御用会議雑感

まずはrijin様のコメントです。

 厚生省が予測を誤ったのは言うまでもありません。医療費についても大きく予測を外し続け、なぜ厚労省の将来予測がいつも外れるのか、外挿の稚拙さを権丈善一教授にさらっと指摘されたりしています。

 けっこう真面目に推計をして、見事に外してるんですよね。実際に外したのは当時の御用学者の面々なんですが…。

御用会議の復習

とにもかくにもある問題が存在するわけです。これをどうするかの方針決定を有識者と呼ばれる民間人を集めて決めさせる訳です。よく言えば官僚の意向に関係なく、第三者の賢人によって政策の方針を決めようぐらいの趣旨でしょうか。官僚は実務者として有識者会議の決定方針を遂行するぐらいでしょうか。これが文字通りに機能した時代があったのかどうかは私では不明ですが、官僚にとっては建前上の機能を発揮してもらっては宜しくないが前提としてあります。もちろん有識者がトンデモ方針を突然打ち出して、行政が混乱するのも困るというのもあるとは思います。そこで有識者会議をコントロールする事になります。

どうも最初から取っ掛かりはあって、有識者といえども自分ですべての資料を集め、議論するのは無理があったようです。そのため、資料作成は官僚の役割となっていたようです。いわゆる事務方です。事務方は会議に必要な資料を集めるだけでなく、会議の議事録作成、さらには会議の要点整理を担当するようになります。さらにさらに、議長に代わって会議のその日のテーマさえコントロールす事になります。

今でもそうですが、データは官僚が握っています。情報公開が進んだとは言え、個人レベルでは行政の奥深い資料までなかなか手が届きません。しかしそういう資料が無いと議論は深めようがありません。そこがもう一歩進めば、事務方が提出した資料で議論が左右されていきます。異論があっても、それを論破する資料は個人レベルで容易にはそろえられません。

もう一つは委員の人選です。これも建前上は大臣なりが任命するはずですが、そのリストの作成は官僚になります。大臣の個人的な知り合い範囲で、数多い有識者会議の委員を任命しきれないと言えば宜しいでしょうか。かくして大臣は任命者と言うより、承認者としてハンコを押すだけの立場になるわけです。そうこうしているうちに実態として、

  1. 有識者会議の有識者は官僚の意向で選ばれる
  2. 会議のお膳立てはすべて官僚が行う
  3. 会議のその日の議題も官僚が決める
でもって「ありき結論」しか会議では得られない事になります。そこまで「ありき結論」しか出ないのであれば、わざわざ有識者会議なんて開く必要はなさそうなものですが、官僚側にも大きなメリットがあります。いかに御用会議として形骸化していようが、決定は官僚でなく有識者会議です。官僚に方針決定の責任は回ってこないです。そのうえ「たぶん」有識者会議自体にも原則として責任は生じませんから、そういう意味で非常に都合が宜しいです。

官僚の意向を忠実に出してくれた上で、誰も方針決定の責任を取らないで済むのですから、責任問題に敏感な官僚にとってはなかなか魅力的なシステムではないかと考えています。


将来予測

御用会議にも様々ありますが、将来予測を踏まえたものもあります。10年後、20年後の将来を予想しながら長期計画を立てようとするものです。先に断っておきますが、将来予測と言うのは非常に難しいものです。これが安易に出来るのであれば誰も苦労しません。ですから当たりハズレは当然出てきます。この事を責めるのは宜しくないと思っています。それこそ「そこまで言うなら、お前がやれ」の世界になるからです。

ですから完璧な予測は期待していませんが、外れるにしてもその程度は問われるとは思っています。あるものの需要予測が大きすぎた、小さすぎたは許容範囲と思っていますが、莫大に余ると予想していたものが、まったく足りないになるとチト困るです。少なくとも将来予測として、余るか、足りないかぐらいは合って欲しいです。余り方、足りなさの程度が外れるのは十分に許容範囲だろうです。

もう一つ、将来予測は難しいので、定期的に見直しをするのも必要です。場合によっては数年おきになるのもやむを得ないと思っています。それぐらい社会の変動は激しいですから、絶えず調整を予測に加えながら対応するです。そうする事によって、ハズレ幅を出来るだけ小さくするのも必要です。企業などは毎年のように将来予測による長期計画を練り直しているところも珍しくないと思っています。


医師の需給の将来予測

私の知る限り、

会議名
1986年 将来の医師需給に関する検討委員会
1994年 医師需給の見直し等に関する検討委員会
1998年 医師の需給に関する検討委員会
2006年 医師の需給に関する検討委員会


