浦島夜想曲:香坂常務

 香坂常務もエレギオンの四女神の一人なのですが、他の三女神と少し色合いが違います。四女神はそれぞれに個性的なのですが、社長、副社長さらには専務もタイプとして押しが強いところがあります。

 これに対して香坂専務は常識家的なところがあり、引くとは妙な表現ですが、四女神の中ではブレーキ役というかお目付け役の感じがしています。役職的にも取締会の監査役でもあるのですが、とくに社長と副社長のお目付け役の色合いが濃厚です。

 とにかく副社長は悪戯好きで、これも勤めてからわかったのですが、仕事では氷の女帝の社長も、副社長とコンビを組むと信じられない暴走をされるようです。これも聞いた事しかないのですが、

    『女神の喧嘩』

 社長と副社長はどう見たって大の親友なのですが、時に大喧嘩をされるようです。それもいったん始まると、物凄い被害が出るようで、さすがに誇張しすぎだと思っていますが、

    『三十階が何度も廃墟と化したそうだ。だから出入り禁止になってるだろ』

 いくらなんでも廃虚は大げさだと思っていますが、それぐらい派手な喧嘩をされるとして良さそうです。その時に叱り飛ばすのが香坂常務だとか。これも、社員が笑いながら、

    『社長も副社長も香坂常務には頭が上がらないのさ』
 では香坂常務が社長や副社長の上に君臨しているかといえばそうではありません。仕事中でも、あのクルーズの時でも香坂常務は社長や副社長を絶対的に立てられます。立てるどころか忠実な部下の範囲を一歩たりとも外されません。


 とにかく謙虚な方で、自分の能力が社長や副社長に遠く及ばないと口癖のように仰られ、現在のナンバー・フォーの地位でさえ、

    『あれはクレイエール時代からオマケでくっ付いて上がっただけのもの』
 仕事ぶりも静かで穏やかなものですから、ついつい軽く見てしまいそうになりますが、間違ってもそんな方ではありません。担当が総務関係なもので、派手な実績はありませんが、香坂常務が締めているからエレギオンHDは安泰の評価が間違いなくあります。

 社長や副社長の信頼も絶対で、特別の大きな仕事になると必ず三人組で取り組まれると聞いたことがあります。この特別の大きな仕事というのも、誰に聞いても具体的には何かがハッキリしませんし、香坂常務に聞いても、

    『たいした仕事じゃないわ、社長と副社長のおふざけのお付き合い。お二人をコントロールするのはコツがいるし、シノブ専務では火に油になりかねないからミサキが付いてくだけ』

 とにかく穏やかな方で、仕事中でも怒った姿を見たことがないとまで言われています。見ようによってはクールですが親切な人でもあります。マリーもエレギオンHDに入ってから何度も壁にぶち当たりましたが、そのたびに励まして、勇気づけてくれたのが香坂常務です。小山社長や立花副社長は、

    『ミサキちゃんは優しすぎて、甘すぎるのが欠点よね』

 そんな香坂常務なのですが、温泉旅行から帰られてから表情が冴えない気がしてなりません。そんな時に、

    「マリー、ちょっと手伝ってくれる」
    「わかりました。どんな仕事ですか」
    「ちょっとややこしい仕事で、マリーにはどうかと思うのだけど、社長はマリーの助けが必要だって」
    「はぁ?」

 連れて行かれたのは白髪の老バーテンダーがいるバーです。

    「常務、久しぶりです」
    「マスターも元気そうね」

 仕事は香坂常務の管轄する総務に関連するもののようで、これも直接ではなく、子HDのさらに下のクレイエールの話みたいです。

    「ミサキとしたことが大変な見落としで、旅行以来責任を感じちゃってね」

 これが香坂常務の顔色が冴えない原因だとわかりましたが、

    「そこは常務の管轄外じゃ・・・」
    「間違いなく管轄内よ。クレイエールに関わって、加納さんにも関係してるのに大失態だわ」

 クレイエールはエレギオンHDの母体になった会社。香坂常務もクレイエールに入社され、規模が拡大してエレギオンHD勤務となっているものの、ココロはクレイエール社員というか、故郷みたいな感覚がありそうです。

    「この感覚はコトリ副社長も、シノブ専務も強いのよ。社長だってあるぐらいだもの」

 加納さんとの関係も深いみたいで、

    「これはそのうち社長も必要があれば話すとしてたけど、とりあえずはエレギオンHDのVIPぐらいに思ってたらイイわ」
    「VIPですか」
    「それもスーパーVIPよ」

 このクレイエールが協賛してる事業に加納賞というのがあるそうです。新人カメラマンのための登竜門みたいなコンクールで、名前の通り加納さんが十年前に創設したもののようです。

    「加納賞が穢されてるのよ」

 少しだけ事情を話してくれましたが、加納さんの夫は六年前に癌が見つかり、この時に加納さんは看病に専念するために現役引退をしています。さらに夫が二年前に再発してからは加納賞の審査委員長も欠席し、加納賞には直接タッチしてない状態だそうです。

