アカネ奮戦記:マドカ先生の話

 ボクの師匠はアカネ先生ですが、オフィスでは他の三人の先生も時間があれば相談に乗ってくれますし、あれこれアドバイスしてくれます。師匠間の対立とか、それに巻き込まれる弟子同士の意地の張合いとも無縁の世界です。

 これはどうも、ツバサ先生の力のように見えます。ツバサ先生にも弟子がおられますが、ツバサ先生は他の師匠の弟子も見て回っておられるのです。さらにアカネ先生や、マドカ先生だけでなく、サトル先生までツバサ先生に対する敬意は並々ならぬものがあります。

    「マドカ先生、少し教えて頂きたいことが」
    「良いですよ。マドカにお教えできることなら」
 マドカ先生のニックネームは『白鳥の貴婦人』。これは写真のイメージもそうなんですが、普段の挙措動作までそうなのです。礼儀、作法、教養のどれもが折り紙付きで、どうしてフォトグラファーなど目指されたのか不思議なぐらいの人です。

 ボクが聞きたかったのはマドカ先生がプロの壁を乗り越えた時のお話。とにかくマドカ先生以来、だれもプロの壁を乗り越えていないのです。他の先生、たとえばアカネ先生ではあまり参考にならないと思ったからです。

 ちなみにマドカ先生はオフィス加納に入門される前は西川流の総本山である赤坂迎賓館スタジオで修業され、そこで師範まで取っておられます。師範だけならボクも取っていますが、マドカ先生の時代の師範と今の師範は全く違います。

 マドカ先生時代の師範は、それこそ免許皆伝、西川流として一流のプロとして認められた証のようなものです。そうそうは取れるものではなかったと聞いたことがあります。

    「そうでしたが弊害も多くありまして・・・」
 当時の西川流はマニュアル化が進み過ぎ、上級コースに進むほど型に嵌った写真しか撮れなくなっていたそうです。そのために大改革が行われ、今はカメラ技術の効率的な教育メソドになっています。

 資格として師範の名前は残りましたが、かつてと違い、西川流の一通りの技術を身に付けたぐらいの意味合いです。そうですね、写真教室を流儀の名前を背負って開けるぐらいのレベルとすればわかりやすいでしょうか。ですから西川流ではマドカさんの時代を正師範、今のを新制師範と呼んだりしています。

    「当時のマドカは動くものが苦手でして・・・」

 これもそうだったと聞いたことがあります。被写体に対する撮影の決まり事が多すぎて、動くものを撮るのは弱点だったそうです。西川流が大改革された理由の一つになっています。

    「ツバサ先生とアカネ先生は、西川流で雁字搦めになっていたマドカを解放するための課題を与えて下さったのです」

 マドカ先生の写真は端正で気品あふれるものなのですが、それだけではありません。いかにも芯の強そうというか、凛とした切れ味と、女らしい柔らかさがなんの矛盾もなく融合しています。

    「当時のマドカに足りなかったものはたくさんありましたが、アカネ先生は合気道の力強さをマドカの写真に取り入れようと苦心されました」

 それこそ苦心惨憺の末にマドカ先生は突破口を見出され、今の地位を築き上げたで良いかと思います。ここで気になっていることを、

    「マドカ先生は切り開かれたのですか、それともあったのですか」

 マドカ先生は少し考えてから、

    「マドカの場合は撮りたい世界がありました。あれは切り開いたというより、乗り越えて到達したで良いかと存じます」
    「それは乗り越えればある世界なのですか」

 マドカ先生はさらに考え込まれて、

    「ツバサ先生はあると信じて指導されておられますし、マドカもそうです」
    「本当に誰にでもあるのですか? 壁を越えた者の数が少なすぎる気がするのです。それほど技術的難度が高いものですか」

 マドカ先生は少しだけ難しい顔をされて、

    「テクニックは必要ですが、これは努力すれば覚えられます。それといかにテクニックが優れていてもフォトグラファーにはなれません。テクニックは壁を越えるための条件ではないと考えています」
    「それはどういうことですか」
    「テクニックは自分の世界を撮るための補助手段に過ぎません」

 そういうとマドカ先生はPCを操作されて、

    「アカネ先生の初期の仕事です。テクニックとしては今と較べものになりませんが、これを見て感じるものがありませんか」

 たしかに技術的には稚拙な部分が目立ちますが、とにかく目を引きます。さらにPCを操作されて、

    「こ、これは・・・」
    「これはアカネ先生が面接試験の時に持ってきた写真です」

 これはあまりにひどい。これで採用されたのですから、オフィス加納の最大のミステリーと呼ばれるはずです。

    「そう下手だと思われるでしょう。でも、よく見て下さい」

 言われてみれば、今のアカネ先生の片鱗が。

    「ツバサ先生とて確信はなかったと仰ってましたが、何かを感じられて採用されています」
    「まさか、そんなことが・・・」
    「アカネ先生に限って言えば、壁も何も無く、最初から世界におられたのです。オフィスでテクニックを磨くことによって、自分の世界をより上手に撮れるようになったとしても良いでしょう」

 そ、そんな。そうなると、

    「自分の世界とは、最初から持っているのですか」
    「そう考えています」
    「でもマドカ先生の場合は」
    「同じです」

 そうか、マドカ先生は西川流の決まりごとに縛られ過ぎて、自分の世界を撮れなくなっていたんだ。これを振り解くことによって、その世界が思い通りに撮れるようになっただけなんだ。

    「では誰でも本当は行けるはず」

 マドカ先生は少しだけ悲しそうな顔をされて、

    「タケシさんは磯野先輩を御存知ですよね」
    「プロデューサーの磯野さんですか」
    「そうです」

 磯野さんはオフィスの敏腕プロデューサーとして業界では有名です。これは初耳だったのですが、サトル先生の二番目の弟子だったそうです。

    「当時はカツオ先輩とお呼びさせて頂いていましたが、マドカが入門した時には数段上の技量を持たれ、プロに一番近い位置にいると誰もが見ておりました」

 そんなに凄かったんだ。

    「ところが壁に直面されてから、足踏み状態となり、迷走の末にプロにはなれませんでした」

 だからプロデューサーに転身したのはわかるとして、磯野さんが直面した壁っていったい、

    「ツバサ先生は壁を技術の行き着く先と見ておられます。技術で撮れる写真は誰にでも撮れるのです。プロに求められるのは技術を駆使しての自己表現がいかに出来るかです。それこそが自分の世界です」

 ここでマドカ先生は静かに微笑まれて、

    「タケシさんの悩んでおられることはわかります。もし宜しければ、一つアドバイスさせて頂いてよろしいでしょうか」
    「もちろんです」
    「有るか無いかを先に考えて、無さそうだからチャレンジしないのは愚か者のすることです。有ると信じて遮二無二突き進んでこそ活路が開かれます。その活路はプロへの道かもしれませんが、それ以外の事もあります」

 さらに加えて、

    「人生のゴールは一つではありません。様々な可能性があります。それを見るための努力こそが重要です。今はフォトグラファーの可能性を信じて突き進まれるべきかと存じます」
 そうだ悩んでる時間などボクにはない。この試練の向こうにこそ、ボクの進むべき道が見えて来るはず。それがフォトグラファーであることを願おう。