ミサキがクレイエールに入社してから六年目を迎えました。とにかく毎年のように大事件が起こり、必ず巻き込まれるので大変ですが、株主総会対策の時もコトリ部長と例の『鉄人コンビ』を組んで全国を飛び回りました。この功績は相当高く評価されてミサキは課長代理に昇進しました。さて、今日はマリちゃんと晩御飯、部署が違いますから本当に久しぶりです。あれこれ近況報告とか社内の噂話に花を咲かせました。
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「もうミサキちゃんって気軽に呼べないね」
「どうしてよ」
「そりゃ、課長代理様だもの」
「やめてよ、コトリ部長の金魚のフンやってただけなんだから」
「これはマジで言っとくわ。誰もミサキちゃんを金魚のフンなんて思ってないよ。あれだけの鉄人ぶりを見せつけられたら課長代理でも遅すぎるぐらいよ。とにかくクレイエールの三大美人は、仕事をやらせても三羽烏だからね」
「そんなぁ、ミサキは三大美人にも三羽烏にも入らないよ」
「マリも部下になったら、可愛がってね。女性社員にとってスーツ姿は憧れなんだから」
マリちゃんがスーツ姿に憧れると言ったのは、イコールで肩書が付くことを意味しています。これも大雑把に言えば、女性社員で制服を着ているとヒラ、スーツ姿になると肩書付きと見た目でわかる事になります。ですから主任になった途端にスーツ姿に変えられる方も少なくありません。
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「でさぁ、今年もいたのよ」
「やっぱり」
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『私はクレイエールの制服に憧れて入社したの。社内規定でも私服も可とはなってるけど、制服禁止ってどこにも書いていないでしょ』
その代わり若い女性が着ると本当に映えます。ですからシノブ部長だけではなく他の女性社員もこの制服に憧れて入社した人も少なくありません。えへへへ、ミサキもその一人です。課長補佐になってスーツに変えましたが、係長の時まで制服でした。もっとも、あの頃は魔王の心理攻撃をコトリ部長と鉄人コンビで対処してた時期で、スーツを買いに行くヒマもなかったのも理由ですけど。
シノブ部長も御結婚されてお子様もおられますが、ミサキが入社しときから一向に歳を召される気配さえありませんから、今でもとってもお似合いです。このシノブ部長の制服が似合いすぎているのが社内ではある種の問題となっています。とにかくシノブ部長は綺麗で愛くるしくて、歳だって二十代の前半にしか見えません。そのうえ、シノブ部長は素直で真面目で優しくて親切で、ヒラ社員にも物腰が低すぎるぐらい丁寧なんです。それが悪いとは誰も言えませんが最大の問題は、
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『ヒラ社員とよく間違えられる』
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『なかなか言い出せなくて・・・』
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「誰がやらかしたの」
「東京支社から海外事業部に来た山田課長」
「あぁ、いかにもやりそうなタイプね」
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「マリちゃん、山田課長は結崎本部長にどれぐらいやらかしたの」
「けっこう盛大だったみたい」
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「山田課長は例の調子でまずやらかしたそうなの」
「やっぱり」
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『君、君』
『はい、私のことでしょうか』
『君以外におらんじゃないか。ジュエリー事業部まで案内してくれ』
『ジュエリー事業部なら・・・』
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『行き方を聞いてるんじゃない。連れて行ってくれと言っとるんだ。日本語ぐらいちゃんと理解できないのかね』
『もうしわけありません。急ぎの用事があるもので・・・』
『ボクは課長だよ。君如きの用事は後回しにするのが常識だし礼儀だ。遅れたって課長のボクを案内したと言えばそれで済むし、むしろ褒められるぐらいだ。だから女って奴は・・・これぐらい覚えておきなさい。君もこれで一つ勉強になっただろう』
『ありがとうございます。では、こちらへ』
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『海外事業部の山田課長をご案内させて頂きました』
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『もうイイよ、次から気をつけたまえ』
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『これは、これは、この時間にわざわざお越し頂いたということは、なにか当事業部に急用がございますか』
『いえ、山田課長がまだ社内に不案内の様なので・・・』
