女神伝説第1部:日本へ

 長かったイタリア視察旅行も終り、帰りはフィウミチーノ空港からエール・フランスでシャルル・ドゴール空港を経由して関空です。エール・フランスにしたのは、結果的に座席の確保の問題もあったのですがシノブ部長が、

    「さすがにイタ飯飽きたから、せめてフレンチにしようよ。ドイツ料理もイマイチだったし」
 そりゃ、あれだけイタ飯食べ続けたら、エエ加減飽きるでしょう。つうか、ここまで悲鳴を上げなかった方が不思議なぐらいです。帰りも十五時間ぐらいのフライトになってしまいましたが、機中で気になる事を聞いてみました。あっ、そうそう帰りもミサキはビジネスにしてもらってます。ただし、
    「ミサキちゃん、そうなしなければならない理由も考えといてね」
 サラリーマン生活には欠かせないものですけど、今回は決裁するのがコトリ部長だから気は楽です。さてコトリ部長に聞きたいことはヤマほど残っているのですが、
    「今となって思うのですけど、あれだけやったジュエリー店巡り本当に必要だったのですか。だってコトリ部長はエレギオンの金銀細工師は二人しかいないって知っておられたわけですから、最初からエレギオン一本で行った方が良かった気がするのですが」
    「後から見たらそう思うかもしれないけど、あれだけ見て回ったことでミサキちゃんもエレギオンの素晴らしさがわかったんじゃない。コトリも同じで、ひょっとしたらヨーロッパにはエレギオンさえ凌ぐ水準の店が出来てるかもしれない懸念があったのよ」
    「それを確認するためだったのですか」
    「やっぱり写真じゃ限界があるの。ミサキちゃんもジュエリーを見る目がだいぶ肥えたんじゃない。これも一つの財産よ」
 目が肥えたのはたしかで、お蔭で安物が買いにくくなりそう。ここは値段だけ高いハズレを避けれるようになったと思うことにしますが、
    「それとね、エレギオンの金銀細工師と提携したら、ジュエリー部門は必ず成功するわ。大きくなれば計画通りジュエリー事業本部になるけど、そこの本部長はコトリに回る公算が高いのよ。だから目を肥やしておく必要はあったのよ」
    「シノブ部長は?」
    「ブライダル事業本部長が回って来るよ。綾瀬副社長は次の展開をきっと考えているはずで、そこの本部長になるからね」
    「副社長はなにを展開する予定でしょうか」
    バンケットかトラベル、たぶんバンケット強化かな。これはかなり手強いけど、副社長が始めればコトリもシノブちゃんもまた引きずり込まれちゃうわ。とくにシノブちゃんが危ないかな」
 ちゃんと計算して仕事してるんだ。そうなると、あれだけワインの種類を飲んで、あれだけイタ飯をあれこれ食べまくっていたのも次のバンケット事業への布石だったのかもしれません。
    「そういえばベネデッティ神父、リッカルド神父、さらにはマンチーニ枢機卿が行った秘儀って黒魔術だったのですか」
    「ミサキちゃんは黒魔術なんて信じる?」
    「いや、なんというか・・・」
    「あれは単なる催眠術よ。ベネデッティ神父のはプラスアルファがあったかもしれないけど、リッカルド神父とマンチーニ枢機卿のは催眠術そのものでイイと思うわ。ただね、ベネデッティ神父もそうだったけど、あの秘儀を催眠術ではない、神秘のパワーと思い込んでいたと思うの。だから、そのパワーの源を黒魔術に求めたぐらいかな」
 なるほど、催眠術なら記憶を呼び起こしたり、再封印するのも出来そうな気がする。マンチーニ枢機卿もあんな黒魔術の教会さえ作らなければ、身の破滅にならなかったのに。もっともコトリ部長のボイス・レコーダーがあるから一緒か。
    「ヴァチカンのスパイの件は知っておられたのですか」
    「あれ、あれは賭けみたいなもので、今回のサンタ・ルチアをやる上で一番大きな不確定要素だったかな。もしヴァチカンが動いてくれなかったら、コトリやシノブちゃんがマンチーニ枢機卿をもう一度、脅しにいかないといけない羽目になってたわ。そこで仕切り直しになると、マンチーニ枢機卿も防御策を張り巡らす時間が出来て、話はもっと厄介になっていたかもしれない」
    「催眠術にかからない自信はあったのですか」
    「これも今回の不確定要素の一つで、ある程度はかからないといけなかったの。それが記憶と力の封印を破る最後のカギだったから。これだけは合理的に説明できないんだけど、ベネテッティ神父が編み出した秘儀は、天使の封印を破る力だけはあったのよ」
 コトリ部長は『これだけ』って仰いますが、天使の存在自体が合理的に説明できないやんかと思った次第です。
    オリハルコンでも、オレイカルコスでも良いですが、この正体が真鍮、それも六四黄銅であるのは知ったのはどこからですか」
    「あれか、あれはね、エレギオンの金銀細工師がこれを名乗れるようになった時に、師匠から伝えられる秘伝の一つなの。コトリは別に秘伝にしておくほどの話じゃないと思うんだけど、そういう慣習になってるみたい」
    「ということは、誰にも教えてはならないもセットですよね」
    「そうよ、だから聞き出すのは大変だったのよ」
 でしょうねぇ。もっともオリハルコンの正体が実は真鍮だったなんて発表しても、あんまりインパクトなさそうな気もする。これはベネデッティ神父や、リッカルド神父や、マンチーニ枢機卿が『実はそうだ』と聞いても信じない気もする。それぐらい人を魅了する謎の貴金属にしておきたいと思うのが人情だし。

