廃墟見学を本格的な趣味にされている方もおられますが、私はそこまでの趣味ではありませんので、たまたま見かけた徒然かつローカルなお話です。それと「三大」とはしましたが、単なる私の独断と偏見ですからそこのところもヨロシク。もう一つお断りを入れておくと、真夏にスケートの話は時期外れみたいですが、今どきは夏でも営業している屋内スケートリンクも珍しくありませんからヨシとさせて頂きます。
ここは子供心にも立派な施設だったように思っています。大きな外周リンクとその中に「たぶん」アイスホッケー場を備えた広大な施設でした。このアイスホッケー場が夏にはプールに衣替えする仕組みです。でもっていつ頃できたのか確認できませんでしたが、小学校の高学年の頃にはあったかな? 1970年代の後半ぐらいじゃないかと思っています。
つうのも田舎の事でプールと言っても学校ぐらいしかなく、亡父に小学校の3年ぐらいの時は東条湖ランド(おもちゃ王国の前身)にあったファミリープール(アカプルコの前身)に連れて行ってもらった記憶があるからです。東条湖ランドときよみづスポーツガーデンは近いので、小3の頃にはまだなかったのだと考えています。中学の時にはあったはずなので・・・怪しい記憶による推測です。探せばあるものでかつての全景がスケートリンク資料室にあり、
東条湖の北端の別荘地の中にあり、近くにある西国札所の清水寺から名前を拝し、西日本随一の本格的スピードリンクを持つ同スポーツガーデンは、休日には身動きもななまらぬ程賑わう。
たしかにそれぐらい賑わってました。ここも中学時代に行ったのが最後で、以降はバッタリ行かなくなっています。7年ほど前に急に懐かしくなって訪ねてみました。子供の頃の記憶に頼って探したのですが、目星をつけた、ここから入るはずの道路が様変わりしていました。もともと別荘地の中にあったのですが、きよみづスポーツガーデンがあった頃は自由に通れた道が、別荘の住人専用道路と変わっていました。平たく言うとゲートがあって少々入りにくい雰囲気に変わっていました。その時はそこで引き返しています。
現在どうなっているかは便利な時代になたものでGoogle earthで確認できます、
もう少し情報が欲しいとググってみると廃墟検索地図様に
きよみづスポーツガーデンは、兵庫県加東市にあったスポーツ施設。宿泊施設を備え、30mのスピ-ドリンク、ホッケーリンク等、西日本一の広さを誇る屋外スケート場や、屋外3面・屋内6面の全天候型テニスコートを有する総合レジャーランドだった。
1997年3月閉鎖。
へぇ、1997年まであったんだ。おおよそ20年ぐらいは営業されていた事になります。もう少し探すと当時のCMもYouTubeに残ってまして、
YouTubeにあるウォータースライダーは記憶に無いのですがついでにもう1本
このCMがいつ頃のものかは私には判断出来ませんが、ウォータースライダーが各地のプールに設置され始めたのが1980年代の後半だった気がしますから、このCMもそれぐらいの時のものじゃなかろうかぐらいのところです。
さて次は春に里山登りに行った時に見かけた三田スケートです。これも廃墟検索地図様によると
三田スケートは、兵庫県三田市にあったスケートリンク。
CMなどで非常に知られていたが、1999年頃閉鎖、建物は取り壊された。
解体され現存していません
きよみづスポーツガーデンの2年後になるようです。写真はリンク先にあるので御参照願うとして、YouTubeを紹介しておきます。
私も聞いて思い出したのですが、ある年代以上の関西人なら耳に覚えのあるメロディーかと思います。私はスケートはヘタクソでスケート場など3回ほどしか行った事がなく、三田スケートには行った事はありません。ここの廃墟は里山登りの帰りにたまたま見かけたのですが、ここもまた廃墟検索地図様のレポート通り、建物はすべて解体撤去され、基礎のコンクリだけが残っていました。その廃墟を見ながら、あの三田スケートはこんなところにあったんだと妙に感心しました。
三田スケートに並ぶ関西のCMで有名なスケート場が滋賀県にあったのを思い出しました。とりあえずYouTubeです。
このCMはあんまり記憶にないのですが、
こっちは見て思い出しました。冒頭のシーンも関西人ならある年代以上なら有名(なはず)ですが、最後の「りゅう、おー、おー」は竜王スケートのCMの〆言葉だったと記憶しています。でもってwikipediaです。
- 1966年(昭和41年)10月1日:開設
- 2000年(平成12年)9月30日:閉鎖
閉鎖されたのは三田スケートの翌年ぐらいに当たる事になります。
きよみづスポーツガーデンは実際にプールもスケートも行っています。三田スケートは廃墟になっていましたが現地まで行っています。竜王スケートは他のついでに付近を通った事があります。どこも共通しているのは、
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なんちゅう不便なところにあるんだ!
