春のオシャレ

基本的に服装にはあんまり興味がなくて、オールシーズン、デニムの上下でなおかつ色はインディゴだけ。色のバリエーションは洗濯による色落ちのみで、半袖になるか長袖になるかの違いだけです。服を買うとは、擦り切れて穴が開いて「さすがに見苦しい」時だけで、同じようなのを買って来るだけです。柄物は嫌いで、Tシャツも嫌いで、そもそも服屋でも10分以上考えない人(それ以上になると嫌になって帰ってしまう)です。

なのに突然「オシャレをしよう」と思いついてしまったわけです。理由としては、昨年末にドレスコードのある会(神戸カクテル・コンペ)があって、20ン年前に新調したスーツで行ったら評判が悪かったと言うのがあります。そもそもどこが評判悪かったか理解出来ていないのですが、「時代遅れ」「浮いてる」だそうです。

あの手のスーツなんて昔とどこがどう違うのか不思議なんですが、私が新調した頃はどうもユッタリしたデザインが流行だったそうで、今はもっとピッチリしたものが流行だそうです。後はボタンの配置とか何とか聞いたような気がします。私は一生物と思っていましたが、世の中ややこしいようです。でもまあ、そう思われるのですから、そうなんでしょう。

そんなにオシャレして出かけることなど滅多に無いのですが、少しはオシャレを考えてもエエンじゃないかぐらいです。まだ「思った」だけの段階ですが、さっそくブレーキがかけられています。非常にわかりやすい忠告で、

    やり慣れない人が「思いつき」でやると悲惨な結果を招く
ズシンと響くようなお言葉で、たぶんそうなるだろうは十二分に予想できます。服装についてセンスも熱意も欠けているのは自覚しているからです。そのくせ好き嫌いが激しすぎるのもネックです。服も嫌いとなれば値段に関係なく触れもしないからです。だいたい自分に何が似合う(似合うと嫌悪は私では別次元)なんて感覚とか興味が乏しいですから、「思いつき」による結果が悲惨であろう事は高度の蓋然性があると言ったところです。

ほいじゃ、奥様に選んでもらうという手もあります。それが無難であるのアドバイスもあるのですが、これも実は奥様の選ぶものは基本的に好きでないというのがあります。まったくもって困ったものです。それとケチ臭い話なんですが、あまりにも長い間、服を買うのをサボっていたために服の相場観が鈍くなっています。どうにもエラい高いものに見えて仕方がなく「これだけあれば・・・」式の思考がグルグルと回りやすくなっています。


そうこうしているうちに、それほど好きな事でもないので、燃え上がりかけたオシャレ熱が急速に醒めています。誰に見てもらう訳でもないですし、見せたい訳でもなし、他人がどう思おうが失礼には最低限なっていないのなら「ま、えっか♪」です。切実に困っていないし、なおかつ興味が薄い事にこれ以上想い煩うのも時間の無駄と言うところです。

かくして滅多に燃え上がらないオシャレ熱は醒めていき、春を迎えそうです。ついでに言えば、また出無精がこれで加速されるのかもしれません。完全に悪循環なのですが、たいした服を持っていないの自意識だけはあるので、フォーマルはともかく(礼服だけはもってます)、準(準々クラスも)フォーマル的な場所へはどうしても足が遠ざかってしまいます。とくに目上の方々が鎮座するような会は完全に敬遠です。

カジュアルとフォーマルの中間ぐらいのところが欲しいのですが、その辺がもっともセンスが必要な領域でもありそうですから、手を出さないのがやっぱり吉かな? つうかもう手を出さない気がマンマン・・・つう事で去年(いや何年前からだろう?)の服装と同じになりそうです。