シオリの冒険:麻吹つばさ(2)

 ただ経営の苦しさは相変わらずで、スタッフとも協議を重ねていますが、有効な打開策などあるはずもありません。とうに内部留保は食いつぶし、オフィスのビルも担保に入っています。資金繰りは自転車操業も良いところで、時間の問題で不渡り手形が出そうです。

 そんな時に大きな仕事が舞い込みました。倒産しかけのオフィス加納にしたら信じられないぐらいの美味しい仕事です。ただし条件は、

    『光の写真』

 この手の依頼は未だにあるのですが、すべて断らざるを得ないのが実情です。でも、今回はなんとかしたかった。この仕事を取らないと来月倒産してもおかしくありません。会議が持たれましたが、結論はやはり同じで、

    『サトル先生が光の写真を撮るか、光の写真以上に魅力的な写真を撮る』

 どっちも無理です。無理とわかっていても、倒産の危機ですから、あるはずもない解決策を考えあぐねることになります。誰もがどうしようもないとあきらめかけた時に麻吹君が、

    「わたしが撮ってもよろしいでしょうか。近いものはなんとかなるかと・・・」

 あの時の会議の雰囲気は異様だったと思います。麻吹君の言葉に誰もが飛びついてしまったのです。ワラをもすがるとはあんな状況と思います。麻吹君は、

    「わたしが撮りやすいようにさせて頂いて宜しいでしょうか」
 もちろん託したからにはOKで、ボクも撮影現場に同行しました。麻吹君は手際よく撮影を進めるのですが、強烈なデジャブに襲われてしまいました。あの身のこなし、撮影スタイル、撮影の時のちょっとした仕草、撮影指示の出し方・・・

 スタッフの動きも最初こそ戸惑いがありましたが、すぐにわかったようです。どう動けばイイということを。まさにあの撮影現場が、ここに再現されているのです。撮影終了後にスタッフが、

    「サトル先生、ツバサちゃんのあの動きは」
    「ボクもそうだとしか思えなかった。とにかく写真を見よう」

 オフィスに帰って見たのですが、

    「こ、これは・・・」

 そこには光の写真があります。それだけではありません。あの加納アングルが完璧に再現されています。麻吹君が心配そうに、

    「星野先生、どうですか」
    「か、完璧だ・・・」

 麻吹君の撮った写真は大反響を呼びました。二度と撮れないと思われていた光の写真が甦ったのです。もう事務所の電話は撮影依頼で鳴りっぱなしです。シオリ先生が亡くなってから沈滞ムードで落ち込んでいたオフィスに、かつての活気が戻って来たのです。そんなある日に麻吹君をバーに誘いました、

    「これは星野先生、お久しぶりです」

 シオリ先生が亡くなってから、バーに来る余裕もなかったのです。

    「麻吹君」
    「星野先生、イイ加減ツバサって呼んで頂いても宜しいのじゃないですか」
 麻吹君はスタッフからは『ツバサちゃん』って呼ばれているだけじゃなく、今や『ツバサ先生』とまで呼ばれています。短期間でボクをしのぐ売れっ子になっており、オフィス加納の大黒柱として扱われています。

 それにしても隣で飲んでいる麻吹君は美しい。息が止まるほどの美人はシオリ先生しかいないと思っていましたが、もう完全に匹敵するとして良いとしか思えません。それより気になるのは、その仕草の一つ一つです。

 麻吹君はあのブレークした仕事以来、ボクが意識しているせいもあるかもしれませんが、何気ない仕草のすべてがシオリ先生とソックリなのです。今ならグラスの傾け方の角度まで同じとしか思えません。オフィスでの歩き方、話し方、スタッフに対する態度もシオリ先生と二重映しになって仕方ありません。

    「麻吹君もシオリ先生のファンだったんだね」
    「ファンもファンも大ファンです」

 麻吹君は大ファンだったから、シオリ先生のマネをして光の写真も加納アングルも習得したと言ってますが、あのテクニックがマネだけで出来ないのはボクが一番よく知っています。

    「シオリ先生は亡くなる少し前に、ある弟子を取って欲しいと遺言されたんだ」
    「誰ですか?」
    「なぜか名前を話してくれなかったから誰かはわからないのだけど、今から思えば麻吹君としか思えない」
    「違うと思いますよ。そもそも会ったこともありませんし」

 もう理屈じゃないと思っています。あの時のシオリ先生の遺言は、御自身が生まれ代わって復活するの意味としか考えられなくなっています。今日はそれを確認するために、このバーに来ています。

    「麻吹君のことをツバサと呼ばなくて良かったと思ってる」
    「どうしてですか」

 もう聞いてもイイでしょう。

    「師匠を呼び捨てになんか出来ないからだよ」
    「イヤですわ。わたしは先生の弟子です」

 そう来るよな。こうなりゃ、正面突破だ。

    「これは理屈じゃない、理屈じゃないけど確信してる。麻吹君、君は間違いなくシオリ先生だ。光の写真も、加納アングルもシオリ先生以外には使えないんだ。それだけじゃない、君の動き、仕草、すべてがシオリ先生そのものだ。最後の弟子のボクが言うのだから間違いない」
    「でも加納先生は亡くなられています。先生もそれは良く御存じのはずです」