あんな山の中に作った理由としては、屋外スケートリンクだから少しでも冬の気温が低いところの方が維持費は安くなるのと、なにより広い面積を必要とするので土地代の安いところに建設したのはわかるとしても、集客と言う面で不安はなかったのだろうかと言うところです。さらにを言えば、きよみづは夏もプール営業がありましたが、三田や竜王は冬以外はどうしていたんだろうと思います。たぶんに過ぎませんが冬のスケートだけで経営的にペイしていたんだろうぐらいしか考えようがありません。
ただなんですが、不便とはしましたが、当時的には必ずしも不便と思われてなかったのかもしれません。冬のレジャー・スポーツの代表格は今も昔もスキー・スケートですが、スキーに行くのに較べたらスケートは遥かに簡便と感じられていた可能性です。京阪神からスキーとなると、信州は置いておいても、琵琶湖周辺か但馬になります。ここももし行くのなら但馬です。但馬にスキーに行くのに較べたら、きよみづでも、三田でも、竜王でも遥かにお手頃であったと見なされていたんじゃなかろうかです。その傍証に竜王スケートのCMに、
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名神竜王ICから わずか4km
スケート場 | 閉鎖時期 |
きよみづスポーツガーデン | 1997年 |
三田スケート | 1999年 |
竜王スケート | 2000年 |
この辺も個々の事情となると微妙そうで、たとえば三田スケートの人気が落ちたのは、地元伝聞情報によると有馬温泉にスケート場が開設され、そちらに客が流れたからの説があります。きよみづは近くにある東条湖ランドのプールが大改装され、それまでのただの25mプールから、造波プールや、流れるプール、ウォタースライダーも備えた現代的なレジャープールに変わり競争に負けたの説もあります。竜王は・・・よく判りません。ここもですが三田スケートを潰したとされる有馬レジャーランドのスケート場もまた閉鎖されています。これがまた調べてもいつ閉鎖されたかさえ不明で、現在は資材置き場になっているそうです。
どうもスケートリンクの情報は錯綜しているようで、何度か引用したスケートリンク資料室の情報はちょっと怪しそう(1984年に閉鎖されたラサ国際まで書いてある)な点は多々あります。それでも参考になるものがあります。スケートリンク資料室が書かれた時に関西のスピードリンクとして、きよみづ、グリーンピア三木、伏尾とあげています。このうちきよみづは廃墟ですし、伏尾はマンションが建っています。問題はグリーンピア三木でスケートリンク資料室には、
グリーンピア三木スピードリンク 廃止後は、西日本唯一の練習場になっている。
ここも誤解を招きそうですが、グリーンピア三木のスケート場は今も健在です。
既に解体され、2009年に跡地につるやゴルフセンター箕面がオープンしている。
解体され現存していません
いつ閉鎖されたかですがまっちゃんブログ様でも日本全国スケート場情報でも2005年のようです。では日本全国スケート場情報に全幅の信頼が置けるかと言えばそうでもなさそうで、スケートリンク資料室にも登場している高野山スケートリンクがあります。ここも廃墟検索地図様によると、
解体され現存していません
どうも2006年頃に閉鎖(公式には休止)のようです。
今日の話もスケート場の閉鎖はスキー同様にスケート人気の低下に伴うものだろうぐらいの締めくくりにしようと思ったのですが、ここまで来たらもう少し情報を集めてみたくなりました。スケート場情報は上述した通り精度が若干落ちる点があるので注意が必要ですが、日本全国スケート場情報をベースに可能な限り補足情報を集めて近畿のスケート場情報を整理してみます。
府県名 | 既存 | 形式 | 閉鎖 | 形式 | 閉鎖時期 |
滋賀 | 滋賀県立アイスアリーナ | 屋内 | びわこ竜王スケートリンク | 屋外 | 2000年 |
* | * | 浅井アイスアリーナ | 不明 | 不明 | |
* | * | 彦根スケートリンク | 屋外 | 2000年 | |
京都 | 京都アクアリーナ | 屋内 | 醍醐スケートリンク | 屋内 | 2005年 |
