女神の休日:シベリア鉄道

 視察は順調に進み、モスクワからシベリア鉄道に乗り込みます。頑張って二人用個室を並びで二つ確保して、ウラジオストックまで七日間の旅になります。時差ボケの心配がなくなったコトリ副社長はルンルン気分ですが、ミサキはさすがにウンザリ気分。ユッキー社長はというと、

    「コトリ、おもしろそうじゃない」
    「だろ、だろ、やっぱり旅は地面か海の上を通らなくっちゃ」
    「飛行機も悪くないけど」
    「うんにゃ、次からのヨーロッパ視察はシベリア鉄道にする」

 これ、どれだけ忙しいと思っておられるのですか。七日間の鉄道旅行はウンザリですが、そのかわり時間が売るほどあるので、ようやく今回の事件のことをゆっくりお二人に聞かせてもらえます。

    「どこから話そうかな。かなり複雑だからね」
    「そやねん、結果はああやったけど、わからへん部分も多いんよ」

 まずはウイーンでのユダとの会談からになりました。

    「ユダはかなり話してくれたよ」
    「あれでですか」

 あの時のユダの話は共益同盟からの災厄呪いを受けて、それを行ったのはニンフルサグじゃないかだったはず。

    「ユダの話のポイントは幾つかあるんだけど、女神が災厄呪いを人にかけるには、一度は見る必要があるの」
    「わかるかなミサキちゃん、ヴァチカンなり、ローマにニンフルサグは来てたのよ。それでユダを見て災厄の呪いをかけちゃってるのよね」

 どういうこと、

    「ニンフルサグなら神が見えて当然ってことよ。ユダを見たにも関わらず、ニンフルサグはユダに災厄の呪いをかけてるのが不自然ってこと」

 そっか、そうだった。災厄の呪いを神にかける時には、余程の力の差がないと無理のはず。魔王戦の時に言ってた。

    「つまりニンフルサグはユダの神が見えてなかった」
    「そういうこと」

 そう考えるんだ。

    「ユダはニンフルサグがエレシュキガルに取り込まれたのも知っていたはずよ」
    「どういうことですか」
    「ユダはイナンナがアンだけでなく、エンキもエンリルも倒してしまったのを知ってるじゃない。でもニンフルサグについては話さなかったでしょ」
    「そうですが」
    「エレキシュキガルに取り込まれたはずのニンフルサグが現れたから、ユダは慎重になっていたで良いと思うわ」

 だから共益同盟のナルメルをカードにするのをユダはためらっていたとか。

    「ユダの情報でもナルメルとエレシュキガルの関係が読み切れなかったはず」
    「コトリもそれでエエと思う。ナルメルがエレシュキガルの手先なら、乗り込んで行くのはリスクが高すぎるやろ。エレシュキガルはニンフルサグだけではなくエンキドゥでさえ取り込んでるぐらいやからな」

 あの会話でそこまで読み取らないといけないんだ。

    「もっともね、エレシュキガルが本当に今でも存在しているかは、ユダと話した時には疑問だったのよ。これが確信に変わったのがザルツブルグ」

 共益同盟の使者を始末した時ね。

    「あれはコトリもビックリした。伝承通りだったからね」
    「そうなのよ。思い出すのに苦労した。エレシュキュガル伝承はホントに断片的だったから。コトリと大汗かいて思い出した」
 伝承によるとエレシュキガルはいわゆる悪神を取り込みますが、これは神を倒してのものではないそうです。悪しき行いをした神の宿主が亡くなり、次の宿主に移る間に取り込んでしまうとなっていたようです。

 取り込まれた神はエレシュキガルが形成する冥界に送り込まれますが、そこで神は意識の影にされてしまうそうです。これがいわゆるエレシュキガルの軛です。

    「影にされると、冥界の中では実体があるようになるけど、力が落ちるみたい。ニンフルサグやエンキドゥの感じからいうと十分の一ぐらいかな」
    「でも強そうに見えたって」
    「それが影なのよ。影としての見かけの強さは残っても実体としての強さはガタ落ちってところなの」
    「じゃあ、冥界から出てきた神はどうなんですか」
    「エンキドゥの場合は冥界の実体のままだったで良さそうなの。だから一日ぐらいしか地上にはいられなかったみたいなの」

