リンドウ先輩:天下無敵

 わが弱小野球部が強豪丸久工業に勝ったニュースは月曜日には学校中にワッと広まってん。サッカー部とのグランド交渉も無事、とは言えないけど契約振りかざして無理やり成立させたった。グチャグチャ泣き言垂れよったけど『再交渉なし』も押し付けたった。これは向こうから言い出したんやから自業自得や。

 この頃からウチに妙な呼び名が付くようになったんや。

    『交渉の鬼、天下無敵の竜胆薫』
 新聞部が記事にしたんや。ウチも実は良く知らなかったてんけど、が駿介叔父は魔術師とまで呼ばれた名監督で、これを口説き落としたのがウチ。さらに野球から離れていたフォア・シーズンズを口説き落としたのもウチ。さらにさらにカネ以外には動かない助っ人ユウジを口説き落としたのもウチ。

 さらにサッカー部とのグランド交渉や、ギャラリー席の設置、ファンクラブ連合の設立、写真部の口説き落としと、野球部の躍進の陰にGMのウチの交渉力があったと書かれてもたんや。事実と違う部分もあるんやけど、都合の良いこともあるのよ。交渉事がラクになったところも出て来てん。ウチが交渉に出ただけで、もちろん全員がそうやないけど、

    「天下無敵のリンドウさんが言うのならしょうがない」
 こんな調子やねん。べつにウチは無理なことを要求している訳じゃ、まあ少々の無理を、いやかなりの無理を、普通ならウンと言いそうにないことを要求して交渉してるんやけど、とにかく交渉事ってのは時間がかかるから、話が早く済むのに越したことないってところかな。


 でも本当の天下無敵はユウジや。ユウジは仕事モードに入ると完璧になりきるんだよ。今回請け負った仕事は甲子園に行くことやけど、ものの見事に爽やか高校球児に化けてるんや。これは練習中も、もちろんやけど、普段の態度まで模範的な優等生になっているのは驚かされる。

 歩く姿から違うのよ。あのダランとした無気力な歩き方ではなくて、背筋をピンと伸ばして颯爽と歩いているのを見て、ウチでさえ別人かと思たもの。朝の挨拶された教師の目が点になってたよ。服装だって、どこかだらしなくて小汚い感じから、清潔感溢れるパリッとした感じにしか見えへんのよホンマ。

 授業中だってそうで、あの、

    「わかりません」
 こうしか、ぶっきら棒にしか答えなかった授業態度もハキハキと答えるようになったし、どの授業も熱心に取り組んでいるようにしか見えへんのよ。自分で進んで手を挙げて質問に答える姿や、なんでも率先して取り組む態度は、ウチも最初は違和感アリアリやったけど、ユウジの仕事モードの巧みさは、それがまるで以前からそうやったように『あっ』と言う間に感じさせてしまうの。

 教科書や参考書、問題集もちゃんと持って帰るんだよ。当然持ってくるから、学生鞄を持って通学してるのよ。鞄だよ、鞄をユウジが持って通学してるのなんて初めて見た気がする。アイツは体操服も紙袋で持ってくるし、学年末でも紙袋で教科書の類を持って帰るんだ。あの学生鞄も、今回の仕事の演出のために買った気がする。

 もっとビックリしたのがユウジがノートを取ってるの。あのユウジがノートだよ。たぶん小学校から初めてやと思うわ。それもちゃんと科目別に分けてだよ。ただやねんけどノートに書いているのが『字』かどうかはウチでも自信があらへん。たぶん字と思うんやが、ウチには日本語どころか、そもそも文字には見えへんねん。どう見たって、ありゃ幼児の殴り書き未満やんか。

 これも昔から不思議で仕方がないんやが、あれだけなんでもすぐに出来るユウジが、字だけはこれでもかの悪筆。普段、試験以外では、ほとんど字なんて書かへんからやと言えばそれまでやねんけど、これもなんでか聞いたことがあるんや。

    『硬筆の仕事の依頼はあらへんかった』
 そりゃ、そんな仕事の依頼があるとは思えへんけど、そんな理由で納得して良いのやら、悪いのやら。そう言われれば毛筆になると書道家クラスなんよ。まあ、これは例の書初め大会請け負ったからで説明できるのは説明できるけど、ユウジのようわからんところや。ついでに硬筆もやっとけばエエのに。

 態度だけやなく試験の成績も上がってるどころではないんよ。ユウジが実は出来るのは知っとったけど、たちまち学年トップやし、県の統一模試だってぶっちぎりやねん。試験の点が上がった理由? そんなもんメンドクサがらずに答案用紙をすべて埋めとるからやねん。書きさえすれば冗談じゃなくすべて正解で、減点分は採点者がユウジの悪筆を判読できないところだけやねんよ。あの字を解読する採点者は大変やと思うけど。

 さらに、さらに、あの極端な不愛想は完全に影を潜めてもて、誰にでも愛想よくニコやかに話しかけるんよ。仕事になればそう出来るのは知っていたウチでも、目を擦りたくなるぐらいの好男子。冬月君並みのダンディでジェントルマンやってるの。いいや、それ以上かもしんない。

