戦隊モノの黄金律

えっといわゆる戦隊モノのお話です。戦隊モノと言えば5人組が定番ですが、黄金律ともされる構成は、

    熱血正義感のヒーロー
    ヒル
    ヒロイン
    ひょうきん者(ないしガキ)
    気は優しくて力持ち(ないしデブ)
この構成の本家的なものがゴレンジャー・シリーズともされています。ゴレンジャー・シリーズも5人組構成のバリエーションが途中であったりするようですが、揺れはあっても黄金率に戻る部分は多いと勝手に想像しています(うちは娘だけですから、さすがに見てません)。

なんの本であったか忘れてしまいしたが、この構成について隊内恋愛の蔓延を防ぐために必要な組み合わせであるとの説を読んだ事があります。なんちゅうても若い隊員ですから、狭いグループで一緒に行動すれば恋愛の一つも起こらないと不自然です。多くの戦隊モノ構成でもヒロインがヒーローに淡い恋心を抱く設定はあったとは思います。しかしウルトラセブンを例外として発展はまずないです。

これはヒロインの恋愛対象であるヒーローが、正義に熱中してヒロインの心に無頓着であるの設定が出てくるわけです。いくらヒロインが想いを寄せても、ヒーローの頭の中には「世界平和」とか「あの怪人を倒すには、どうしたら良いか」の方が常に最優先事項になる訳です。まあ体育会系の熱血キャプテンみたいな役作りで、ヒーローはせいぜいヒロインの好意ぐらいを感じるレベルで終ってしまうです。

残りの3人はニヒル、ガキ、デブですから、基本的に他人の恋愛に無頓着で、ヒロインの恋のライバルになったり、三角関係に発展する余地も乏しいです。つうかそういうサイドストーリーは子供向けの戦隊モノではあんまり膨らんでもらっては困るので、そういう設定で話を封じ込んでしまうぐらいとすれば良いでしょうか。恋愛物をやりたければ、戦隊モノでなくとも他のドラマで幾らでもできるです。


ではでは隊内恋愛禁止のためだけに黄金律が出来上がっているかと言われれば、そうでもない気がしています。ゴレンジャーを本家的としましたが、ゴレンジャーの直前にガッチャマンがあります。ガッチャマンもまた典型的な黄金律です。ではガッチャマンが元祖かと言えばそうとも言い切れません。ガッチャマンのモチーフに忍者部隊月光(さすがに見た記憶は乏しい)があったという説もあります。

これもあると言う説と無いと言う説があるそうですが、忍者部隊月光まで遡らなくともウルトラマン科学特捜隊も黄金律に近い構成になっていると思います。あえて出すと、

    ハヤタ・・・熱血ヒーロー(→ウルトラマン
    ムラマツ・・・真面目な隊長
    フジ・・・とりあえずヒロイン
    イデ・・・ひょうきん者
    アラシ・・・気は優しくて力持ち
ここでは黄金律のうちニヒルがいません。またヒーローはウルトラマンに変身すればガチンコの主役ですが、隊内ではキャップの指示下に従う忠実な隊員です。もう一つ見方を変えれば年長のリーダーが上に君臨する形になります。分かり難いと思いますから、ガッチャマンの構成を出しておきます。実はこの上に6人目の司令官役として南部博士が存在します。科学忍者隊が18歳以下の構成にあるのに対し、南部博士は「おっさん」と言うのに相応しい年齢で存在します。さてなんですが、戦隊モノの黄金律は日本だけのものではないと思っています。コンバットも、スタートレックも、サンダーバードも、スパイ大作戦も見様によっては黄金律のチーム編成です。ある程度の群像劇を設定した時には自然にそういう構成になるんじゃないかです。わかりやすいキャラ配置ですから、シナリオも構成しやすいでしょうし。またテレビシリーズなら、脇役の個性を活かした脇役が主役の回も作れます。


ここで仮説を立てたいのですが、

    群像劇型黄金律:司令官役が存在する
    戦隊モノ黄金律:司令官役が実質として存在しない
司令官役とは服従を誓う絶対的上司ぐらいの感じです。軍隊の上官みたいなイメージでも良いかと思います。チームで重い任務を果たすのですから、チームの統制は重要で、上に有無を言わせぬ司令官が存在しなければならないと設定しているのが群像劇型だと考えます。では戦隊モノはどうかと言えば、チームリーダーが統率・統制の実権を握り現場裁量も事実上丸投げです。司令官役は存在する程度に軽くなっている気がします。