 エレシュキガルの軛ってそこまで強烈なんだ。

    「ではあの泡のように溶けるのは」
    「影には命がないぐらいかな」
ここもよくわからないところだそうですが、エレシュキガルの軛は意識の魂を吸い取ってしまってるのじゃないとしていました。意識の魂と言うのも妙な表現すが、ある種のゾンビ状態が一番近いのではないかとしていました。

    「ナルメルはどうやって冥界の神を外に連れ出したのですか」

 お二人は顔を見合わせて、

    「ミサキちゃんさぁ、冥界に入った時にどう感じた」
    「どうって、陰気なイヤなところって感じでした」
    「進んで行ったら?」
    「第一の門で空気が変わった気がしました」

 そしたら、

    「やっぱりそうなのね」
    「それぐらいしか思いつかへんもんな」

 冥界の神にとっては、あの胸糞悪い空気こそが快適なんだろうとしてました。

    「それって」
    「あくまでも仮説だよ。入口から大門までの間は冥界の神にとっては猛毒が充満している地帯で、とても通り抜けられなかったんじゃなかったのかもしれない」
    「猛毒と言うか一種の結界みたいなもんかもしれへん」

 冥界の境はあの第一の門で、第一の門があったあの広場に通じる洞窟には冥界の神は入れなかったとか。そうなると、

    「ナルメルとは通れたのですか」
    「うん、通れただけやなく、入口を見つけたんやと思う」
    「ナルメルはどうやって冥界の神を地上に連れ出したのですか」
    「たぶん取り込んだんやろ」

 あっ、そっか。あの第一の門への道は地上の神なら通れるんだ。ミサキも通れたもの。そうだとしたら、

    「ナルメルも地上の神」
    「それも取り込めるタイプの奴」
    「だったらアレキサンドラやザルツブルグの使者に冥界の神を宿らせたのもナルメル」
    「そう考えるのが順当やと思う」

 そうだったのか。ん、ん、ん、

    「ひょっとしてエンキドゥのケースは死者復活の術じゃなかったとか」
    「いやあれこそ真の死者復活の術だったかもしれない。エンキドゥの宿主は亡くなり、次の宿主に移るまでの間にエレキシュガルに捕らわれ軛を架せられたと考えて良さそうなの。これを強引に地上に復活させたのが、エンキドゥへの死者復活術」
    「エレシュキガルの軛が架せられたエンキドゥは、自力では新たな宿主に移れなかったとも見れるのでは」
    「どうしたのミサキちゃん。冥界に下ってから冴えまくってるよ」

 冥界の神はエレシュキガルの軛のため第一の門から先には進めず、さらにエンキドゥに用いられた死者復活術でも次の宿主に移れず冥界に引き戻されちゃうんだ。ナルメルは冥界の神を取り込むことによって第一の門の先を突破し、さらに冥界の神を宿主に自在に宿らせることが出来たから、冥界の神は絶対服従したんだ。

    「ミサキもそうですが、ナルメルにもどうしてエレシュキガルの軛がかからなかったのですか」
    「これもたぶんだけど、宿主の中の神へは影響せへんのやと考えてる。イナンナだって帰ってきてるし、エレシュキガルの軛なんかかかってないし」

 言われてみれば。そうだイナンナといえば不思議なことが、

    「ミサキでも勝てた冥界の神に、イナンナはどうしてあれほど無力だったのでしょうか」

 ユッキー社長とコトリ副社長は、

    「一番難しいとこやってんよ。共益同盟の本部を襲った時に、ナルメルが地上に居たら話はシンプルやってんけど、冥界に逃げ込まれたらどうしようがあったんよ」
    「そうなのよイナンナですら、あれだけの目に遭った冥界に逃げ込まれちゃったら手が出せなくなるじゃない」

 それはそうなんですが、だからミサキがってのも変です。

    「とにかく行って帰って来たのがイナンナ一人やから困り果ててんけど、シノブちゃんからナルメル情報があってんよ」
    「どんな情報ですか」
    「ナルメルもかつてはエエ奴やったって」
    「はぁ?」

 シノブ専務の調査も大変だったみたいですが、ナルメルも生き残りの神で、さらにユダ・タイプ。つまりは蓄財型。

    「名誉欲もあったみたいで、本気で騎士になりたかったみたいや。まあ上流階級に入り込んで商売するのに必要やっただけかもしれんけど」
    「良くわかりましたね」
    「あははは、実はユダ情報や」

