ツバル戦記:北京の夜

 ツバル奪還作戦の状況報告書を読む張主席ですが、

「拙い、極めて拙い。そこまで有志連合艦隊が動くのは計算外だった」

 中国の報告は指導者の機嫌を忖度したものばかりですが、それではさすがに国の舵取りは出来ないため、主席直属の調査室があります。そこには表向きの報告書と違い赤裸々な経済、軍事情勢が記されています。

 ツバル奪還作戦については強襲揚陸用潜水艦が南シナ海を出た頃に探知がされるのは予想していましたが、攻撃は愚か長期の追跡は行わないと見ていました。これには領海問題があるからです。

 有志連合艦隊と言えども他国の領海での活動は制限されます。当該国の了解が必要になりますが、まずフィリピンとインドネシアは有志連合に艦艇こそ出さないものの参加しています。台湾はもちろんです。

 南シナ海から出るにはフィリピンの南か北かを抜ける必要があります。北を抜けて太平洋に入った方が航海としてはラクですが、グアムに米軍の有力基地があります。そのためあえて南方ルートを取っています。

 スールー海からセレベス海を抜けるルートです。狭い海峡もありますが、ここで見つかってもパラオの領海に逃げ込めば振り切れる計算です。ところが太平洋島嶼国が緊急国際会議を開き、有志連合への協力を突然表明してしまったのです。

『我らが同朋であるツバルを一度ならずも二度攻めるとは許しがたき暴挙』

 この動きも察知していたので会議自体を行わさないように切り崩し工作を行っていましたが、

「これも長年のツケとして良いだろう。活きたカネになっていない」

 建艦競争が始まる前の中国はGDPでアメリカに迫ろうとする勢いがありました。その勢いを示したのが一路一帯政策です。二十一世紀のシルクロードとも呼ばれたこの政策の狙いは、中国主導による巨大経済圏の建設です。

 一路一帯政策は東南アジアからインド、さらに中東から欧州、アフリカに伸びます。太平洋も豪州との友好を基盤に太平洋島嶼国にも影響を及ぼしています。

 一路一帯政策の具体策は、巨額の借款を行い、それにより中国を中心とする交通・経済のインフラ整備を行うものです。これにより中国も一路一帯参加国も双方に大きなメリットが得られるのがスローガンでした。

「寛容が出来なかった」

 中国は多数の少数民族がおり、その統治に強権を用いています。これは中共成立以来の伝統的な政策ですが、少数民族のみならず漢民族にも行っています。強健で抑圧すればより強い反発が出るのが政治ですが、それもまた強権で抑え込んでいます。

 それ故に反政府言動には過敏に反応します。そんな反応の末に生まれたのが国家安全法です。これはいかなる国の人間が、いかなる場所であっても中国政府への批判を行えば国家安全法違反の重罪者とするものです。

 中国は一路一帯参加国の政治も気に入りませんでした。参加国の政治体制は様々であり、欧米流の民主主義国家も多数あり、そこには言論の自由もあり、中国批判も、反中運動も、中国からの政治亡命者も受け入れています。これは中国の安全を脅かすものにしか見えなかったのです。

 そこで中国は国家安全法を国家安全条約として提示し、一路一帯参加国にも批准を強要します。これへの批准国は、中国批判者を逮捕し中国に犯罪者を速やかに引き渡さなければなりません。ここもあからさまに言えば、中国が指名する注意人物を中国に引き渡す条約として良いかもしれません。反発する参加国には、

『文句があるなら耳をそろえてカネ返せ』

 これは属国条約とも言えるものですが、政敵排除に利用する国もありました。借款返済の目途が立たず批准する国もありました。批准した国には、アメとして借款条件の緩和とさらなる借款による投資開発も行われています。

「あれを親中国家の成立として無邪気に喜んでいた。いや、無邪気に喜ぶことを強制したと言うのが現実だ」

 一路一帯の経済政策は中国利益第一で推進されます。あらゆる規格は中国のものになり、通貨も自国貨幣と同様に中国元の流通を強要します。産業も中国が優先で、中国企業の利益を損ないそうなものは強引に潰しています。

 そう共存共栄ではなく、利益は中国に集まり、参加国は産業も政治的自由も失い、ただ中国からの借金で暮らすような状態になっていきます。

「カネには跪いたが中国への感謝は育たなかった。アメリカの事を笑えない」

 アメリカもかつて似たような政策を取った時期もありましたが、ここまであからさまな態度は示しませんでした。それでも反米国家は育ちましたが、中国はなおのこと状態だったとして良いでしょう。

 それでも中国は史上空前の繁栄を示し、世界に残るラスボスであるアメリカへの挑戦を行います。あの建艦競争です。この反動は速やかに訪れます。建艦競争の過度の負担は支配力の源泉であったチャイナ・マネーに衰えを見せます。

 これまで数多くの不満がありながらも中国に従っていたのはカネの力です。これが衰えれば中国に従うメリットは反比例するように無くなっていきます。太平洋島嶼国も建艦競争前は中国のリゾート地とまで言われた時代もありましたが、今では見る影もなくなっています。この結果が、

「奴らの道はツバルまで開かれてしまったという事だ」

 そのために強襲揚陸用潜水艦の追跡はパラオの領海に入っても続いています。その規模は今まで臨検拿捕に従事していた艦隊を挙げての規模になっていると見て良さそうです。強襲揚陸用潜水艦の能力のデータも手元にありますが分析として、

