昨日のオマケ・伊東にゆくならハトヤ♪

昨日の話を書いている時の副産物みたいなものです。どうも連休があるとどうしても書きすぎ、調べすぎの度を越してしまい、もっと軽い話題であったはずが重苦しい話になってしまったのを遺憾とさせて頂きます。軽くするために集めていたネタがあったのですが、長すぎて昨日は出せなくなり、今日はせめてお口直しに提供させて頂きます。


びわ湖温泉ホテル紅葉

これまた関西ローカルで申し訳ないのですが、

関西ローカルだけではなく全国放送もされていたとwikipediaにありましたが、個人的には伊東温泉の「ハトヤ」と並ぶCMで有名なホテルだった気がします。「伊東に行くならハトヤ」は現在でも健在だとどこかで読んだ事がありますが、びわ湖温泉の方は2013年3月に惜しくも閉鎖となっています。こっちはスケートとかスキーと違い完全にトレンドが変わったためと思っています。ついでですからホテル紅葉のCMをもう1本、

これがなんと1973年のCMだそうです。ホテル紅葉には宿泊した事はありませんが、当時的には「ジャングル風呂」ってのは一つのトレンドで、ここだけでなく他にもありました。どこだったかな? 和歌山の方だったと思いますが待望のジャングル風呂に連れていってもらいました。そこにはジャングル風呂だけではなく、もう一つ奇想天外の風呂がありました。ロープーウェイ風呂です。気になって調べて見ると有田観光ホテルの宇宙アポロ風呂と言う名前だったそうです。でもってこんな感じ、

子供の時の記憶なんで曖昧なんですが、ゴンドラの左右に1人用の風呂桶が並んであり、入浴客は湯船につかりながら往復するゴンドラからの景色を楽しむ趣向でした。これも今から思えばどうやって湯温を維持していたのだろうと思わないでもありませんが1970年頃から1990年まで健在だったそうです。今から見れば笑われるかもしれませんが、当時はこういう物でも十分集客の目玉になっていました。でもってこの有田観光ホテルですが、その後に「紀州/有田温泉亭 海のしずく」となり2003年頃に閉館になったそうです。


伊東にゆくならハトヤ

こちらは全国ネットでメジャーだったはずのハトヤです。

これハトヤの一番最初のCMだそうです。有名なコマソンもどうやらフルコーラスのようで拾っておくと、

これを作ったのがwikipediaによると「野坂昭如作詞、いずみたく作曲」だそうです。なんか凄い面子ですが、余りにも軽快な歌詞とメロディーになぜかおかしみを感じてしまいます。てっきり浪花のモーツアルト作ぐらいと思っていました。それとCMの最後の電話番号のところが実は凄くて、

どこが凄いかわかりかますか? 市外局番が書いてありません。さすがに1961年になると生れる前のお話になりますから自信は無いのですが、当時だって市外局番はあったはずです。つうかなければ当時であっても電話は全国ネットですから市外電話をつなぐのに支障を来たします。でもCMにはありません。そうなると推測と憶測と怪しい記憶に頼る事になります。ここでダイヤル式の黒電話の普及はかなり速度差があったらしく、1961年当時はまだまだ交換手地域の方が「当たり前」ではなかったろうかです。

私は交換手の時代の電話を悔しいですが知っています。かけたのは市内電話しか経験はありませんが手順はたしか、

  1. 受話器を上げれば交換手につながる
  2. かけたい電話番号を告げる


      「こちら○○○○番ですが、△△△△番お願いします」(・・・こんな感じです)


  3. 交換手が電話をつなぎ呼び出し音が鳴る
こんな感じだったように記憶しています。間違っていたらゴメンナサイ。これが市外電話だったらどうなっていたのだろうです。市外局番が周知のものであればフル番号を交換手に告げるだけのお話ですが、そうであればハトヤのCMも市外局番を書いているはずです。今でさえ市外局番はこの手のCMなら絶対書くはずです。たとえばテレビショッピングなら市外局番からのフルの電話番号をコマソンに織り込んでいます。

それが書いていないと言う事は、1961年当時は市外局番と言う概念が一般に乏しかったんじゃなかろうかです。ほんじゃ市外局番無しで市外電話をかけようと思えばどうしたかですが、たとえば大阪へなら交換手に

    「大阪の661-4126お願いします」
こんな感じで地名だけでOKだったんじゃなかろうかです。ではでは何故に伊東の本店以外に東京と大阪の2ヶ所に電話連絡ポイントを持っていたかです。これも怪しい記憶になりますが、当時の市外電話、とくに長距離になると電話料金はかなり高かったはずです。昭和40年代のテレビドラマの定番に東京から故郷に公衆電話で電話するシーンがありました。シチュエーション的には東京で苦労している主人公に対して上司と言うか、先輩と言うかみたいな人物が、
    「たまにはお袋さんに電話してやれ」
その時にテンコモリの10円玉を主人公に渡すわけです。それでもってかけるのですが、10円ではほんの数秒しかかけられないのです。主人公はスロットにコインを入れるように公衆電話に10円玉を転がり込ませるです。それぐらい市外の長距離電話料金は高かったので、ハトヤは客への負担を少しでも軽減したかったんじゃなかろうかです。本音ではハトヤへの宿泊予約電話は無料にしたかったぐらいです。しかし当時のシステムでは到底無理で、せめて市外電話の客の負担を少しでも軽くするために東京と大阪に電話連絡所を設けたぐらいです。

ただそうなると、これまた当時のシステム的に転送電話も無理だった気がします。転送が無理なら事務所を構えて駐在員なりを置く必要があります。今ならその手の取次ぎ代行業みたいなものは幾らでもありそうですが、当時はちゃんとハトヤの社員を置き、その社員から伊東のホテルに問い合わせる必要がありそうな気がします。それと電話連絡所ですが、CMを見る限り24時間体制が必要そうにも思えます。深夜まではさておき、宵の口ぐらいまでは待ち受け体制は必要でしょう。

本当に当時のハトヤがそこまでやっていたかどうかは調べる術もありません。だって私にしても生れる前のお話になるからです。言えるのは派手なCMだけではなく、そういう営業努力も地道に行っていたんじゃなかろうかです。ハトヤは上述したように今でも健在ですし、宿泊経験者の評判も決して悪くありません。舐めてかかって宿泊した客が、余りにも真っ当過ぎてかえって驚かれる感じです。


推測でしか言い様がないのですが当時の旅行の主流は今よりも団体客の比重が重かったはずです。それこそ農協旅行華やかなりし頃(もうちょっと後なのかなぁ?)です。ハトヤもまたそうであったはずですが、旅行会社が仕立ててくる団体客相手の殿様商法に安住せずに、個人客へのサービスに遥か1960年代から取り組んでいた差が今になって大きなものになっているようにも感じました。それだけで無いかもしれませんが、結果としてホテル紅葉は閉鎖され、ハトヤは健在の原因の一つかもしれません。

ま、子供の頃にあんだけCMで馴染まされたハトヤが今でも立派に健在と言うだけで個人的には嬉しい限りです。もっとも未だ泊まった事もありませんし、これからも泊りそうな予定もなさそうですが、ちょっと心和む気分です。だって昨日から「懐かしの」を調べたら閉鎖・廃業の団体さんで少々ウンザリしていたもので・・・。