 えっ。えっ、えっ、ユダの情報だって、

    「でも冥界で見たナルメルはそれほど強いとは」
    「ミサキちゃんが言うと、おかしみがあるな」
    「ふんだ、どうせミサキは無防備平和都市宣言の神ですよ~だ」

 ユッキー社長が苦笑いしながら、

    「ミサキちゃん、そんなことで怒らない、怒らない。ナルメルの話を聞いた時に思いつたのよ。地上の神は冥界に下れるけど、冥界では力が反転するんじゃないかって」
    「反転ですか?」
    「そう」

 神の能力にも攻撃するものと、恵みのものがあります。どちらも兼ね備えている神もいますし、ミサキのように恵みオンリーの神もいます。覇権欲に溢れた武神なら攻撃特化でしょうか。

    「善と悪ぐらいに単純化してもイイかもしれないけど、どうも反転するだけでなく相殺するらしいのよ。だからイナンナは冥界で無力になったぐらい」
    「ではナルメルも相殺されて残った力が、ミサキが冥界で見たもの」
    「そうなる。だから無防備平和都市宣言のミサキちゃんが、冥界では重武装侵略都市宣言に変わるぐらいかな」

 だから冥界ではミサキはあれだけ強かったんだ。でも、これはあくまでも仮説のはず。

    「もしその仮説が外れていたら」
    「その時はね・・・」
    「ユッキー、もうその話はエエやん。上手いこといったんやし」

 この話もコトリ副社長が席を外している時に聞かせてもらいました。ナルメルが冥界に逃げ込んだ時に、ミサキを使うかどうかは、二人でかなりもめたそうです。最終的にユッキー社長が意見を無理やり押し通し、ミサキは冥界を下ったのですが、コトリ副社長は、

    『ミサキちゃんが戻らへんかったら、五千年の友情は終りや。死んでもらう』

 ここまで言ってただけではなく、

    『ユッキーが死ぬときはコトリも死ぬ。抱き付きでフル・パワーの一撃を喰らわす』

 密着状態からの一撃の効果は凄まじく、舞子の魔王戦の時でも、ふらふらの無理やり出した二撃目で魔王に瀕死の重傷を負わし、巻き添えを食ったコトリ副社長も生死の境を彷徨ったぐらいです。これがフル・パワーとなればユッキー社長の神は死に、放ったコトリ副社長の神も死にます。

    「ミサキちゃん、たいした話じゃないよ。それぐらいの覚悟は当たり前のことだし。こうやって上手く終わればオシマイよ」
    「ホントにミサキが帰らなければ、やる気だったのですか」
    「やってたよ。わたしも逃げる気なんかサラサラ無かったから。それだけのこと」

 そこまでお互い覚悟を決めてミサキを冥界に送り込んでたんだ。

    「ミサキちゃんが冥界に下った後だけど、コトリと手分けして同盟本部の神の残党狩りやったんだけど、アッサリ済んじゃった。後は冥界のドアの前でスタンバイしてたんだ」
    「食糧とかは」
    「ルナに運んでもらってた」

 酒盛りしながら待ってた訳じゃないんだ。

    「ゴメンやってた。ルナが気を利かせたのかビールまであったもんだから、つい。もちろん最初の数日だけだよ」
    「もう、まあイイですけど。どれぐらい待つつもりだったのですか」
    「とりあえず一ヶ月ぐらいは待つつもりだったから、早く済んで良かったわ。でもね、御手洗が遠くて往生したの。地下には無かったのよね」

 だよな、あんな地下に水洗便所作るの無理だろうし。

    「ところでミサキちゃん、最後に脱出する時にどうして一撃使ったの」
    「ドアがなかったし、押してもビクともしなかったので」
    「えっ、内側にはなかったの。ゴメン、あると思ってた」

 あの、その、時々開けて見てくれても良かったと思うのですが、

    「見たこともあるのよ。でもあれって外開きじゃない。階段ホールに開いてる時はちゃんと内側もドアだったの」

 別に閉めなくとも、

    「あれねぇ、開けっ放しに出来ないの。開けるには秘術が要るんだけど、すぐに閉まっちゃうのよ」

 それでもミサキが入口に到着してから一撃を放つまで相当な時間があったはず。

    「それもゴメン。開ける秘術って、けっこうパワー使うのよ。それとね、そういうドアって内側からは簡単に開くことが多いし、ミサキちゃんが到着したらノックぐらいするからわかるだろうって」