* | * | 伏見桃山城アイスキャッスル | 屋内 | 不明 | |
* | * | 高野アリーナ | 屋内 | 1994年 | |
大阪 | アクアピアアイスアリーナ | 屋内 | 上野芝スケートリンク | 屋内 | 2011年 |
枚方パーク・アイススクェア | 屋内 | 箕面温泉高原スケート場 | 屋外 | 2005年 | |
浪速スポーツセンター | 屋内 | 明治オーツープラザ | 屋内 | 2004年 | |
大阪府臨海スポーツセンター | 屋内 | 大阪球場スケートリンク | 屋内 | 2001年 | |
大阪府立門真スポーツセンター | 屋内 | MBSミリカスケートリンク | 屋外 | 1997年 | |
真田山スケート場 | 屋外 | りんりんリンク | 不明 | 1999年 | |
光のルネサンス×中之島アイススケートリンク | 屋外 | レモンドームアリーナ | 屋内 | 1999年 | |
守口スポーツプラザ・ビバスケート | 屋内 | 岸和田パークスケートセンター | 不明 | 1998年 | |
八幡屋公園 大阪プールアイススケート場 | 屋内 | 南海さやま遊園スケートリンク | 屋外 | 2000年 | |
兵庫 | 姫路セントラルパークスケートリンク | 屋内 | 姫路アリーナ | 屋内 | 2006年 |
尼崎スポーツの森 | 屋内 | フルーツ・フラワーパーク | 屋外 | 2005年 | |
グリーンピア三木スケート場 | 屋外 | きよみづスポーツガーデン | 屋外 | 1997年 | |
神戸市立ポートアイランドスポーツセンター | 屋内 | 旭洋アイススケートリンク | 不明 | 1999年 | |
兵庫県立円山川公苑スケートリンク | 屋内 | 甲子園阪神パークスケート場 | 屋外 | 2000年 | |
ピュアスポーツ柏原スケートリンク | 屋内 | 三田アイススケートリンク | 屋外 | 1999年 | |
* | * | 宝塚ファミリーランド | 屋外 | 2003年 | |
* | * | 有馬レジャーパレス | 屋外 | 不明 | |
奈良 | * | * | 近鉄あやめ池遊園地スケートリンク | 屋外 | 2004年 |
* | * | 生駒山上遊園地スケートリンク | 屋外 | 1997年 | |
* | * | スポーツセンターライオンスケートリンク | 屋外 | 1998年 | |
* | * | 奈良ドリームランドスケートリンク | 屋外 | 2006年 | |
和歌山 | * | * | 和歌山アイスアリーナ | 不明 | 1998年 |
* | * | 高野山スケートリンク | 屋外 | 2006年 |
これですべて網羅しているかどうかは実のところ不明です。70年代や80年代に閉鎖されたスケート場(たとえばラサ国際とか)は含まれていません。それと現存するスケート場がいつ出来たかまでのチェックも出来ていませんから、閉鎖されたスケート場と果たして並立していたかもわからないところがあります。あくまでも表にまとめたものからの感想です。
とりあえずエライ仰山あった事に驚かされました。でもって今だって結構な数があります。スケート人気もかつてより落ちているかもしれませんが、それより正直なところチト施設数が過剰じゃなかったろうかです。それと大雑把な見方ですが現存施設は屋内リンクのものが多い気がします。逆に閉鎖されたところは屋外リンクが多い気がします。スケートリンクの営業形態として冬はスケート、夏はプールのところが遊園地系を中心に多かったようですが、そういうところは根こそぎ無くなっているとしても良さそうです。
閉鎖時期も妙にそろっている感じがあって、多くのところが2000年前後が多くなっています。この要因として考えられそうなのは、
- 1995年の阪神大震災
- 2001年のUSJ開園
これのさらなる背景として年少人口の減少も確実にありそうな気がします。スケートもいわゆる親子連れがかなりの割合を占めると考えます。親子連れの数は当たり前ですが年少人口の数に連動する事になります。スケートですから子供だけで行く事もあるかもしれませんが、これもまた年少人口に連動します。見つけた統計データの関係で年少人口を0〜14歳で見てみると、