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『君はもうイイと言っておるだろう。下がりなさい』
『はい、会議がありますので、これで失礼させて頂きます』
『はははは、会議だって、君がやっているのは、会議でなく単なる打ち合わせだ。言葉遣いも知らない女だな』
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「マリちゃん、山田課長って、そこまでやらかしたの」
「そうなのよ、ここまでは久しぶりじゃない。でもね、運が悪いことに、ただの勘違いの笑い話で済まなくなったのよ」
「まだあるの?」
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『なんだね、あの女は。それより、用事があるのは課長のボクだ。失礼じゃないか』
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『ああ、遅れられてしまいました。社長は会議への遅刻は非常に嫌がられます。山田課長もそれなりの御覚悟を』
『それとあの女がどんな関係があると言うのだ』
『山田課長がブライダル事業本部長にして執行役員の結崎情報調査部長を、道案内に使って重役会議に遅れさせたからです』
『えっ、あの方が結崎本部長・・・』
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「うわぁ、重役会議の出席を遅らせてしまったんだ。社長がそういうのに、すっごくウルサイって聞いたことある」
「それもね、これまた運の悪いことに議題の一本目がブライダル事業のことだったみたいなの」
「そりゃ、後が・・・」
「大変だったみたいよ」
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「どうして山田課長じゃなくて海外事業本部長が叱責されたの」
「不注意と無礼にも程があるって。なんていうか部下の教育と管理がなってないってところかな。その挙句に海外事業部は、名札を何語にすれば読めるのかってまで言われたそうよ」
「あのプライドのやたらと高い海外事業本部長が、そこまで叱責されたとなると」
「そうなのよ、完璧に逆鱗に触れたってところ」
海外事業部に戻ると山田課長をすぐに呼びつけています。海外事業本部長はとにかくプライドが高い上にクールで、陰で冷血人間とまで呼ばれていますが、それは、それは、冷え冷えするような叱責だったようです。山田課長もなんとか弁解をしようとしたそうですが、これを頭から押し潰すように、
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『山田君、君は重役を呼びつけて道案内に顎で使うのだね。さらにいえば、その事に対する感謝の言葉の一つも使っていない』
『重役会議に向かう結崎本部長に「君如きの用事は後回しにしろ」と言ったのだな』
『重役会議に遅れるより、君の道案内をした方が褒められると言ったのだね』
『さらに君は重役会議のことを、単なる打ち合わせと言って笑い飛ばしたそうだね』
『結崎本部長を「言葉遣いを知らない女」と言ったんだね』
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『結崎本部長とは露知らず、数々の失礼を・・・』
『君は我が社の女性社員を「あの女」と呼ぶのはどういう了見かね』
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『そ、それはつい』
『その下卑た言葉遣いは東京支社の流儀なのかね。君の返答次第で東京支社長にも問い合わせねばならない』
『もうしわけ、ありません』
『では、君個人の流儀になる。海外事業部には君のような下品な言葉遣いをする者は不要だ』
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『山田君は名札に書いてある文字が読めないのかね。視力が悪いのなら眼科に、文字が読めないのなら小学校に行きたまえ』
『つい、ウッカリ・・・』
『そんな注意散漫な者は私の部下にはさらに不要だ』
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『これからは君をそういう人物と見なすことにした。以上だ、下がってよろしい』
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『君は重役会議の時間を潰しただけでは飽き足らず、この私の時間まで浪費させるつもりなのか。もう一度だけ言う、すぐに下がりたまえ』
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「山田課長も重役会議が絡んでたのが、運が悪かったのよねぇ。そうでなければ、結崎本部長のことだから、後でお詫びさえ入れれば、笑って許してくれたはずなのに」
「その点だけは同情するわ。でもね、まだ続きがあるのよ」
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「その話なら知ってる、というか参加してた」
「ミサキちゃん、実際のところどうだったの」
「あれも、運が悪かったと思う」
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「ミサキちゃんとこでも夫婦喧嘩するんだ」
