まり字の記憶が煩雑になっているのが、出札として使われるのが半分の五十枚しかないこと。残りは空札と言って、詠まれるけど出札に無いものになってるのよね。とにかく半分も空札があるから、決まり字の位置づけを覚えるのも容易じゃない。

 この上で歌が詠み進むにつれて決まり字は変動していくのだけど、その変動について行かないと勝負としては圧倒的に不利になるのは丸わかり。石村先生に言わせると持ち札はすべて開示されているから空札の歌は競技開始の時点で上級者ならすべて把握しているって。

「そうだな。頭の中に空札、出札がすべて整理されて、出札になる札の決まり字の位置も浮かんでいるぐらいだ。その状態から歌が進むにつれての変化を修正しているよ」

 それもだよ、考えるようなら遅すぎるって。考えるまでもなく頭に自然に浮かび把握していないと勝負にならないとしてた。実際に石村先生と稽古試合をすると、その反応の速さに全然ついていけなかったもの。ヒロコがあれだと思った頃には、もう取られちゃってる感じ。

「覚えなきゃ始まらないけど、覚えたら終わりじゃない。それが頭に刻み込まれないと競技カルタにはならないよ」

 石村先生が言う基礎とは札のすべてを頭に刻み込むレベルとして良さそうだった。こんなもの一朝一夕に出来るものじゃなく、

「英単語や英熟語、慣用句みたいなみたいなものが試験ですぐに思いつくレベルじゃ足りなくて、ネイティブと会話できるぐらいになるぐらいと思えば良い」

 それがどれだけ大変な事か。それに石村先生流はあくまでも覚えたいなら教えてあげるスタンスなんだよね。やる気の無い者を切り捨てると言うより、やる気のある者だけ導くスタイル。でも本当にやる気がないと使いこなせる代物でないのも良く判った。