さらに言えばチームリーダーは司令官役に比べると絶対的上司の権威は下がる感じです。強いて言えば部活動のキャプテンみたいな位置付けに感じます。仲間内のリーダーではありますが、チーム内の基本の序列関係は水平に近い感じと言えば良いでしょうか。リーダーの決定は命令ではなく、指示ぐらいに留まり、不満があればリーダーに不満をモロにぶつけるみたいな事が日常的に可能な関係と言えば良いでしょうか。そういう緩い連合体みたいな位置関係が戦隊モノの本質のような気がしています。

何故にそうなったかですが、主役の問題の気がします。群像劇型ではやはり司令官が主役になる事が多くなります。主役でなくてもかなり重い役回りになります。そりゃ、作戦の企画・実行は司令官が行うからです。主役に匹敵する位置にいないと不自然です。ところが戦隊モノは現場のチームがあくまでも主役です。主役である理由は、敵と戦えるのは変身して超人的能力を得たチームだけだからじゃないかです。

敵と戦うシーンはクライマックスであり、主役の独壇場です。見ている子供も敵と直接戦い、これを倒す主役に声援を送ります。後ろでゴチャゴチャ言っている司令官役が大きな顔をするとバランスが悪いぐらいでしょうか。主役より大きな顔をする司令官役の存在が主役を引き立てるのに面倒くさい存在になった気がします。


ウルトラマンぐらいの設定なら、変身するのはハヤタ1人であり、さらにハヤタが実はウルトラマンであるのは誰も知らない設定です。だからウルトラマン変身前の科学特捜隊の調査段階・戦闘段階では科学特捜隊が主役であり、ムラマツが司令官役でも違和感がなかったと思います。これがゴレンジャーになると、チームどころか正義の味方側はチームが変身して戦う事を誰もが知っているに変わります。変身前と変身後がシームレスにつながっているです。

そこまで考えるとガッチャマンは過渡期的な設定だったような気がします。科学忍者隊のメンバーは変身(変装とした方が良いのかな?)はしますが、チーム全員が変身し、変身前と変身後のキャラはシームレスにつながります。ただしゴレンジャー・シリーズほど変身しても圧倒的な超人能力は付与されなかったです。あくまでも常人を少し超える程度の能力設定です。

そういう設定だったので、群像劇型の司令官役を置くのは必要と判断した、ないしは群像劇型のチーム編成発想から離れきれなかったです。しかしシリーズが長期化するにつれ科学忍者隊はパワーアップが必要になります。格闘系の設定の常で、後になるほど相手が強大化するからです。相手が強くなれば科学忍者隊も強大化し、超人設定に近づいていったんじゃないかです。

ゴレンジャーの方が後のシリーズですから、ガッチャマンの成功と欠点は参考にされたはずです。集団変身のアイデアをしっかり受け継いだのと同時に、最初から変身後を超人設定にまずしていると見ます。それとチームが超人化すると主役はチームその物になり、司令官役の立ち位置が微妙になってしまうです。そこで最初から完全な脇役とし、群像劇型の司令官役、つまり6人目から降ろしてしまったんじゃなかろうかです。


話としては膨らみが失われるような気がしますが、一方で設定が単純化したので子供が見る分にはかえって主役が「わかりやすく」なりウケも良くなったのが結果で、そのため紆余曲折はあるようですが、今に続くウルトラ長期シリーズとなり今に到るです。

少し違う事を考えていたのですが、テレビアニメというか、テレビ子供向き実写劇はかつては一つだけのジャンルでした。「しょせんはお子ちゃま向け」の冷笑を受けながらも、製作者は「子供向け」だけではないのアピールを必死になって込めていた時代があると思っています。そういう努力がエヴァやアキラ、ガンダムマクロスにつながっていったとしてもそんなに間違いでないと思っています。

一方で進化してしまったジャンルは既に子供向けの範疇を越えてしまったんじゃないかです。やはり純低年齢向けの「お子ちゃま」向けのカテゴリーは必要ぐらいの感じです。アダルト向け路線が爆走してしまった後に、そういう向上要素を抑えた新路線が、また誕生ないしは生き残っているのが戦隊モノ黄金律みたいな気がなんとなくしています。


長々と与太話に付き合って頂きありがとうございます。休載後は路線をやや転換したいので、こういう話も多めに混ぜたいと思っています。御了承お願いします。医療ネタだけでは書いている方が息が詰まるもので・・・。