 いつもながらの土壇場勝負で危なかったのだけはわかります。

    「そのドアを開く秘術ってもしかして・・・」
    「そうよ、パリ行きの飛行機の中でコトリと検討していた秘術。あの時には死者復活の秘術と考えたてけど、よく考えればそれはイナンナだって知らないはず。知っているのは冥界に入る方法じゃないかって」
    「じゃあ、ナルメルも」
    「どこかで見つけたんだろうねぇ」

 そこにコトリ副社長が御帰還。

    「コトリ、出来上がってるね」
    「いやぁ、ウォッカのストレートは効くは」
    「何杯飲んだの」
    「わからへんぐらい」

 コトリ副社長は旅の暇つぶしに三等客室の方によく遊びに行かれます。ロシアは国家としてはかなり陰険な印象の国ですが、ロシア人自体はお人よしが多いみたいで、大いに盛り上がり、ウオッカをとにかく御馳走になるようです。

    「ところでエレシュキガルはどうなったのですか、ナムメルもです」
    「死んだんじゃないのかなぁ」
    「えっ」

 ミサキが一撃で地上界へのドアを強引にこじ開け助けられた後に、冥界が崩れていくのが見えたそうです。

    「ところでミサキちゃん、どれぐらいの神を倒したの」
    「正確には数えてませんが」
    「だいたいよ」
    「第一の門だけでも百人ぐらいいましたから・・・五百人ぐらいかも」

 社長と副社長が笑い出し、

    「そりゃ凄いは」
    「まるでターミネーターみたいね」

 しかたないでしょう。あれだけレイプ魔に囲まれれば、

    「それでさ、ナルメルを倒した宮殿から、冥界を脱出するまでに神に出会った?」
    「いえ、誰も見ませんでした」

 さらに門が廃虚になっていたことを伝えると、

    「冥界の神は全滅しちゃったでイイと思うよ」
    「あれだけで全滅ですか?」
    「あれだけって言うけど、神人口からすれば五百人って莫大よ。わたしもコトリも、会ったことのある神は、ミニチュア神まで全部足しても百人届かないもの」

 神の総数は不明だけど、エラムやシュメールにたどり着けた神は五千人にも満たない推測もあるものね。その一割って言えば物凄いもんね。

    「冥界はエレシュキガルと取り込まれた神のバランスで保たれている部分もあったと思うから、短期間の内にそれだけの数が消滅すれば、なにも起らない方が不思議だわ。冥界の建物が急速に廃虚化したのがそのせいだと思うわ」

 そうかもしれない、

    「そこで最後にミサキちゃんは一撃を放ったじゃない。あれって、エレシュキガルの内部からの一撃になるじゃない。そりゃ、強烈だと思うからエレシュキガルが死んでも不思議ないと思うよ」

 社長と副社長が見えたのは、冥界の崩壊だけでなく、冥界のドアがあった地下まで続く、ラセン階段があった竪穴の崩壊まであったそうです。

    「いやぁ、あれはビックリしたもんな」
    「ホント、生き埋めになるかと思ったもの」

 なんとか地上の階段室にたどりつけたのですが、

    「竪穴まで崩壊したもんな。ナルメルは可哀想やけど生き埋めやな」
    「掘りだすのも不可能だと思うわ」

 危機一髪だったのがよくわかります。

    「強大なエレシュキガルがそれで死んだのでしょうか」
    「たぶんだけど、エレシュキガルは自殺した気がしてる」
    「どういうことですか」

 竪穴の崩壊が不自然だったとしています。崩れかけてはいたそうですが、ちょうどミサキたちが階段室に到着するのを待っていたかのように崩壊したそうです。

    「エレシュキガルは自分の仕事が終わったと思ったのかもしれん」
    「でもエレシュキガルは意識を封じていたのでは」
    「そうやねんけど、ミサキちゃんの一撃で目が覚めたんちゃうやろか」
 もうわからない世界です。神の世界の謎は深すぎてすべてはわかりませんが、エレシュキガルが亡くなったのなら、二度とあの世界に行かずに済みそうなことだけは安心しています。あんなところは、もうコリゴリです。