『完全に捕捉されており強襲揚陸用潜水艦の能力で振り切れる可能性は皆無』

 有志連合艦隊はこれをエスコート作戦と名付けているようで、このままツバルまで付いて行くようです。そんな状態でツバルで上陸作戦のために浮上しても、

『上陸作戦を行う姿勢を見せただけで侵略行為と判断され、撃沈もしくは投降する以外に選択肢はありません』

 加えてその様子は全世界にネット配信も含めて完全生中継される可能性が極めて高いとなっています。この状況を打開するには、

『海軍の総力を挙げての牽制が考えられますが、これに反応せず無視されると手の打ちようがありません』

 せいぜいグアム近海にまで進出して、力を誇示するのが関の山としています。

「それ以上となると全面戦争だからな」

 せめて撃沈とかしてくれれば怒りの姿勢を見せて何とか国としての面子は保てますが、

『攻撃意図はなく、徹底した監視による追跡』

 状況分析としてたとえ浮上航行しても攻撃される可能性は極めて低いともしています。その証拠に、あれだけの重圧をかけながら、一発の弾も撃たないどころか、その通信の妨害さえされていません。作戦名の通りにエスコートしているだけです。

 一方で強襲揚陸艦内の状況は悲惨なようです。捕捉されてから常にプレッシャーをかけられ続けられ、とくに海兵隊の精神状況はまともに戦える状態ではないとしています。

「戦術的に作戦を中止させるのが妥当なのは百も承知だが」

 それをすれば自分の政治生命は終わります。いや、もう殆ど終わっています。

「プランBで行くべきだったな。あれはあれで困難な道であったが、それを通るのが大中国の指導者だ。それで死ぬ方がよほど男らしかった」

 第一次作戦失敗後に示されたプランBは、、禍転じて福と為すのが狙いです。ツバル作戦の失敗は海軍の責任であり、これに乗じて海軍に大圧力をかけて抑え込み、中国経済のガンであり財政のカネ食い虫になっている海軍の規模縮小、適正化を行うものです。

 プランBの問題点は小国ツバルに負けた恥が残ることです。その風当たりは指導部を直撃し、この責任問題を回避するには余程の努力が必要で、失脚につながる危険性が高いとするものです。

「あれも妄想だと思っていた」

 中南海の図書館の奥深くに絶対の禁書指定になっているものに劉主席回顧録があります。これは主席になった者以外は読むことを禁じられているほどです。

 劉元主席時代に訪れたのがエラン宇宙船事件です。この時にはエレギオンHDの故小山前社長が地球全権代表となりエランとの交渉をまとめ上げていますが、回顧録には小山地球全権代表の驚くべき活躍が赤裸々に記録されています。

 そのあまりの圧倒的な活躍ぶりに、劉主席回顧録を読んだ張主席も信じることが出来なかったのです。さらに劉主席回顧録には様々な不可解な記述があります。これは劉元主席がエラン宇宙船事件で実際に経験したもののはずですが、

『この世に神は実在する。決して疑うことなかれ』
『神は美しく、怖ろしい。人では何人たりとも抗うことは不可能』

 ここで指す神とは故小山前社長であるのは間違いありません。さらに遺言のように、

『これを読む同志諸君に書き置く
エレギオンの女神は不滅なり、
これに逆らうことなかれ
この言葉に従わざる者に必ず禍あり』

 故小山前社長と言えばエレギオンHD社長であり、エレギオン財閥の総帥ですが、エレギオンが長年に渡ってツバルに莫大な援助を行っているのも有名です。中国とてエレギオン財閥と喧嘩するのは経済的に得策でなく、これもツバル作戦の懸案事項の一つでしたが、

「小山社長は既に亡くなっているではないか」

 すべては劉元主席の妄想、百歩譲ったとしても小山社長は既にこの世に存在しないとして退けツバル作戦の決行を命じています。しかし現実は、まるで小山社長が甦りツバル戦の総指揮を取っているとしか思えなくなっています。

「エレギオンの女神は不滅か・・・結果は劉元主席の言葉通りであった」

 残された手段は非常手段ばかりです。全面戦争カードも張主席もありますが、たかがツバル問題で人類の破滅をも意味する戦争を開始する意味がどこにあるかです。

「強行すれば失脚の前に暗殺されるな」

 下手すれば中央軍事委員会の会議室で射殺されかねません。国民から見ても全面戦争は暴挙ですから暗殺者は英雄として称えられるパターンです。しかし何もしなければ、

「潜水艦が帰る頃には、今見える月が配所の月に変わるだろうな・・・」

 権力闘争に敗れたものの末路は悲惨です。劉少奇しかり、林彪しかり、毛沢東後の四人組しかりです。張主席も李前主席を失脚幽閉に追いやって今の地位にいます。それでも張主席は内政的に奥の手はあります。

「あれも大昔は使えたが、今では悪あがきになる」

 次期主席の有力候補者を根こそぎ逮捕し、適当に罪状を付けてすべて失脚させてしまうやり方です。かつて毛沢東が劉少奇に仕掛けたものに近いですが、その後の文化大革命は共産党の歴史の暗部とされます。

「女神に逆ら者に禍ありか・・・それは大中国でも例外でなかったという事か」

 立ち上がった劉主席は窓辺に歩み寄り、

「誰も私の真意を知らない。CIAあたりでは何をするかわからない狂犬とも分析されているようだが、それは誤解だ。あれはポーズに過ぎん。ああしなければ権力闘争を勝ち抜き主席の座が獲られなかった。単なる方便に過ぎん」

 張主席は低く吟じながら、

「志士は溝壑にあるを忘れず。勇士は其の元を喪ふを忘れず」

 孟子滕文公下首章です。

「大中国を建て直したかった。それこそ我が望み。それも潰えた。悪あがきはしない、去り際こそ志士たる者の覚悟を示す時。せめてこの身で次の扉を開けよう。

『人生、古より誰か死無からん
丹心を留取して汗青を照らさん』

文天祥は清名を残したが、私は胸を張って悪名を残そう」