浦島夜想曲:加納志織復活

 加納先生が仕事を再開されたのはビッグ・ニュースとして報道されました。記者会見も開かれたのですが、

    「突然の復帰の目的は」
    「写真を撮るため」
    「復帰の理由は」
    「写真を撮るため」
    「ブランクの影響は」
    「あれは充電期間。これからの仕事を見てもらいます」

 ここで若手の記者がやらかしました。

    「加納志織は八十歳のはずですが、あなたは本当に加納志織なのですか」

 そしたら加納先生は、

    「君、若いね。若いってイイことだよ。疑うなら、そのあたりのオジサン記者に聞いてごらん」

 その日から事務所の電話は鳴りっぱなし状態です。予定は見る見る埋まっていきます。これも、なかなか呼べなかったのですが、

    『シオリ先生』

 なんとか呼べるようになりました。シオリ先生はボクにも仕事をバンバン回して来ます。仕事が終わると必ず指導が入ります。ボクが撮った一枚一枚すべてです。

    「サトルの仕事は甘いよ。プロは一枚の写真に命かけてるんだ。まだアマチュア気分が残ってるから、この程度の仕上がりで満足しちゃうんだよ。わたしを唸らせる写真を撮るんだよ。弟子は師匠を踏み越えるのが仕事だよ」
    「先生を越えるなんて・・・」
    「バカ言ってんじゃないよ。越えなきゃ、一生わたしの下のランクで燻るだけだよ。二十四時間写真のことを考えるのよ。他はなにも考えなくてイイからね。そのために事務所復活させてるんだ」

 弟子なら必須の仕事であるはずの下働きはここではありません。雑用はすべてスタッフがやり、ボクは一人前として扱われ、写真に専念する体制があります。例外かと思ったのですが、

    「シオリ先生はいつもあんな感じよ。下働きが必要なレベルの弟子にはさせるし、そうじゃなければ写真に専念させる。サトルはかなり買われてるよ」

 シオリ先生の弟子に、誰もがあれだけなりたがったのが良くわかります。これだけ手取り足取り教えてくれるところなんてないと思います。そのうえ、今の弟子はボク一人。あの世界の加納志織が付き切り状態なのです。でも甘くなくて、

    「わたしのマネをするんじゃない。わたしの技術を盗むんだよ。盗んで自分の物にして、誰にもマネのできないものに育て上げるのよ。だからこの写真はダメ。小手先の小細工しすぎ。この仕事はやり直し」
    「何度いったらわかるの。サトルは加納志織のコピーじゃないよ。サトルの写真を撮らなきゃ価値はないのよ。サトルだけにしか撮れない世界を撮るのよ。その世界が切り開けないのならプロなんてやめちまいな。これは全部ボツ。一からやり直し」
    「こんなものじゃ商品にならないよ。小綺麗なだけじゃない。この程度だったら、高校の写真部のカメラ小僧だって撮れるわよ。プロはアマチュアが撮れない写真を撮れるからオマンマが食えるんだ。顔を洗って出直しな」

 シオリ先生は安易に型にハマるは毛嫌いされておられ、

    「だから前にも言ったでしょ。アングルは角度で決めるんじゃなく。結果としてベストになるのが正解。サトル、あんたは入り方を間違えてるよ。まず被写体を見るのよ。見れば自分の写真にしたいアングルが見えるし、決まるんだ」

 シオリ先生は光の写真でも有名ですが、独特の構図をもたらすアングルがあり、加納アングルとも呼ばれています。カメラ好きなら誰もがマネをするのですが、誰もシオリ先生には遠く及びません。ボクもチョット真似したらこのザマです。そんなシオリ先生の写真哲学ですが、

    「今どきの写真は後で小細工がたくさん出来るけど、ローの時点で完成しているぐらいのものを撮るのよ。連写も使うなとは言わないけど、機関銃をぶっ放して、その中で一発の当りを期待してるようじゃ伸びないよ。基本は一発で撃ち抜くこと。写真は動画じゃないんだから」

 シオリ先生が撮った写真は、この言葉通りのものです。作品に出すのは一枚ですが、ボツにしている写真でさえ、その完成度の高いこと、高いこと。そのハイ・レベルの中から、さらに最高の一枚を選び出すのですから、今の地位があるのがわかります。ボクの腕ではいつになったら追いつくのか想像も出来ないのですが、とにかく仕事を次々に任されるもので、つい、

    「先生、これじゃ、足を引っ張るばかりで申し訳ありません」
    「泣き言は聞かないよ。サトルに一番足りないのは真剣勝負の心構え。そのシャッターを押す指に命を懸けてる? 失敗すれば死ぬぐらいの覚悟を持ってる? それが普通に出来るがプロだよ。サトルにはそれが全然足りていない。いつになったら遊び気分が抜けるんだ。イイ加減にしやがれ」

 もうボロカスですが、でもこれに重ねて、

    「サトルもオフィス加納の看板背負ってるのよ。サトルわかってる。わたしが死んだら、あんたがこのスタジオを食わせなきゃいけなんだよ。根性ださんかい」

 言葉とは裏腹にどれほどの期待をかけられてるか怖いほどです。スタッフからも、

    「サトルは見込まれてるで。あれだけ熱心なシオリ先生は久しぶりや」
    「よほど期待してるんだと思うわ」
    「あのレベルでダメだしするのなんて滅多に見ないもの。頑張りなさいよ」
    「サトルならシオリ先生の跡を継いでオフィス加納の看板を背負えるかもよ」
 心温かい励ましをいつももらっています。これだけの先生とスタッフに囲まれて物にならなかったら男じゃありません。いつの日か、いや一日でも早くシオリ先生を唸らせる写真を撮ってみせます。