アカネ奮戦記:女神たちの心配

    『コ~ン』

 ここは鹿威しが鳴り響く、女神たちの棲家であるクレイエール・ビル三十階仮眠室。今日は女神の集まる日、アカネは逃げて来なかったが、今日に限って言えば、かえって都合が良い。

    「・・・シオリも見えてたのね」
    「あんなもの誰だってわかる。オフィスじゃ常識」
    「いつから気づいたの」
    「採用面接の時に舞い上がっておった」

 これはタケシだけじゃない、アカネの男の弟子はみなそうだったのだ。だからアカネに男の弟子を持たせるのはいつも心配していた。誰と引っ付いたって構わないようなものだが、アカネは特別なのだ。アカネだけは失敗は許されない。

    「それって過保護じゃないの」
    「なんとでも言え。アカネには何があっても、素晴らしい恋をしてもらい、幸せな結婚をしてもらわないといけない」

 とにかくアカネが鈍すぎるのだ。これまでアカネに言い寄った男は軽く十人を越える。これには、アイドルとか俳優のミエミエの遊びを除いてだ。そのすべてをアカネは、

    『ナンパ野郎』
 こう言って見向きもしなかった。アイツら真剣だった。そんなもの見りゃわかる。心の底からアカネに夢中になって、あの手、この手でアカネの気を引こうと懸命になっていた。

 わたしも気に入って認めてたのもいた。相談されたこともあるし、アドバイスもしてやった。セッティングに手を貸してやったこともある。だけどだよ、肝心のアカネときたら、

    『ストーカー野郎』

 これで全部追っ払ちまいやがった。とにかく取り付く島さえないのだ。アカネは女神同様に歳を取らないとはいえ、今年で三十六歳になってしまう。

    「シオリちゃん、心配せんでも売れ残りの会に入ったらエエやんか」
    「許さん。そんなところにアカネを入れてなるものか!」
    「おおこわ。シオリちゃんはアカネさんの事になると目の色が変わるもんな」

 当然だろ。アカネは愛弟子。それもダントツの愛弟子で、フォトグラファーの才能はわたし以上。わたしとて主女神が宿ってなかったら太刀打ちできないだろう。アカネに匹敵するのはかつてのリンドウ先輩か、水橋先輩ぐらいしか思いつかないぐらいだ。

    「今度はどうなの。タケシさんは相当お熱だったよ」
    「タケシはイイ奴だ。心が真っ直ぐな点を気に入っている」
    「わたしもそう思う。わたしやコトリ、シノブちゃんを見てもまったく動揺しなかったからね」

 タケシのハートは綺麗なのはわたしでもわかる。一点の曇りもなくアカネを愛しているし、アイツならアカネを幸せにしてくれるはずなのだ。アカネのすべてを受け入れても愛し抜いてくれるはず。今まで見た中で一番だと思う。

    「気づいてへんの」
    「そう、いつもの通り、まったく」

 あれだけ水を向けても、いつもの通り無反応。ホント、あれだけ一緒にいて、あれだけ情熱的な目を向けられても、アカネには通じないのだ。

    「ホントに気づいてないの?」
 今回は少し違う気がしてるのだ。課題で弟子が苦悩し、悪戦苦闘するのはオフィスでは普通の事なのだ。タケシも苦しんでいるが、そんなものは、アカネなら何度も見て来てるのだ。

 そりゃ、師匠だから弟子を心配するのは当たり前だが、あそこまで心配しているアカネは初めて見る気がする。あれはタケシがオフィスを去って行くのを無意識に怖れているのだ。会えなくなってしまうのを避けよう、避けようとしてるのだ。それを恋だと気づけよな。

    「それで課題はクリアできそうなの」
 可能性はゼロじゃないぐらいだ。わたしは無理と見ているが、アカネは何かを感じてる。これがアカネだけに見えているものなのか、アカネの恋心による見誤りなのかは、答えが出るまでわからない。

 だからこそあれだけの課題を与えてみた。もしあるとすれば、硬い殻が割れた時以外に考えられないのだ。あれだけ重圧をかけてやれば、もしあるのなら必ず現れるはず。

    「クリア出来なかったらどうなるの」

 ここが難題。タケシはフォトグラファーを目指しているが、才能が無ければ去るしかない。シンタローもそうせざるを得なくなった。去ってしまえばアカネとは終わってしまう。タケシが弟子でなければ・・・

    「そんなん関係ないやろ。好きやったら結ばれるべきやで」
    「そうよ、アカネさんが食べさせたらイイだけじゃない」
 その線はあっても良いと思っているのだ。とにかくアカネの私生活はひどいのだ。部屋にも何度か行ったことがあるが、足の踏み場もないとはまさにあれ。玄関に下着が転がってるのだからな。部屋の隅にはカップ麺とコンビニ弁当の残骸の山、山、山。

 アカネの写真のために家庭を持つのは良いはずだ。あのアカネ相手だから片手間じゃ大変だろうから専業主夫も良いと思っている。そうやって愛情溢れる温かい家庭を持つことは、アカネにとって計り知れないメリットが出て来るはずなのだ。

