シオリ先生の死は気持ちの問題だけでなく、オフィス加納の経営にも大きな影響を及ぼします。とにもかくにも直面したのは収入の落ち込みです。依頼件数が三分の一になっただけではなく、依頼料が四分の一になってしまいました。
これは弁解になりますが、ようやく一流プロの末席に顔を出したばかりのボクにしたら、依頼件数は多いぐらいです。依頼料だって駆け出しレベルなら安すぎるとは言えません。ただ世界の巨匠と誰からも認められたシオリ先生との差は余りにも大きいのです。
これを詰めるにはボクの仕事が認められ、依頼件数を増やし、依頼料を上げていくしかありませんが、とにかく背負っているのがオフィス加納ですから経営がたちまち苦しくなります。
経営なんて素人なのですが、スタッフの説明から理解できたのは、オフィス加納の経営はシオリ先生の売り上げをベースに設定されており、収入が一割以下に落ち込めば赤字必至というところです。
ボクの売り上げが急に増えるわけがありませんから、やれることはリストラしかありません。スタッフには給料の大幅削減か、オフィスを辞めて他のところに働くかの選択を示す以外にありませんでした。これを機に退職されたスタッフもいましたが、
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「サトル先生はシオリ先生の後継者だから、どこまでも付いて行く」
依頼件数ですが、これはボクにも責任があります。シオリ先生はボクを一流のプロの腕に鍛え上げてくれましたが、どうしても得手不得手があります。どうにも人物写真が苦手です。とくに女性、若い女性がからきし苦手です。この辺についてシオリ先生は、
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「サトルの持ち味じゃ苦手にするのはわかるけど、克服できるはずよ」
依頼料については原因がはっきりしています。シオリ先生及びオフィス加納の名を高くしていたのは、やはり光の写真です。この価値が高いのは良く知っていますが、失ってみるとその大きさが改めて思い知らされます。光の写真はそれだけで大きなプレミアなのです。ボクもシオリ先生に手ほどきをお願いしたことがあるのですが、
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「サトルも知りたいだろうけど、まず教えるのが半端じゃないぐらい難しいのがあるわ。それとね、これはわたしが産み出したテクニックじゃないの。カズ君がわたしのために編み出したもので、他人には教えられないのよ」
シオリ先生以外に光の写真が撮れる者がいるのが信じられませんでしたが、シオリ先生は笑いながら見せてくれました。
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「カズ君はね、写真は素人だけど、光の写真については師匠なのよ。だってだよ、スマホでだって撮れるだけではなく、自撮棒でもセルタイマーでも撮れるのよ。どうやったら撮れるのかわたしでさえわからないもの」
三回忌が終わり、三年目に入った頃に弟子入り志願者がありました。弟子入り志願者もシオリ先生が健在な頃は殺到って感じでしたが、ボクが社長を継いだころから減り始め、シオリ先生が亡くなり、オフィス加納の経営が苦しくなっていくと随分少なくなっています。
経営的にも弟子を取る余裕もないのですが、シオリ先生の遺言もあるので若い女性の志願者だけは会ってます。スタッフからは、
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「サトル先生、嫁さん探しですね」
こう冷やかされますが、これまであえて弟子にしたいのはいませんでした。もっとも、シオリ先生の言葉自体が謎めいてますから、本当に来るのかなってところです。
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「サトル先生、こんどの弟子入り希望者は美人ですよ」
「私もビックリした。世の中、広いと思いましたもの。あのクラスになるとシオリ先生に匹敵しそうです。きっと先生のお眼鏡にかないますよ」
だから嫁さん探しじゃないのですが、だいたいシオリ先生と較べるのは大げさ過ぎると思ったものです。なにしろシオリ先生は、
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『撮られる女優やアイドルより、撮る加納志織の方が遥かに綺麗』
ここまで呼ばれた人で、さらにその評価は八十歳を超え、死ぬまで不動のものだったからです。それは弟子として晩年のシオリ先生に仕えたボクはよく知っています。とにかく会って見ることにしました。
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「麻吹つばさです。よろしくお願いします」
ひぇぇ、こりゃ美人だ。ボクだって男ですから美人を見れば素直に反応します。でも、写真は容姿で撮るものじゃなく腕で撮るものです。
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「写真を見せてくれるかな」
写真を見ながら内心唸らざるを得ませんでした、とりあえず第一印象は華があるです。決して華美じゃないのですが、見ただけで心が浮き立つような感じが湧いてきます。構図も完璧。それも才能に任せてのまぐれあたりの感じと思えない感触さえあります。
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「ローもあるかな」
これはシオリ先生の写真哲学を受けついでいるのですが、写真はローの時点で完成しているぐらいでなければならないです。これも驚くほかはありません。ここまでローの時点の完成度が高いからこそ、完成型はあのレベルになるのが思い知らされる気分です。
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「じゃあ、ちょっと撮ってくれるかな」
撮った写真を見ましたが、もう仰天するほかはありません。ほぼじゃなく、全部がそうなんです。ボクだってここまで撮れるとは言えません。いや、ここまで撮れる写真家がこの世にどれだけいるかレベルの話になります。
ボクは悩みました。技術は文句なしです。下手すりゃ、ボクより撮れるかもしれないぐらいです。弟子入り資格は余るほどありますが、弟子を雇える余裕がないのです。
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「星野先生、いかがでしょうか」
麻吹さんには少し待ってもらい、スタッフと協議です。
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「弟子を取りたい」
「サトル先生の判断に反対しませんが・・・」
麻吹さんに正直に伝えました。弟子にしたいが給料はお小遣い程度しか出せないと。
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「星野先生の弟子にさせて頂いて光栄です。お世話になります」
「じゃ、今から麻吹君と呼ぶよ」
このレベルなら後は実戦経験を積むだけだと判断し、仕事を任せてみたのですが、唸るほどの出来栄えです。かつてシオリ先生にしてもらったように、麻吹君の撮ったものをすべてチェックするのですが、指導するというより感想を言ってるだけみたいなものです。