ボクがオフィス加納を継ぎ、シオリ先生が顧問になって三ヶ月後に先生は倒れられました。シオリ先生は入院するより自宅での療養を望まれました。今どきの医療はそうなってるようですし、それよりなにより思い出深いマンションで最後の時を過ごしたいのでしょう。
先生には子どもがおらず、妹さんも先に亡くられています。甥御さんと姪御さんがおられますが、付き切りの看病は無理みたいで、オフィスから人手を出しています。というか、みんな行きたがって交通整理が大変です。
ボクもお見舞いと看病に訪れることがあるのですが、先生は女性ですから、どうしても女性スタッフの手が必要です。そんなボクに先生は、
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「サトルはオフィスを支えるために仕事に励みなさい」
その日は小山社長と香坂専務が来られ、シオリ先生と話をされていましたが、そこにボクも呼ばれました。小山社長はシオリ先生の長年の友人として看護に協力したいとの申し出でした。断る理由もなかったのですが、
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「シオリには出来るだけのことをしてあげたい」
なんと医師と看護師を常駐させるとのことです。そこからシオリ先生が謎めいたことを話し出します。
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「サトル、落ち着いて聞いてね。一週間後にユッキーとコトリちゃんと香坂さんが来るわ。その時にわたしは死ぬ」
「先生なんてことを・・・」
「これはもう決まっていること。わたしが死ぬ時については、すべてはユッキーの指示に従ってくれる。サトルじゃ、まだ無理なことも多いし」
シオリ先生の葬儀となると、たしかに大変な事になると覚悟しています。
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「それと、わたしが死んだ後は顔を見ないでね」
「どういうことですか」
「あははは、女心よ。老いさらばえた姿はさらしたくないのよ。サトル、わかった。頼んだわよ」
小山社長が帰った後に、
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「サトル、お願いが一つあるのだけど」
「なんなりと言ってください」
「わたしが死んでからサトルのところに弟子入り希望の若い女が来るわ。悪いけど弟子にしてやってくれない」
「先生の御推薦ならもちろんですが。お名前はなんと仰いますか」
「それは言えない。でも、サトルなら写真を見ればわかるはずよ」
それ以上は何を聞いても笑ってこたえてくれません。この日を境にシオリ先生の容体はさらに悪化し、食べ物どころか水も飲むことが出来なくなりました。意識も途切れ途切れです。それでも、少しでも意識がはっきりしているときは、
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「ユッキーの指示には従ってね。まあ、ユッキー相手に逆らえるはずもないのだけど」
これもどういう意味かわかりませんが、予言から五日後にはシオリ先生の意識はついに戻らなくなり七日目に小山社長、立花副社長、香坂常務が来られました。小山社長は、
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「悪いけどコトリと三人にしてくれる」
そう言われて立花副社長と残り、香坂常務は部屋のドアの前に立たれます。しばらくしてから、
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「先生を呼んでくれる」
医師と看護師が入ってしばらくしてから、小山社長と一緒に出て来られ、
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「加納先生は今お亡くなりになられました」
オフィス加納のスタッフもたくさん詰めてましたから、先生の顔を見ようと駆け寄ろうとしましたが、小山社長は、
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「シオリは死に顔を見て欲しくないとの遺言です。御遠慮ください」
小山社長とは熊野古道で『あ~ん』までしてもらってますし、これまで何度か顔を合わせた時はホントに可愛くて楽しい方でしたが、この時は、それはそれは厳しい顔でした。いや、あれは厳しいを通り越して怖い顔です。それでもスタッフが、
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「せめて一目だけでも」
こう詰め寄ると、
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「女心をわかってあげなさい」
小山社長は実業界では氷の女帝と怖れられてると聞いていましたが、その実像をまざまざと見せつけられました。小山社長が一睨みすると、誰も声すら出なくなってしまったのです。声どころか息をするのも苦しいぐらいです。
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「後は遺言により小山が宰領します」
香坂常務はテキパキと指示を下していきます。すぐにエレギオンHDからの応援部隊も到着し、遺体は葬儀場へと運ばれます。葬儀自体は近しい人だけで執り行うと言われ、急を聞いて駆け付けた御親戚の方と、オフィス加納のスタッフ、エレギオンHDのあの四人だけでしめやかに行われました。
葬儀の後にお別れの会がクレイエール記念ホールで行われました。写真業界だけではなく、芸能界や各界の有名人たちが多数集まり執り行われました。ボクも挨拶に出たのですが、小山社長の威厳というか威風は、ウルサ方と呼ばれる人々を余裕で抑え込んでいると感じました。
ボクもバタバタと葬儀の準備に追われてしまった部分があるのですが、オフィス加納を代表して弔辞を読ませて頂いています。祭壇の上にはシオリ先生の大きな遺影が掲げられています。もう涙、涙で、最後まで読むのが大変でした。
シオリ先生の死はマスコミでも大きく取り上げられ、
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『写真界の巨星逝く』
小山社長は葬儀だけではなく四十九日、百か日の法要もキチンとされ、遺骨は亡夫の墓に埋葬されました。シオリ先生の旦那さんは直接に会うことは出来なかったのですが、夫婦仲は本当に良かったらしく、旦那さんが亡くなった時にはシオリ先生が一度はカメラを置くぐらいであったのは知っています。シオリ先生は、
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「サトル、五年かかったけど、やっと会いにいけるわ。浮気してなきゃイイけど」
四十九日の法要が済む頃には一段落だったのですが、オフィス加納にポッカリと大きな穴が空いています。あの快活なシオリ先生の声が今日も聞こえる気がします。スタッフも悲しみと寂しさに必死で耐えているのがヒシヒシと感じます。ボクだってそうです。スタッフからは、
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「最後にシオリ先生にお別れの挨拶がしたかった」
そうなんです。今のオフィス加納を背負ってるのは名実ともにボクなんです。ボクの働きがオフィス加納の将来を決めます。シオリ先生から託されたオフィス加納を守るのがボクの仕事です。