    「それやったら」
    「そうだが、タケシにもプライドがあるからな」

 これは男も女も関係なく、誰だって自分で稼いで一人前になりたいと思うからだ。タケシは今年でまだ二十六歳だ。フォトグラファーになれなければ他の道を探す。ここで探さないような男なら価値はない。

    「そこやな。シオリちゃんの言いたいことはわかる」
    「歳がもう少しアカネちゃんに近ければ、年齢的にフォトグラファーを挫折して主夫もあるだろうけど、まだ若いものね」

 もちろんタケシが他の道でやり直してアカネを迎えに行くのもあるが、

    「アカネさんの歳がね」
    「そこなのだ。他の道でやり直すとなると、三年ぐらいは必要だろうし」
    「そやねんよね。三年も待ってたらアカネさんは四十歳に手が届いてまうし」
 女神の見た目は変わらないし、体力も落ちないが、身体は確実に歳を取る。女なら子どもを産めなくなるらしい。これはシノブちゃんや、ミサキちゃんを見てるとわかるし、ユッキーやコトリちゃんもそう言ってた。

 子どもを産むことが女のすべてではないにしろ、アカネは子どもが好きなのだ。うちに遊びに来たら、それこそ一緒になっていつもでも、いつまでも遊んでるのだ。ホントに楽しそうにだ。だからこうとも言ってたのを覚えている。

    『ツバサ先生が二人なら、アカネは四人ぐらい産むんだ。そうしたらね、この三倍楽しいはずだし』
 人数なら二倍だし、楽しさ二乗と考えても四倍だ。どこから三倍が出たかは不明だけど、相手がアカネだから気にしていたらキリがない。それはともかく、これを四十歳からやるのは、さすがにキツイだろ。

 四人も産むかどうかは置いといても、タケシがフォトグラファーになるのに挫折して、そこから巻き直しなんかやってると、アカネが子どもを産む限界が近づいてしまうのだ。あんなに子どもが好きなアカネから、子どもを取り上げたくない。

    「一番イイのはタケシさんが課題をクリアしてプロになることだけど、プロとして認めちゃったらどうなの」
    「この世界はそれほど甘くない」

 オフィス加納でプロとして認められるのは一流の証だが、これはオフォス加納が認めたからじゃなく、本人の実力の裏打ちみたいなもの。実力がなければ食えなくなるだけ。お情けでは食えないのだ。

    「まあそやな。それはどの世界でも変わらんわ」
    「でも、なんとかしてあげたいね」

 その気持ちは強い。そしたらコトリちゃんが、

    「ここは話をシンプルに考えたらどうやろ」
    「シンプルって?」
    「問題はアカネさんが幸せな結婚が出来るかどうかや」

 まあそうなのだが、

    「相手はタケシさんで十分やと見てる」

 それはわたしも異論はないが、

    「だったら突撃させよう。好きやったら突撃するしかないやろ。要は順番を入れ替えたら済む話やないか。とりあえず結ばせる。そこからフォトグラファーになるのもヨシ、他の道で成功するのもヨシ、主夫になるのもヨシや」

 なるほど、フォトグラファーで挫折しても、次の道に進む間はアカネが食わせれば良いってことか・・・だけどだ、

    「タケシは弟子なのだ」
    「そやけど」
    「今結ばれたら、アカネが食べさすことになる」
    「そらそうやろ。問題はその状態をアカネさんが受け入れるかどうかになる」
 こりゃ、難しい。アカネには弟子としてあれこれ教えてきたが、とにかく言うことは聞かないし、言った通りなんてやった事がないぐらいなのだ。わたしが何度お手本を示しても、まったく違う写真を撮りまくるほど自由奔放さ。いくら怒鳴りつけても、なぜ怒鳴られたかさえ理解できないというか、そもそも理解する努力さえしないのだ。

 そんなアカネだけど、男に関するアドバイスだけは妙に素直に聞く時があるのだ。たいしたアドバイスをしたわけじゃないが、専属契約を結んだ頃に、

    『カネ目当てに寄ってくる男がいるから注意しとけ』

 これだけは異常なほど頑固に守り通している。今まで男の弟子を持ってもまったく関心すら寄せなかったのも、これが原因の一つになっているのだ。他に言い寄って来た男に対しても、この基準を適用した瞬間に無関心になっているところが確実にある。

    「それじゃあ、タケシさんがいくら突撃しても」
    「現状じゃ、アカネのカネ目当てにしか見えないはず」

 コトリちゃんも唸ってる。

    「シオリちゃんのアドバイスは間違ってないんやけど、今のアカネさんの収入からしたら、ほとんどの男がそう見えるやんか」
    「まさか、ここまで縛り上げるとは思わなかったのだ」
    「だよね、普通はそれなりに聞き流すし、好きな男が出来れば忘れちゃうよね」

 コトリちゃんの突撃案も保留になってしまったが、

    「アカネさんはイイ子だものね」
    「協力やったら、いくらでもやったるで」
 これもアカネの人徳。あれだけぶっ飛び娘なのに、誰もが気に入ってしまうのだ。これはわたしも他人の事は言えない。なんとかしてやりたい気持ちが自然に湧いてくる。あれだけピュアな心を持っているし、それが剥きだしだからな。