直感的に判り難い人がいるかもしれませんので補足しておくと、いわゆる「ブーム」は参加する実人数(ブーム人数)で大きさが決まります。母数が同じならブームはそれに参加する比率(ブーム率)でブームの大小が比較できますが、母数が減れば同じだけのブーム人数をブームに参加させるのに高いブーム率が必要になります。具体的に表にしてみますが試算の前提は、
- 母数は1980年が100人とし、2010年が4割減少の60人とする
- 2010年は1980年と同じ規模のブーム人数が参加するブーム率を計算する
1980年 | 2010年 | ||||
母数 | ブーム率 | ブーム人数 | 母数 | ブーム人数 | ブーム率 |
100人 | 10% | 10人 | 60人 | 10人 | 16.7% |
20% | 20人 | 20人 | 33.3% | ||
30% | 30人 | 30人 | 50.0% | ||
40% | 40人 | 40人 | 66.7% | ||
50% | 50人 | 50人 | 83.3% | ||
60% | 60人 | 60人 | 100% | ||
70% | 70人 | 70人 | 不可能 |
大ブームはどの程度のブーム参加率があるのか存じませんが、1980年のブーム率50%を2010年に起そうと思えば実に83.3%が必要になります。1980年の60%なら2010年で100%になります。逆に言えば2010年にブーム率100%のウルトラ「猫も杓子も」ブームが起こったとしても、1980年の60%程度のブーム率のブームにしかならないとも言えます。
スケート人口にも同じ事があてはまるとして良いでしょう。人口当たりでスケートを楽しむ者の比率がたとえ同じであっても、元の母数が4割減ればスケート客の実人数自体も単純計算でやはり4割減ります。客が減った分だけ経営が維持できるスケート場もまた減っただけの気がします。表でまとめた分は現存・閉鎖合わせて46ヶ所ありますが、今日取り上げた3つのスケート場が元気であっただろう1980年代はもっともっとスケート場自体も少なかったんじゃなかろうかです。
少なかったので辺鄙な山奥でもスケートをやりたい人間は広範囲から集まり繁盛していたです。これがバブル期以降にライバルが次々に出現した上に一方でジリ貧になる客層があり、スケートをやりたい人間は都市部の屋内リンクに集まり、山奥の屋外スケート場まで出向かなくなってしまったです。そりゃいかにウインタースポーツと言っても、凍えそうな山奥のリンクより近場の屋内リンクの方が好まれそうだからです。そういう優勝劣敗・淘汰整理が2000年前後にバタバタと起こり今に至るです。
前にスキーの話をやった事がありますが、あれをスキーブームの終焉と言うとらえ方をしましたが、スキーもまた客層が若年人口の減少と連動してやせ細った一面は確実にありそうな気がします。スキーもスケートもたとえば1980年代のピーク時に較べると愛好者の比率は落ちているかもしれませんが、それより母数の減少の方がより大きく作用している気がします。これは上の表に示した通りです。
もう一つ注目しておいて良いのは、4割もの年少人口の減少はたかだか30年ぐらいの間に起こった事です。30年前に10歳ぐらいでスケートなりに熱中した人間はまだ40歳です。私も他人の事は言えませんが、人数の感覚は若い時に見聞した感覚から抜け切るのは難しいところがあります。それこそ
-
あんだけテンコモリいた連中はどこに行った?
こうやって見ると少子化って改めて強烈なものだと感じます。つうか若者によるブームが本当に起こしにくくなっている気がします。同じ人口比率の若者が仮に熱狂したとしても、1980年とは動員実人数が格段に落ちます。これを経営サイドの中心になるであろう40歳代、50歳代の人間の感覚からすると「なんと人気が出ない」になってしまいそうな気がします。参加比率は同じであっても、人数によるインパクトがガタ落ちなってるぐらいのところです。
時の流れとは言え寂しいお話です。現在の少子化の流れからすると復活が難しいだけではなく、スケート以外の他の何かに1980年と同じような人が集める事は非常に難しくなっていると感じた次第です。