これだけは将来予測に関する検討会を行なっています。1986年から始まって2006年まで計4回です。有名なのは2006年の検討会ですが、すべての将来予測の結論は、
    医師は余って困る
いかに増えて余ってしまう医師数に対して、どう対応するかを延々と検討されていたわけです。2006年に報告書が提出された時の状況を簡単に拾っておくと、
  1. 開業する医師への僻地経験義務が提案される
  2. 予算員会で「(医師は)あくまで総数は足りていて、偏在の問題と認識している」(前安倍政権時代柳沢厚労相答弁)
  3. 三重で医学部5年次卒業の地域限定免許の特区の提案がなされる(2006年度の三重大マッチ者6人、2005年度は3人)
  4. 医学部定員の地域枠の提案がなされる(新医師確保総合対策)
こんな区々たる事より、2月に福島大野病院事件の報道、10月に奈良大淀病院事件が報道された事の方が大きいかもしれません。医師数に関しては「全然足りていない」の大合唱がネットを中心に起こった年として良いでしょうか。医師はあくまでも足りているどころか余っているとした2006年報告書は7月に提出されていますが、2年後の2008年6月に医師数抑制政策の閣議決定の実質撤回を余儀なくされています。この辺の話は私クラスなら良く覚えていますが、2006年なんて7年も前の話ですから、御存知ない方のためです。

その後はよく御存知の通り、掌を返したような医師不足状態になり、医学部定員は当時の1400人増まで増やされています。まあ、どう見ても医師の需要予測はハズレもハズレ、完璧過ぎるほどの大ハズレになった事だけは指摘できます。


ハズレ予測は誰がしたか

2006年のデータ分析を担当した長谷川敏彦氏のレポートはよくよく読むと、かなり的確な指摘が随所になされています。当時はこの報告書しか知らずに叩きまくった事を後悔するぐらいです。検討会自体もかなりの異論はあったとされましたが、結論としては、

今回の推計では、長期的にみれば、供給の伸びは需要の伸びを上回り、マクロ的には必要な医師数は供給されるという結果になった。

そこまで判っていてなおこの結論が出されたと言う事は、それが「ありき結論」であったと言うしかありません。でもって「ありき結論」を出したのは事務方たる厚労官僚です。御用会議ですから結論はそれだけなんですが、これ以前の3回も含めて「ありき結論」のために厚労官僚は試算をやったのだろうかです。常識的には長期予測に対する「ありき結論」でから、結論のための試算が必要なはずです。

医師需要に対する将来予測に関しては、ある程度の固い基礎資料はあります。たとえば医師の増加数は医学部定員でかなり正確に予想可能です。人口や年齢構成も然りです。年齢による有病率や、受診頻度の基礎資料も公開されてあります。長谷川氏やそれ以前の分析担当者もそれを利用しています。ですから厚労官僚もやろうと思えば可能です。

しかしどうにもやってない感触があります。やっていないは言い過ぎかもしれませんが、少なくとも白紙の状態から虚心坦懐でデータを分析したとは思えないからです。手法としてはまず「希望的観測ありき」です。医師は余る、足りているの結論が先にあり、それを補強できる資料だけ集め「ありき結論」にしたんじゃなかろうかです。

後は、官僚サイドが作成した希望的観測に基づいたありき結論を御用委員、御用学者に伝え、その結論に副うデータと会議の結論として報告するように指示実行させたです。2006年時点となるとさすがに「ありき結論」は無理があると異議も強くなったようですが、御用会議で「異議が強い」程度はさしたる問題ではありません。「異議が猛烈」であっても押し潰してしまうのは薬品ネット販売規制を巡る御用会議で証明されています。


改善策はあるか?

現在の有識者会議(御用会議)システムを図式化しておくと、

    官僚が結論を決定 → 御用会議で茶番劇を行い「ありき結論」を決定
書くほどの事もありませんが、決定権は官僚が持っており完全にブラックボックスです。改善するには目に見える御用会議をいくらいじっても同じです。官僚の影響の排除の正論を唱えたところで、会議の運用システムは官僚が握っており、一時的に改善しても間もなく元に戻るのは間違いありません。それぐらい官僚機構は強大です。

そうなると官僚が結論を決める段階での賢明さの確立ぐらいしかありません。先に言っておきますが、官僚はバカでも愚物でもありません。非常に頭の切れる人物がそろっています。たぶん問題は残念ながら尊大である点でしょうか。地位が上るほどいかに尊大になるかは奈良県知事が生きた見本です。たぶん他者がバカに見えて仕方がないのだと思っています。要するに他人の意見に対して聞く耳が乏しいです。

ですから官僚段階で「ありき結論」を決めるのに、第三者の意見など聞く気も起こらないのではないかと思います。序列関係も厳しいと聞きますから、たとえば上位者が「こうである」と決めれば、「まずいんじゃないか」と思っても、逆らって冷飯を食べるより、それに迎合する意見やデータをそろえる方に能力を傾注されるんだと想像しています。

う〜ん、たまたま謙虚さも兼ね備えた人物が医師決定者に座る僥倖を待たないと「しゃ〜ない」ぐらいが改善策でしょうか。そういう人物はたまに出ます。まあ、そういう人物は伝説的に語られたり、早くに官僚機構に飽きたらずに政界に進出したりするみたいですから、打つ手はないのかなぁ?