「うん、あの時は色々あってね」
「でも、そうなるとその日のマルコ氏の御機嫌は最悪状態」
「そうなのよねぇ、山田課長も運が悪かったと思う」
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『ヤ〜マダは出入り禁止だ。二度と顔も見たくない、出て行け』
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『山田課長、どうかお引き取りください』
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「マリちゃんさぁ、山田課長も瞬間湯沸かし器状態のマルコからトットと退き下がれば良かったんだけど、頑張ってしまったのがまず失敗。さらに、小島本部長を知らなかったのよね」
「まだ知らなかったの」
「うん、結崎本部長を重役会議に遅刻させた一件で、ジュエリー事業本部と総務部への出入りを禁止されてたみたいなの」
「それはひょっとして・・・あっ、だから」
「そうなのよ、完璧にやらかしちゃったのよ。まず小島本部長に向かって、
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『あなたには関係のないことだから黙りなさい』
ここだけでもデッドラインなんだけど、自分でトドメ刺しちゃったのよ、
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『女が余計な口出しをするな』
こう頭ごなしに怒鳴っちゃったのよ」
「あれまぁ、小島本部長はジュエリー事業本部長なのに、そうは見えなかったのね。そう見えないのに同情の余地はあるけど、また名札の確認怠ったんだ。そうそう、山田課長はミサキちゃんにもなにか言ったの?」
「『お前が騒ぎを大きくした、お前の責任だ』って一方的に怒鳴られた」
「で、どうしたの」
「小島本部長に『処理は私に任せて』って言われたわ」
「小島本部長のこういう時の処理って怖そうだけど」
「あっさりというかシンプルだったよ。小島本部長も海外事業本部長がどんな人か良く知っているから、善処依頼を出しただけ」
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『ジュエリー事業部の小島本部長から、マルコ氏の工房の一件で善処依頼が来ている。山田君に確認したいことがある』
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『君にはジュエリー事業部と総務部への出入りは禁止と申し渡したはずだが、マルコ氏の工房に入ったのは事実かね』
『あ、え、はい、そのなんですが・・・』
『そこでマルコ氏を怒らしたのは事実かね』
『それは、あの、怒らしたというか、コミュニケーションの・・・』
『宥めに入ってくれた小島本部長に「女が余計な口出しをするな」と怒鳴りつけたのも事実かね』
『小島本部長を怒鳴るなど滅相もありません。そもそも小島本部長はあの場にはおられませんでした』
『小島本部長が御自身で怒鳴られたと仰っておられるのだ。君は小島本部長がそんなイイ加減なウソをつく人とだと言うのかね』
『でも、あの場にいたのはマルコ氏や職人の方を除けば若い女性社員が二人で・・・』
『最初に来られたのが香坂課長代理で、後から来られたのが小島本部長だ』
『ひぇぇぇ、ま、まさか、あの方が小島本部長』
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『君は私の指示を無視しマルコ氏の工房に入り、そこでトラブルを起し、あまつさえ小島本部長を頭ごなしに怒鳴りつけた。君はこの部屋で机に座っているだけでよろしい。どこにも動いてはならぬ、誰とも関わってはならぬ、誰とも話してはならぬ。部員一同もくれぐれも注意して監視しておいてくれたまえ。以上だ』
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「なるほどね。海外事業本部長は結崎本部長で大失態を犯した山田課長を、小島本部長で絶対に失態を犯さないようにジュエリー事業部と総務部の出入りを禁止してたんだ」
「そうみたいよ。なのに山田課長はそれを破ってマルコ氏の工房に入り込み、そこでトラブルを起しただけでなく、海外事業本部長がもっとも懸念していた小島本部長ともトラブルを起こしたってところ」
「微笑む天使の小島本部長を頭ごなしで怒鳴るのはクレエール本社では絶対のタブーだもんね」
「海外事業本部長の表情はあくまでもクールだったみたいだけど、内心はどれだけ怒っていたか想像するのも怖いぐらい。下手すりゃ、自分も巻き添え食って左遷になりかねないからね」
「他の部員もそうみたい。山田課長に同情なんか示そうものなら巻き添え必至だもんね」
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「来春まで居るのは無理だと思う」
「いや、明日いなくなっても不思議ないと思うよ」
「それにしても、ここまでフルコースでツボ踏む人って初めてじゃない。大概は笑い話か、せいぜい軽い叱責ぐらいで済むのにね」
「うちの部長も山田課長の失態を聞いて震え上がってた。部下がそこまでやらかせば、管理責任問われるものね。だから、これからは異動者には真っ先に結崎本部長と小島本部長のところに部長が一緒に挨拶に行くようにさせるって」