読書感想文雑考

今日は平和な話題です。盆が過ぎたこの時期になると、夏休みの宿題の残りが気になる季節です。最近の子供は結構真面目なようで、ドリルとか問題集系が手付かずに残っている猛者は少なくなっているようですが、難物中の難物が今も昔も鎮座する読書感想文のようです。

読書感想文の大変さは所用作業時間の目安が非常に立て難いところがあります。手慣れた人なら、午前中に読み終えて午後に書き上げてしまう芸当も可能ですが、逆となるとまず本を読むという作業が一大事業になります。読書が趣味の人なら1時間もあれば読める本に、何日も格闘なんて話はザラにあります。とくに親が本を読む人なら、その時点でイライラが昂じるみたいなところです。

とは言うものの読まないと感想は書けない訳ですから、「まだか、まだか」で突付き回るになります。でもってようやく読み終えたら本番なんですが、ここがさらにさらにの難行になります。必殺のセリフが飛び出してきます。

    感想言われても、あらへん
気持ちはわかります。本を読むだけでも悪戦苦闘しているのに、その感想を思い起こし、さらに一定量の文章に仕上げるなんて目の眩む様な作業に感じても不思議ありません。私もこういうブログを書いているのでわかるのですが、文章を書くには、
  1. こういう話にしようと言う着想力
  2. 発想をストーリーにまとめる構想力
  3. ストーリーを膨らませる表現力
これぐらいは必要です。読書感想文も同じです。感想と言うモヤモヤとした気体のような物を、文字表現と言う結晶に生成し、さらに一片のストーリーとして仕上げる作業が求められるわけです。でもって、そういう力はどこでつくかと言えば、基本は本を読むことになります。


ただ読書は基礎をつけるのには有用ですが、あくまでも基礎に過ぎません。自分でオリジナルの文章を書くと言うのは基礎からの応用編になります。だいたいまず難儀な物になるのが「書き出し」。これが書きなれていない人にとってはひたすら苦吟になります。それこそ「どう書いたら良いかわからない」です。書き慣れてくると、書き出しなんてアッサリ入るか、ヒネリを加えるかを考えるぐらいですが、そうでなければ原稿用紙に無限の荒野が広がる感じになります。

書き出しも定型があるような、ないようなところがあるのですが、指導する親もある意味エエ加減で、ついつい「なんでも良いから・・・」的なアドバイスになってしまいがちです。もっとも具体的に指導すると言うのも簡単じゃないのですけどね。


なぜにあれだけ「書き出し」に難儀するのか少し考えてみたのですが、今となって思えば、書き出しは何に連動して決められるのかが問題の様な気がしています。書き出しとは全体の構想に対してのものであるです。細部まではともかく大雑把にでも全体構想がまずあり、この構想につなげるためのものが書き出しと言うわけです。

そこで全体構想なしに書き出しだけ独立で考えると言うか、書き出しからボツボツ全体構想を考えようとするから難儀な物になるです。言い換えれば、書き出しは全体構想への導入部ですから、目的とする全体構想無しでは途方に暮れるのは当たり前みたいなところです。進むべき方向性が決まっていないのに書くのはそりゃ大変だろうです。


そうなると全体構想を先に決めれば良いと言う理屈になりますが、そんなものがサッサと決められたら誰も苦労しません。全体構想を決めるにはモトダネが必要です。モトダネが着想力で、読書感想文なら読んで抱いた感想のどの部分を主軸に置くかの話になります。手慣れた人なら、読む段階でネタ拾いに既に集中しています。ここを拾って、ここをつないで、〆はこれぐらいみたいな感じです。

いわゆる序破急なり、起承転結様式なのですが、そう簡単に話が進まないのが読書感想文です。だって前提は読むだけでも四苦八苦であるからです。読書感想文のためのネタ拾いとか、構想を読みながら練る余裕がないです。とにかく1冊読むのだけに全精力を集中していますから、読み終わった後に感想と言われても、

    わからない
これになるわけです。もう少しマシな感想でも「おもしろかった」ぐらいです。まあ、本当は何度も読み込んで面白さを見つけ出すになるのでしょうが、もう1回読み直すなんて作業自体が難行苦行になりかねないと言うところです。


微妙な見方になるのですが、まとまった文章をまとめて書く力はトレーニングが必要です。ある一定以上のトレーニングを積まないと手際よく書くなんて難しいものです。そういうトレーニングが不十分な子供に読書感想文を書かせる事自体が無理と言う考え方はあります。それも理屈なんですが、一方でトレーニングはどこかで行わなければなりません。

まとまった文章を要領よくまとめて書くテクニックは多くの分野で必要とされます。文系はもちろんでしょうが、理系だって必要です。やはり身に付けておくのが必要な技術と私は思います。ではどこで身につけるかと言えば「時間の余裕のあるとき」になり、長期休暇が最も適当な時期になるです。

それとこのテクニックは具体的に教えるのが結構難しいところがあると思っています。なんと言うかマニュアル的に教えるのがチト難しそうです。トレーニング法みたいなものもあるのかもしれませんが、そういう方法ももう少し先の段階のものの気がします。文章全体の構造の整理とか、表現法の洗練なんかは教えられても、そこまでの段階に達していないレベルのものを、イチから(下手するとゼロから)マニュアルで教えるのは容易じゃなさそうぐらいの感じです。


そうそうトレーニング時期として長期休暇は適当とはしましたが、今どきの子供は夏休みであっても結構忙しいようです。学校の宿題だけでなく、塾の夏期講習があったり、他の習い事に案外追われています。御時世ですから仕方がないのですが、夏休みと言っても読書感想文に費やせる時間はそれほど余裕が無いです。そこで親が書いてしまうと言うのもよくあるそうです。

そいでもって、親が書いた作品が賞を取ったりみたいな事も耳にします。私はやってません。いや、前に一度やった事はあるのですが「子供らしくなさすぎる」で哀れボツにされ二度と依頼されていません。親が書けば評価も上り、子供もラクでしょうが、見様によっては問題を先送りしているだけに見えなくもありません。テクニック自体はやはり「どこか」で身につける必要があると思うからです。


えらそうな事を書きましたが、我が家もやはり読書感想文は毎年難物で、奥様がしゃかりきになって指導しています。でもって進歩は・・・あんまりないですねぇ。やはり是非書きたいとか、本当の意味で書かなければならない状態に追い込まれないと身に付かないのかもしれません。昔を思えば、私も他人の事をとやかく言えるほどのものを書いて無かったですから「しょうがない」つうところです。

ツクツクボウシが鳴いています。夏休みも終盤戦です。まだ残っている人は親子ともども頑張って下さい。