    「加納さんの旦那の山本先生も色々お世話になってて、亡くなられたけど、クレイエールでもエレギオンHDでも大事な人なのよ」

 加納賞は新人コンクールとしては日本でも最高の権威を誇っていて、ここで入選するだけで写真家の道が大きく開かれるぐらいのようです。加納さんがタッチしている間は文字通りのものだったみたいだけど、

    「加納さんがいなくなって、審査がおかしくなっちゃったみたいなの」

 単純な構図で言えば加納賞で入選すれば一流になれる点を悪用して、入選したければカネ寄越せ状態にされてるぐらいで良さそう。

    「それだけじゃなくて、加納賞を潰そうとしてるのよ」

 これも魑魅魍魎みたいな世界の話ですが、出る杭は叩き潰したい勢力があるそうです。優秀な新人の登場は業界の活性化に必要ですが、業界のパイは限られているわけで、一人台頭すれば一人弾きだされるともいえます。

    「でも、それはあらゆる業界であてはまる事では」
    「そうなのよ。エレギオン・グループだって台頭した分だけ泣いているところはあるわけで、エレギオンHDだって逆にそういう立場に追い込まれることはあるかもしれないわ。だから切磋琢磨するのだけど、そうしたくない勢力がいて、これがかなり強そうなのよ」

 守旧派勢力に取って加納賞は、わざわざ有望新人を送り出すシステムですから目障りでしかたがないってところで理解したら良さそうです。

    「でも加納さんは、良くそんな賞をつくりましたね」
    「うん、加納さんクラスになると、どんな有望新人が出て来ても怖くないのよ。むしろ出てくれることで自分の刺激になるぐらいのお考えなの。そうやってカメラマン業界がレベルアップして切磋琢磨する状態が好ましいと考えておられると思ったらイイわ」

 おそらく結崎専務の調査も入っているとして良いと思われますが、加納さんが加納賞から手を引いたのを見て食い込んできたようです。手法はまず加納賞の選定を恣意的にすることで賞の権威を落とし、ついでに私腹も肥やそうぐらいでしょうか。

    「ありがちな話ですが」
    「そうよ、ありがちな話だけど、クレイエールも絡んでるからエレギオンHDの名誉にも関わるのよ。いや、ミサキたちにとってはクレイエールの名誉の方が大きいかな。それにさらに裏がありそうな気配すらあるの」

 小山社長は名うての企業ゴロ嫌い。本来って言うのは語弊があるけど、大きな企業はそれなりに裏の付き合いがあるものなのです。ルナも好きじゃなかったけど、シャットアウトまでは出来てませんでした。

    『マリー、こういう点でもメグミに遠く及ばないと思ってるわ』

 当然のようにそういう企業ゴロからは恨まれていますし、なんとかエレギオン・グループに食い込もうとする動きも常にあります。

    「香坂常務、襲われたりはしなかったのですか」
    「社長や副社長は襲われた事はあるけど、あのお二人は心配する事はないわ。むしろ襲った連中に同情するぐらい」

 優秀なボディ・ガードでも付いてるのかな。この点について香坂常務は笑って話してくれませんでした。社長や副社長はともかく、今回の加納賞事件にも企業ゴロが絡んで来てる気配があるとしています。

    「どこまでが狙いかはっきりしない点はあるけど、協賛のクレイエールを不祥事に巻き込むぐらいはやりそうよ」
    「手打ちを狙ってるとか」
    「それもあるかもしれない」

 たしかにややこしそうな仕事だけど、

    「こういうのは法務部門とかコンプライアンス部門の管轄では」

 香坂常務は少し考えてから、

    「マリーの言う通りなのだけど、社長は女神の仕事の可能性もあると考えておられるの」
    「女神の仕事って?」
    「社長と副社長の趣味みたいなもの」
    「遊びみたいなものですか?」

 香坂常務がクスッと笑われて、

    「遊びか・・・たしかに本業の時より張り切ってされる部分はあるわ。でもあれは遊びとは言えない」
    「どういうことですか」
    「本業の時の何倍も真剣にやらないといけないの」
    「どれぐらいですか」
    「そうねぇ、エレギオンHDの命運を賭けるぐらいのものよ。最悪、エレギオンの四女神はこの世にいなくなるぐらいかな。今はこれ以上は話せないけど」

 どうにも最後のところがハッキリしないもどかしさがありますが、社長命令に等しいと考えて良さそうです。ひょっとして、

    「留守番の時の名誉挽回の機会をもらってると考えて良いのでしょうか」
    「留守番って。ああ、温泉旅行の時の。あれとは桁が違うかな。ミサキもどうしてマリーを加えるか、わからないところがあるのだけど、あえて加えるからには覚悟しといた方がイイよ」
 どう覚悟と思ったのですが、香坂専務は笑って答えてくれませんでした。それでもマリーを信頼して仕事に加えてもらってるのだけはわかります。でも何をするのだろう。