パンパカパン 10周年♪(と8周年)

今日が本業10周年で、明日がブログ8周年です。本業は死活問題ですから続いてもらわないと飯の食い上げになるのですが、ブログの方はよくまあ続いているものだと呆れています。さすがに10周年なので今回は本業の方の感想です。


今でもよく思い出すと言うか、記憶に強く残っているのは開業当初の頃です。同じ市内とは言え、勤務医時代とは地縁も血縁も無いところへの落下傘開業ですから、不安が無かったかと言えば嘘になります。そんな不安もいざ開業したら吹き飛ばされたかと言えばそうではなく、むしろ裏付けられた船出になっていました。実にヒマ、閑古鳥のみがウルサイほど啼いていました。

今から考えなくとも当たり前なんですが、開業した7月、さらに翌月の8月、翌々月の9月なんて小児科開業医が最もヒマな季節になります。今なら10月からのインフルエンザ接種に備えて「骨休め」なんてところですが、当時は焦燥感ばかりが募っていたのは偽らざるところです。開業医なんて診療しているだけで出費があります。職員の給与、光熱費、家賃・・・運転資金の底が嫌でも見えてくるです。

それとこれも小児科の特徴で窓口収入が非常に少ないのがあります。予防接種だってムンプス、水痘、インフルエンザぐらいしか窓口収入はありません。なおかつ保険収入にしろ、公費の予防接種収入にしろ、入ってくるのは2ヵ月先です。すぐに確かめる術はありませんが、最初の2ヶ月の窓口収入は数万円と言ったところだったと思います。やっと入った保険収入も、10月は開業してから2番目に少なかった7月の収入、11月は1番少ない8月の収入です。

これは商習慣で違いがあるかもしれませんが、開業時に最終的にそろえた物品の支払のそれなりの部分が3ヶ月遅れであり、これを支払って翌年2月ごろが運転資金が一番手薄になったと記憶しています。ま、さすがにその頃には少ないなりに患者は増加傾向を示し(そうならなかったら潰れています)、なんとか凌げるようになりはしましたが、実に不安定な経営状態であったのは間違いありませんでした。


逆風は色々ありまして、2005年5月末には貴重な収入源の一つである日本脳炎の接種が突然中止になりました。これはこれで正当な医学的事由はあるのですが、ようやく安定の傾向が見え始めた診療所経営にとっては少なからぬ打撃はありました。無くなった分だけ収入に確実に穴が開きますからねぇ。でもなんとか耐えられた(これも耐えられなかったら潰れています)と言うところです。

それを思うと2009年の新型インフルエンザ騒動が開業した途端に遭遇しないで良かったと思っています。神戸は国内発症例が発見されて大変な事になったのですが、病院は患者の対応に大変だったでしょうが、診療所は患者ガタベリで閑古鳥状態に陥っていました。小児の発熱患者なんて、そもそも外来患者の主体だからです。これは結構長かったと思っています。あんなものが開業当初に襲ってこられたら「今は」なかったかもしれません。


徒然なので話は飛びますが、診療所の広告はどの程度必要かの「参考にならない」経験談です。今でも診療所と言うか医療機関の広告は様々な制限があります。今は変わっているかもしれませんが、10年前は医師会なんかに入ってしまうと、開業前の事前広告さえ注意が入ります。どこかの診療所が「○月○日開業予定」の看板みたいなものを出しただけで横槍が入ったなんて聞いています。

それはともかく、現実的な広告手段としては

  1. 駅などの看板
  2. 電話帳
  3. ホームページ
他に開業してからよく勧誘があったのは訳のわからない近隣の住所地図への出稿です。とりあえずホームページは自前で作りました。後はなにせカネがなかったので、殆んど使っていません。電話帳は今どき見ないだろうから却下、看板はビル診なので、そこに2枚だけ。以上です。ほいでも患者が少ない頃は誘惑に駆られたものです。カネがなかった以外のもっともらしい理由は、
  1. 小児科の患者の診療圏は狭い(都市部のクルマ利用は地方より格段に少ない)
  2. 競合相手が多いので、しょせんはクチコミが一番
ホームページにしても全国に知れ渡っても無意味なわけで、ネットで診療所を探す人のために見つかる程度で十分じゃないかです。だから手作りで十分です。看板は医療機関自体が少ないところ、もしくは余ほどの専門で競合相手が乏しいところでは存在を知らせる事が受診動機になるかもしれませんが、そうでなければ看板を見て受診しようなんて人はさほど多くないだろうです。

都市部の診療所ではどこで開業しても既存の競争相手がいるわけで、なおかつどこかしらの既に「かかりつけ」なわけです。患者を集めるには単に存在を示しただけでは大した受診理由にはならず、既存の医療機関と違う魅力を何か打ち出さないといけません。つまりは乗り換えてもらうなんらかの材料が必要なわけです。凄い特殊技術による特殊治療が出来るのならともかく、そうでなければ存在広告は選ばれるリストの一つに過ぎなくなります。

選択枝がある状況で、人はどこを選ぶかと言えばクチコミになります。ヒマと言うのも当初は有力な武器で、待たずに済むから行ってみようなんて患者が案外おられます。そういう人は得てして物好きな上に、話し好きなんて比率が少々高い気がしています。なにせヒマですから、ユックリ話をしても次の患者はなかなか来ないわけで、そこで満足感を与えれば「あそこは行ってみたけど良かったよ」のクチコミ宣伝をやってくれると言う期待です。

小児科においてクチコミの威力は凄まじいものです。どこにしようかとか、ちょっとかかりつけを変わって見たいと思った時に、誰かが「あそこは良かったよ」の一言が決定打になりやすいと思っています。そういうクチコミの輪が一定数になると、芋づる式に患者が増えてくるです。もちろん逆もありえますから、その点は要注意です。


そういう判断が良かったのか、悪かったのかは今でも判りません。でもまあ、10年続いたのですから大失敗ではなかったぐらいに今日はさせて頂きます。ブログはともかく、本業はせめて後10年、体が許せば15年から20年ぐらいは続けたいと思ってます。その続くための節目を無事迎えられて本当に良かったと思っています。