仕事場以外のアカネ先生は明るくて、楽しくて、お茶目で、優しくて。なにより驚かされるのは、あの若さ。
ボクより十歳上のはずですが、どこをどう見ても年下、それじゃ足りない、二十歳過ぎにしか見えません。化粧で誤魔化してるわけじゃなく、仕事の時はほぼスッピンです。それでいて、皺一つ、シミ一つありません。
これもオフィス加納の七不思議の一つですが、アカネ先生だけではなく、ツバサ先生も、マドカ先生も異常に若く見えます。マドカ先生で四十歳、ツバサ先生は四十三歳になられるはずで、お子様だっておられるのに、アカネ先生と並んでも若さは殆ど変わりません。
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「ああそれ、加納先生もそうだったらしいよ」
故加納志織先生は『世界の巨匠』とまで呼ばれ、このオフィスを作られた偉大な写真家ですが、八十歳を越えても二十代半ばにしか見えなかったとされます。いくらなんでもと思いますが、加納先生の最後の弟子であるサトル先生が、
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「間違いなくそうだった」
こう言うのですから、そうかもしれません。ボクがアカネ先生を師匠に選んだのは、その卓越した作品を見てです。女としてはどうかですが、年上趣味はなかったですし、十歳も上ですから意識はしていませんでした。初めて顔合わせしたのは面接の時ですが、アカネ先生は少し遅れて入って来られまして、
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「アカネ遅いぞ」
「すみません」
スタイルは、スリムなのにダイナマイトとしか言いようのない素晴らしいものです。この世にこれほど素敵な女性がいるとは信じられない思いです。さらにその仕草の一つ一つが可愛らしいこと。声だってウットリさせられます。
アカネ先生の指導は甘くありません。出来ない事は徹底的に教え込まれます。それも完璧に出来るまでです。ボクもプロの自負がありましたが、アカネ先生が求められているものは、そんな自信を粉々に打ち砕くほどのものでした。
他の弟子たちにも脅かされまくったアシスタント業務ですが、ボクも逃げ出したい気持ちがありましたが、あれを耐え抜けたのは師匠がアカネ先生であったからです。状況は悲惨そのものでしたが、必ずマン・ツー・マンの指導時間があります。
その時間がボクを踏みとどまらせてくれたと思っています。そうなんです。ボクはアカネ先生に恋しています。あれ以上の女性がこの世に存在するとは思えません。
アカネ先生に近づくためには、アシスタント如きで脱落する訳には行かないのです。ここで逃げ出すような男にアカネ先生を恋する資格なんて、そもそもあるはずないじゃありませんか。
とにかく弟子なので、仕事が始まればアカネ先生に金魚のフンのように付いて回ることになりますが、こんな楽しい時間は他にありません。そして見れば見るほど、話せば話すほどアカネ先生に惚れこみ、溺れこんでいる自分がいます。それぐらいアカネ先生は魅力的なのです。
一緒にいるのでわかるのですが、アカネ先生は独身、さらに恋人はいないようです。それどころか、
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「アカネ、男はまだか」
「まだですよ~だ」
さらに仕事熱心です。それこそ、ちぎっては投げ、ちぎっては投げで、猛烈な速度で仕事をこなしていかれます。では粗いかといえば、そうではなく、大げさに言えば仕事を重ねた分だけ、次々に新たな世界を広げていく感じです。
ただあれだけ忙しいと、恋愛に費やす時間はないのかもしれません。だってですよ、あれだけ素敵な女性が未だに結婚もされていないと信じられますか。もちろん結婚に興味がなかったかもしれませんが、ロクロク恋人の一人も出来た事さえなさそうなんです。
さらにですが、まだ未経験の可能性すらあるのです。とにかく仕事場以外はあけすけのオフィスだもので、ツバサ先生はモロに、
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「アカネ、イイ加減に経験しろ」
「一万年もやりまくりのツバサ先生に言われたないわ」
一万年の意味はわかりませんでしたが、可能性は十分あります。なんとかしたい。なんとかして、アカネ先生をボクの手で幸せにしてやりたいのです。でも、
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「アカネ、タケシぐらいで手を打ったらどうだ」
「あのね、タケシは弟子なんですよ。弟子にイチイチ手を出してたら体がもちません」
「う~む、体はもつが」
「だから百二十人も取っ換え、引っ替えするほどアカネは好き者じゃありません」
アカネ先生は白系のTシャツが好きみたいで、そこに下着がくっきり見えてしまうのです。さらに夏になると短パンも愛用されますから、綺麗すぎる素足が見えてしまい、目のやり場に困ります。
とにかく今は弟子ですし、その力量差は歴然です。これを詰めないとアカネ先生との距離を縮めることさえままなりません。当面の目標は個展です。オフィスではプロとして認める最終試験に個展があるのです。
これを開くには、個展を開くのに相応しい力量を身に付けなければなりません。これを一刻も早く見に付け、個展を開き、プロとして認められたその時に、ボクはアカネ先生に挑戦するつもりです。ですが現状は、
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「だから、ありきたりはダメだって。こんなものは誰でも思いつくし、誰でも撮ってるよ。やり直し」
「師匠の技術を盗むのは弟子の仕事みたいなものだけど、コピーは絶対にダメ。自分の血と肉にして使いこなすのよ。これじゃ、ただの猿真似。やり直し」
「だから、説明は要らないの。写真は一目でわからせるもの。あれこれ能書き聞いて納得するものじゃない。やり直し」
これもオフィスに入ってわかったのですが、一人前と認められる水準は、他の写真家の追随を許さない、自分の世界を切り開くことのようです。
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「それがツバサ先生のよく仰られるプロの壁ですか」
「そうだよ。サトル先生も大変な思いをして乗り越えたみたいだし、マドカさんの時は大騒動だったんだから」
「アカネ先生は?」
「アカネは通り過ぎた」
さすがです。
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「ツバサ先生は?」
「壁の先からスタートしてる」
どういうこと。
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「ここのオフィスには不思議なことが、いっぱいあると思うけど、あんまり深入りしない方がイイよ。アカネも手を出して大変な目に遭ったんだから」