 そうなんだけど、ここで終れるものか、

    「シオリ先生、ボクがわからなければ写真家として失格です。あなたは誰がなんと言おうと加納志織です。シオリ先生はあの時にボクならわかると言ったではないですか!」

 麻吹君は何も答えず微笑んでいます。

    「ボクだけじゃありません。スタッフの誰もがそう思っています。シオリ先生は麻吹つばさとして甦ったのです。外見は麻吹つばさですが、中身は間違いなくシオリ先生です」

 麻吹君は少し間を置いてから、

    「先生、それはSFですよ」
    「SFでもなんでもかまいません。あなたはシオリ先生です」

 麻吹君は困ったような表情をされて、

    「先生、それを信じる方がオカシイですよ」
    「オカシイ? これを信じない方がオカシイですよ」

 麻吹君はグラスをグッと飲み干して、ボクの方に向き直りました。ボクの目をじっと見つめます。麻吹君の表情が明らかに変わっています。この表情は良く知っています。口調も聞き間違えるはずがありません。

    「熊野古道を覚えてる」

 この声を聞いた瞬間に、こみ上げて来るものをどうしようもなくなりました。ボクに出来るのは号泣を懸命に抑えることだけです。必死になって絞り出せたのは、

    「会いたかった。もう一度、話をしたかった。叶わぬ夢と思っていましたが、こんなことが起るなんて・・・」

 麻吹君、いやシオリ先生は悪戯っぽく微笑んで、

    「バレちゃったか。サトルが悪いのよ。相変わらず女を撮るのが下手なんだから」
    「すみません」
    「確かにサトルの切り開いた世界で女を魅力的に撮るのは簡単じゃないけど、前にも言ったでしょ、撮れるんだって。撮れたらオフィスを潰しそうにならずに済んだのよ」
    「ごめんなさい」
    「三年間もなに遊んでたのよ、サトルは相変わらず甘いね。サトルはプロだろ、オフィスの看板背負ってるんだ。苦手を避けてどうするんだ。プロは食えなきゃプロじゃないんだよ。食うために克服せんかい」

 ああ、シオリ先生だ。

    「仕方がないから助けてやったんだよ。もうちょっと麻吹つばさで気楽に撮りたかったんだけど、オフィスを潰すまで見てる訳にはいかなかったからね」

 こうやって叱責されるのが懐かしすぎる。ダメだ涙が止まらない、

    「泣くんじゃないよ。明日から鍛え直してあげるから、根性入れときなさい」
    「先生・・・」
    「たく甘えん坊で、泣き虫のところまで一緒とは情けない。どこまで世話焼かせるんだよ」

 その夜からシオリ先生は復活されました。対外的には麻吹つばさですが、オフィス内ではシオリ先生です。ボクは人物写真で徹底的にしごかれます。

    「だからどうしてわたしのマネをしようとするんだよ。そんなものじゃ、意味がないってあんだけ教えたのをもう忘れたのかい。こんなもの二束三文の価値もないよ、全部ボツ、やり直し」
    「表情が死んじゃってるよ。憂いを含むったって、別に葬式に行ってる訳じゃないんだ。こんな陰気な写真が商売物になるわけないでしょ。イチからやり直し」
    「なによ、このケバケバしい写真は。華やかさとケバケバしさはまったくの別物。サトルが目指すのは艶やかさよ。全然わかってない、やり直し」
    「サトル、あんたは自分の世界を切り開いたけど、サトルが住んでるのはその端っこじゃないか。どうして、そんな狭い世界に満足しちゃうのよ。あんたの世界はもっと広いのよ。自分の世界の中心に立ちさえすれば、女の写真なんて撮れて当然」

 スタッフが笑いをこらえているのが目に入ります。シオリ先生は、

    「お前たちもサトルを甘やかし過ぎよ。だからお給料も減っちゃってるじゃない。みんなでもっと尻叩かないと」
    「バットとかムチですか」
    「それじゃ足りないね。バーナーで炙るぐらいはいりそうよ。そうでもしないと、コイツはすぐに小さくまとまろうとしやがるんだ」

 今回しごかれ直されてわかった事があります。シオリ先生が偉大なのは、常に燃えるような向上心がある事で、自分の可能性を片時も忘れず追求し続けていることです。今だってそうで、衝撃のデビュー当時こそ、

    『第二の加納志織』

 こう呼ばれていましたが、今では、

    『光の魔術師、麻吹つばさ』

 当初こそ加納志織の劣化コピーの悪評もありましたが、これを実力で覆しています。麻吹つばさは加納志織を越えてしまっているのです。シオリ先生は、

    「この世界は追っかけてくる奴がウジャウジャいるんだよ。ちょっとでも油断してるとすぐに追いつかれて、置き去りにされてしまうんだ。そうならないためには、常に先に進み続けるだけ」
    「だからシオリ先生はずっとトップランナーだったのですね」
    「わたしはカメラマンじゃなくてフォトグラファーだよ。フォトグラファーは職人じゃなくて芸術家なんだ、芸術にゴールなんてあるわけないじゃないか。サトルみたいにちょっとコツをつかんだら有頂天になって満足してるようじゃ、すぐに周回遅れで野垂れ死ぬんだよ。もっと気合入れんかい」

 いつものように散々なんですが、ボクには秘めた恋があります。加納志織時代は高齢のためにかないませんでしたが、今度こそと思っています。そのためには、まず自分の世界を極めないといけません。そうしないと、

    「ボツ、ボツ、ぜ~んぶ、ボツ。話になんないよ。これでメシ食えるとでも思ってるの。味噌汁で顔洗って出直しな」
 これ以上の会話さえままならないですから。