 もともとユウジは顔もスタイルも良いんやけど、性格が模範的優等生かつ爽やか高校球児になると、たちまち人気爆発なってもた。追っかけが雪だるま式に増えて、今やサッカー部のMF坂元と良い勝負になってる。ユウジの人気が上がるにつれて、野球部の人気はサッカー部を急追する様相に・・・これはさすがに言い過ぎやけど、人気は確実に上がってるのだけは間違いない。

 ユウジが素に近く戻るのは私と二人になった時だけかもしれへん。

    「ユウジ、お世辞抜きで格好エエ」
    「まあ仕事やからな」
    「なんで普段はそれせえへんの」
    「仕事やないからな」
    「でも今の方が絶対エエよ」
    「済んだら戻る」
 なんか永遠に甲子園のための準備中やったら、こんなに格好の良いユウジをずっと見てられるのに思ってるぐらいや。あれ、ウチもユウジに魅かれ始めてるのかなぁ。腐れ縁ってぐらい無愛想・無気力・無関心のユウジを嫌って言うほど知ってるウチでも、なんかドキドキしてまう。

 ドキドキするちゅうか、もし甲子園に本当に行けたらウチはユウジの物になるかもしれへんのよ。『しれない』つうより、それがユウジとの契約やねんけどな。本当に行けたら差し出すだけの価値はあるんやけど、差し出す時にできたらのお願いが・・・

    「ユウジ、甲子園の請負料やけど」
    「カオルの体や」
    「それはわかってるけど、ウチが払う時にお願いがあるの」
    「頼みがあるならカネ払え」
    「それはわかってるけど、聞くだけ聞いて」
    「値切りは聞く耳もたへんで」
    「わかってる。出来たら支払いの時は今のユウジでお願い」
 こんなところで、なぜかユウジは考え込んでもてん。
    「返事はちょっと待ってくれ」
 ユウジとは付き合い長いけど、ウチでもユウジが何を考えてるか、わからない時があるんよ。そりゃ、無愛想・無気力・無関心のユウジであろうが、爽やか球児のユウジであろうが、ユウジがウチを抱く分には一緒かもしれへんけど、ウチはとにかく初体験やから『せめて』爽やか球児のユウジにして欲しいぐらいのワガママ言ってもエエやんか。

 そりゃ成功報酬やから、煮て食おうが、焼いて食おうが、食うもんの勝手やいうたらそれまでやけど、ウチの大事なもんやし、一回限りで元に戻らんもんやん。丸久工業戦の後でも思たけど、すっごく怖いもんやねんから、ちょっとでもリラックス出来るように協力して欲しいだけやのになぁ。そんなんにも追加報酬いるんやろか。

 追加報酬いうたら、もっと気になってる事があるねん。ユウジはウチの甲子園の夢を請け負ってくれたし間違いなくやってくれてるけど、この仕事ってユウジが今までやった助っ人稼業の中でも飛び抜けて大きいと思うんよ。そりゃ、期間だって二か月以上になるし、県予選だけでも七試合か八試合あるんよ。本当に甲子園に行けたら、さらに期間は延長になるし、試合数も増えるやんか。

 これを本来の報酬であるカネで払ったらナンボするか考えただけで寒気がするんよ。ユウジの相場からすると、それこそ五百万とか、それこそ一千万って言われても不思議とは言えへんやんか。たとえばやで、県代表になって甲子園で戦った時に追加請求があったりしてもおかしくあらへんやん。いや、県大会の決勝言うだけで足元を見るのがユウジや。そんなんいっぱい見てるんよ。

 そやねんけど、今回の報酬はウチの体やんか。カネやったら上増しは青天井やけど、体は増やしようがあらへんやん。そりゃ、ファースト・キスさえまだのサラの新品やから、カネに換算できへん価値があるとも言えんことはないから、

    『文句あっか! お釣りが欲しいぐらいや』
 こう言い切りたいところやけど、ホンマに足りてるんやろかって話やねん。だってやで、こんなん他人には言えへんけど、丸久工業の試合の時に、あの試合のリリーフとサヨナラ・ホームランの報酬にウチの体で払わなしゃあないと覚悟したんよ。あの時に求められたら間違いなく払てた。それぐらいが釣り合いって、自分の大事な大事な体であってもそう思たんよ。

 そやから、ウチはユウジのスイッチが入ったと直感したんや。あの時の直感を信じたいんやけど、ユウジに請け負ってもらってる甲子園つう仕事の大きさに、自信がなくなってきているところが本音ではあるねん。ウチの体でホンマに足りてるんやろかって。なんかトンデモナイものを追加請求されるやないやろかって。

 ユウジが何を考えてるかなんて推測するだけ無駄やねんけど、とにかくユウジが請け負ってくれたお蔭で甲子園は単なる夢やなくなっとる。今はそれだけ考えるわ。どういう方法でユウジが報酬を受け取るかは、まだまだ先の話やし、追加請求されたらその時に考えんと、しゃ〜ないやん。