 なんか、引っかかるな、どこか引っかかる。コトリ部長がオリハルコンの秘密を聞いたのはエレギオンの金銀細工師以外に考えられないけど、エレギオンの金銀細工師は三人しかいないはずで、イタリアに来てからも会った形跡はどこにもない。

 ミサキはヴェンツェンチオーニ枢機卿に会った後に、エレギオンの金銀細工師に会いにいくはずと思っていたのに、コトリ部長はサッサと帰国を選んでしまってる。さらに言えば、時差ボケが治りにくい体質のコトリ部長は海外旅行が余りお好きでなく、イタリアだって初めてと仰ってた。少なくとも、ここ五年以内は海外旅行には行ってない。なぜなら、今回のイタリア旅行のためにパスポートを作っているから。そうなると、コトリ部長がオリハルコンの秘密を聞きだしたエレギオンの金銀細工師は日本にいることになる。

    「コトリ部長はエレギオンの金銀細工師確保のアテがあると仰っておられましたが」
    「あら、ミサキちゃんも見たじゃない」
    「あれは家に伝わったものとか・・・」
    「ゴメンゴメン、あの時はそう言ってたわね」
 コトリ部長はバッグから指輪を取り出し、
    「ほら」
 これは写真で見せてもらった神戸のマルコ氏のエレギオンの金の指輪です。
    「ホント聞きだすのは大変だったのよ。最後に聞かせてもらったのはベッドの上だったから。でも情熱的で、久しぶりに心行くまで満足させてもらったわ。そしたら、この指輪を作って贈ってくれたの。素敵だと思わない」
 この時にコトリ部長がイタリア旅行中で取った行動のすべてがわかった気がします。いやその前のブライダル事業部のアクセサリー部門の強化の時からの話のすべてが。コトリ部長の目的は、エレギオンの金銀細工師である神戸のマルコ氏を、クレイエールに引っ張り込むためのものだったんだと。

 マンチーニ枢機卿を排除したのは、マルコ氏の仲間のエレギオンの金銀細工師を助けることで恩を売り、この恩をテコにエレギオン・ブランドをクレイエールでも使えるようにするためだったんだと。これこそがサンタ・ルチアの正体のすべてだったのです。ただですが、そこに女の武器を使用した点だけが面白くありません。あまりにもコトリ部長らしくないじゃありませんか。

    「コトリ部長、マルコ氏とのその後の御関係はどうなってるのですか」
    「順調よ、日本に帰ったらデートが楽しみ」
    「御結婚とかは」
    「それがね、少々歳の差があるのをマルコは気にしているのよ。だって十歳も下だから、さすがにね。コトリも歳取ったもんだと、この時ばかりは思ったもの。だからラブラブだけど、結婚までは山あり、谷ありかな」
 そこからノロケ話を延々と。そうだよね、コトリ部長が女の武器を使ったりするはずないものね。そっか、そっか、マルコ氏が恋人だったから、あれだけ危ない橋を敢えて渡ったんだと思います。シラクサの教会の時はコトリ部長の話を聞いても、かなり際どいものでしたし。

 それにしてもコトリ部長が本気出したら、歳の差ぐらい、いずれ吹き飛ばしちゃいそう。ああ、ミサキも恋がしたい。恋人欲しい。女三人の旅行も悪くなかったけど、やっぱり彼氏と旅行したいもんね。旅行中にイタリア男の一人ぐらい、つかまえとけば良かったかな。今回は仕事だった上に、コトリ部長とシノブ部長が一緒だったもので、トラットリアでも男どもは二人に群がる感じだったからちょっと悔しかった。日本に帰ったら、そっちもがんばろう。